創造的な仕事が長生きの秘訣。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
微粒は、美流でつくられ、美粒となります。その思いをつづっています。

 人の生とは、セルフコントロール、セルフオーガニゼーションでなりたっている。日本語でいえば、自己制御、自己組織化である。自分で自分の命を活かしている独立した閉鎖系のものである。自分で考え、自分で燃料を給油し、自分で自分の命のバランスをとり、いきる。ただし、自分で変えられないのは、人間としての共通した規格、仕様である。それが、寿命である。MAX生きたとしても、100歳から110歳までが限界ということになる。自己制御、自己組織化を最適化しても、どこかに、終わりがくる。それが人の限界、人間の能力の限界である。それを支配するのが、人間より上位概念のもの、宇宙をつくりだし、生命体をも作りだす因果を、この世に与えたものである。それが神という実体の正体だろう。

 

 

 しかし、この世の時間の流れは、それとはま逆な方向へと進んでいる。制御とはま逆、秩序とはま逆、組織化とはま逆のケーオス、混沌の方向へ、である。では、始まりは、どこにあったのかといえば、やはり混沌だろう、エネルギーが高濃度に密集された混沌の場から、エネルギーが解放されて、この世が膨張した、そして、何かの因果をうけて、組織化、秩序化へと動いた。滅茶苦茶というのは、ある意味、方向性や対称性がない状態、あっちいったり、こっちいったり、制御不能な状態、それが、何かのきっかけで、その状態がやぶれた。それが秩序化、組織化、そこから、何かの決まりや法則性がでてきた。それがこの世である。その流れの中で、命がうまれた。しかし、この世は、混沌から混沌へとサイクルする。一つの正弦波の動きである。混沌から生まれたものは、混沌に帰る。これが定めである。この世の動きも、人の命の動きも、おなじである。フラクタル構造をもつ。流れの方向は、混沌へと導かれる。どんなものでも、混沌へと流れおちていく。これが、一つの定め、だから、人は、MAX100年か110年で、命が終わることになる。

 

 

 一番、美しい生き方、効率的な生き方、ある意味、幸福な生き方とは、この世の因果の動きと連動すること、この世の動きと協和、協調して生きることなのである。では、この世と協和するとは、どういうことか、それが、組織化や、制御化、自分の人生をそのように管理することなのである。混沌の場から、一つのきっかけから、組織場が生まれる。それは心身にも影響をあたえる。だから、その場を破ったらどうなるか、混沌の場へとまっしぐらに消滅するだけである。それが死である。人は、なぜ、死ぬのか、自己の組織場を維持できなくなるからである。これは、鉄則である。自己の組織場を乱すような行為や現象を戒める言葉、それが、格言である。宗教の場、哲学の場、文学の場、または、科学の法則もすべて、これに準拠している。

 

 

 人が不幸になる時、かならず、自己の組織場が崩れている。健康にしても、仕事にしても、心の問題にしても、そこに、乱れがあり、組織場が、維持できない状態になっている。そこからもとの状態に復元することが、一つの生きる道、指針になる。人間、順風満帆で生きることなどできない。どこかで、慢心が起き、邪悪な心が起き、エゴがはたらく。まわりとの協調がくずれ、自己組織場が崩れる。肉体や精神が崩れる場合がある。世の中が複雑になれば、かならずストレス、精神や肉体に対する圧迫が襲ってくる。それによって自己の組織場がくずれる。ノイズである。

 

 

 人間、まよったら、組織化の場の方へ進んだ方がいい。それは、楽な方向ではない。組み立てる方向、秩序を維持する方向、ほったらかしではなく、面倒だが、積み木を組み立てる方向なのである。まよったら、基本は進めなのである。投げやりの方向でなく、組み立てる方向である。部屋はかならず、汚れる。散らかる方向である。気付いたら、すこしずつ片づけることである。私は片づけるのが苦手である。しかし、私の中でも、ひとつの限界をこしらえている。それをこえたら、片づけるようにしている。片づける努力をしているといったほうがいい。

 

 

 このブログも大変である。しかし、一週間はとめることはしない。それが私にとって自己組織場を維持する手段だからである。頭の中を、整理する。それが生きることだからである。創造的な仕事と書いた。人によって、何が創造的かは、変わる。どれが正解などとはいえない。

 

 

 こつこつとでもいい、何かをまとめ上げることだ。人との人脈を広げるのもいい、ネットワークを構築するのもいい、とにかく、前向きに頑張ることなのである。もういいや、もうだめだ、とおもったら、そこが限界である。しかし、無理はまた禁物、自己組織場とは、乱れ過ぎてもだめだし、不作為もまたアウトなのである。世の中は、めちゃくちゃな状態から何かのきっかけで自己組織化の場がうまれた。それはある意味、ゆらぎである。ゆらぐ美しさがあったから、そこに組織場がうまれた。過ぎたるは及ばざるがごとし、やりすぎてもアウト、不作為でもアウト、7-8割、前進ぐらいのきもちでいい。

 

 

 歳をとったら、動きたくなる。歳をとったら、気持ち的に負けたらアウトになる。歳をとったら、常に、チャレンジである。若い時にどれだけ自分の中に引き出しをたくさんつくっていたかが、重要になる。人生、山あり谷あり、である。いいことは長くは続かない。それだけ自己組織場での自己制御は難しいことなのである。