少し前の私は劣等感のかたまりでした。
自分に自信がない為に
強がってみせたり、心を開かなかったり。

いつでも戦闘態勢でした

怖いんですよ。
人に嫌われるのが。
人に批難されるのが。
人に変な人と思われるのが。

仲がいいふりをして
いつでも別れられるよう気を張っていました。
褒めてもらっても、裏があるんではないかと
疑い、怯えていました。

人を信用する事
人に頼る事
人に甘える事

全てが怖くて【フリ】は出来ても
本当にそうすることは出来ませんでした。

だからでしょうか。
私という人間が人に理解されにくいのです。

それもそのはず。
私自身、私が一体誰なのかわかりませんでしたから。

背が極端に低かった事からいじめられ
全てが競争だという環境で育ち
勝ち抜く為には仲間も騙さなくてはいけない。

そんな学生時代を送ってきたからでしょうか。
人と人との交流の仕方がわかりませんでした。

社会人になってからは
人に嫌われないように
いつも人からの評価を気にしていました。

優しそうに見られるように
頼りがいがあるように見られるように
何も困っていないようにみられるように

いつでも私は私ではなかったのです。

そんな自分はどこか欠陥があるんではないんだろうか。
大体、私は何の為に生きているのか。

いつでも死んでもかまわない程
自分の人生に魅力を感じていませんでした。

しかし、この算命学に出逢い
本当の自分を知り、
今までの行動の意味、考え方の意味が
手に取るようにわかりました。

なぜ、人の評価が気になっていたのか
なぜ、強がっていたのか
なぜ、そんなにも怯えていたのか

わかった瞬間大泣きしました。
悲しくて泣いたんではありません。

ただただ今までの自分が可哀想で。
そしてやっと最大の味方が出来て嬉しかったんです。

最大の自分の味方は自分なんです。
人の評価も何も無い。
ただただありのままの自分の評価だけ。

そこにはウソや誤りが全くなくて
あるがままの自分が映し出されていたんです。

本当の私は寂しかったんです。
人が大好きで、みんなと仲良くしたかった。
強がったりするのも嫌で、甘えたかった。
弱い自分を、本当の自分を隠したくなかったんです。

やっとそれがわかって
それはそれでいいんだと。
何が悪くて何が良くてとかそういうのではなく
ただそのままの自分でいいのだと。

そう思えた瞬間から私の本当の人生は
スタートしたんです。

算命学は
自分の行動や考え方の理由の裏付けをしてくれます。
算数のように、証明してくれるんです。

【だからあなたはあなたのままでいい】って。

何者でもなく
あなたはあなた。

そう、優しく鑑定書は私に語りかけてくれました。

今の私は弱虫です。
お客様のお話を聞いてもらい泣きしてしまいます。
逆に慰められたり、励まされたりもします。

仲間に甘えています。
辛い時はその気持ちを話に足が行きたい場所へと
向かっていきます。
情けない私をさらけ出します。

見苦しいと感じていたこれらの行動は
今は誇りにさえ思っています。

人がどう思うかなんてわかりません。
賛否両論でしょうね。

しかし、私はこれでいいんだと思えるんです。
こんな私を大好きで、支えてくれる仲間がたくさんいるんです。

私の人生の航海は今始まったばかり。

果てしない海へと。。。。