nao5889のブログ

nao5889のブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
森友学園問題に端を発する一連の疑獄騒動の中「忖度」という言葉が注目を浴びている。学園の籠池泰典理事長は、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見を開き、国有地の売買などについて説明。ニューヨーク・タイムズの記者が「大きな力が働いた」「神風が吹いた」との発言部分が不明瞭だと指摘すると、籠池は「安倍首相や昭恵夫人の意向を忖度して、財務省の官僚が動いたのではないか」との見解を示した。
通訳は最初「忖度」を「行間を読む」と訳したが、誰が行間を読んだかはっきりしなかった。そこで通訳は「推測する」「推量する」といった例を出し、英語で直接言い換える言葉はないと付け加えた。結局、そのまま「sontak」という言葉を使うことになったようだ。
古参の特派員は日本での生活が長く、忖度の意味はなんとなくわかっていたらしい。そのニューヨーク・タイムズの記者が新米だったのだろう。ドイツ語の『vermuten』は『推測する』という意味だが、忖度には『相手の気持ちを勝手に推測する』というニュアンスも含まれている。『空気を読む』という日本語とも微妙に違う。

【日本人の美徳】
「忖度」は、アジア的な言葉であると言えるかもしれない。中国最古の詩集とされる『詩経』にも登場する。つまり、中国文化圏では少なくとも三千年前には「忖度」が行われていたのだ。
日本語には「推量する」「心中を察する」「斟酌する」「慮る」といった言葉が存在する。これは、日本文化が相手の気持ちを想像することに重点を置いているからではないか。
日本は基本的に単一民族の社会ていあり、ムラ社会は同一の価値観で動くので、あえて言葉にせず、お互いに察することが出来た。逆に言えば、忖度の出来ない人間は、村八分になってしまう。こうした問題点もあるが、基本的には忖度という行為には、日本人の美徳があると感じられる。
日本文学も忖度で成り立っているところがある。和歌のように短い文章に豊かな意味を持たせるためには、受け取り手の想像力が必要になる。俳句はもっと短い。松尾芭蕉の「古池や  蛙飛び込む  水の音」という句は誰もが知っているが、字面どおりに受け取っても仕方がない。つまり、受け取り手は歌や句を詠んだ人の気持ちを忖度しなければならないのだ。各人が多様な意味、情景を想像する余地が大きいのが、日本文学の特徴ではないか。私が好きなのは『勧進帳』の安宅の関だ。追手から逃げる源義経と弁慶が関で尋問を受ける。弁慶は山伏に扮し、東大寺再建のための勧進を行なっていると嘘をつき、義経は従者のフリをする。関守が『それならば勧進帳を読み上げてみよ』と試すと、弁慶はただの巻物をあたかも勧進帳であるかのように堂々と読み上げ、ピンチを切り抜けている。ところが、関守は従者の正体がお尋ね者の義経であることに気づいてしまう。すると弁慶はとっさに、杖で義経を打ち付ける。『お前のせいで疑われたではないか』と、関守はそれが演技であることに気づいたが、弁慶の気持ちを忖度し、気づかぬふりをして関を通してやる。自分の主人を杖で打つのは、武士には絶対に出来ないことだ。そこまでして主人を守ろうとする弁慶の忠義に心を動かされたのだ。
日本人なら誰もが感動するシーンだけど、欧米では理解出来ない人が多い。『勧進帳』は欧米で公開されることもあるが、関守は自分の任務に背いているのだから、契約違反だと言ってしまう欧米人がほとんどだ。


【ミュンヘン会談】
もともと「忖度」は、純粋に「他人の心を推し量ること」という意味で使われていたが、今では政治を分析するためのキーワードの一つとなっている。欧米には「忖度」と完全に一致する言葉はないが、それに近い現象は存在する。1938年のミュンヘン会談には、ヒトラー・ムッソリーニ・チェンバレンらが出席したが、そこでヒトラーはチェコ北東部の割譲を要求する。チェンバレンは「この要求をのめば、ヒトラーはそれ以上領土拡大の野望を持たないだろう」と考え、受け入れてしまった。しかし、ヒトラーがそれで満足するはずがない。これも「忖度」の一種と言えるだろう。
中国の習近平は権力を持ちすぎて、ほぼ独裁体制になっている。これに対し正面から異を唱える人物もいない。中国では、国民全員が習近平の意向を忖度しているわけだ。
かつて朝日新聞が中国政府の意向を忖度して失敗したことがあった。文化大革命の際、日本の大新聞は記者を引き揚げたが、朝日新聞だけは記者を残した。その方が便利だし、いい記事が書けるとの判断だろう。それ自体は理解できるが、実際には逆のことが起こった。朝日新聞以外の新聞は、毛沢東と林彪の対立を記事にしたが、朝日新聞は「これを書けば追放されるのではないか」と中国政府の意向を忖度した結果、スクープを逃すという大チョンボをやらかした。
戦後、鳩山一郎がGHQによって公職追放を受けた際、吉田茂に政権を引き継ぐように打診した。鳩山一郎は、これは一時的な処置であり、時期が来たら吉田茂が政権を鳩山一郎に返すだろうと考えていたが、その後、二人は袂を分かつことになる。鳩山一郎は吉田茂の意向を勝手に忖度してが、そうならなかったわけだ。
タチが悪いのは、権力者の意向を忖度することを口実に、勝手な行動をとったり、目下の者に忖度を押し付けることだ。4月17日、銀座にオープンした商業施設の式典あいさつで安倍首相は、売り場に並ぶ各地の名産品を紹介した後、そこで読み上げた原稿について「残念ながら山口県の物産等々が書いてありません」「私が申し上げたことを忖度していただきたい」と発言。このタイミングで危ういジョークを飛ばしたことで野党は猛反発した。
あえて総理の気持ちを忖度すると『これ以上追及しても野党の支持率は下がる一方』ということではないだろうか。