原発は即時ゼロにした方がいい。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 ネットで小泉元首相の原発等に関する独占手記を読んだ。確かに、原発は即時ゼロにすべしという趣旨は正しいと感じる。たぶん、私が生きている間、原発事故は起きる可能性はないだろう、しかし、福島原発事故が起きたという事実は覆せない。日本は地震大国、いつどこで、直下型の地震が起きるとも限らない。起きて、福島と同じこと、それ以上の事が起きたらどうなるというのだろうか、誰かが責任をとるとか、とらないとかの問題でなくて、そこら辺の周辺の人、全員がアウトになるのである。

 


 迷走台風10号が、太平洋側から日本海側に抜けようとしている。予想進路をみると、福島原発付近に上陸することになる。いままで、茨城県から東北太平洋側に直接上陸した台風はない。しかし、前例がなくても、起こりえる。いままでの論理からいえば、台風が直接上陸することがないから、安全であるという事は、もう言えなくなる。世の中の理論の多くは、経験則から導き出されている。とくに、物理的な要素で、複雑な因子が相互に影響しあう場合、つねに、1+1=2という論理では測り得ない。なぜ、台風の進路予想に、スーパーコンピューターや衛生写真を駆使しても、予報進路円を使うのか、それは、次が、1+1=2と確定できないからである。つねに、確率的にしか、判断ができないからである。すべて、結果で、こうなったとしか言いようがない。5分10分後の予想はできても、1時間後の予報はしずらい。地震に関して言えば、起きたという事実をもって、緊急放送を知らせるしかない。巨大直下型であれば、緊急放送もあったものではない、放送が鳴った瞬間に、家が崩れおちてくる。

 


 原発は、なぜ危険かというと、人間がその臨界状態を制御しているからである。コンピューター、機械制御だといっても、その乱れ状態を、自然が制御しているのでなく、人間が恣意的にコントロールしているからなのである。もし、何かが狂えば、どうなるか、原爆と同じことがおきる。原子炉がメルトダウンして、爆発して、中の放射能が外にでてくる。だれかが、責任をとって、どうなる問題ではなくなる。広島、長崎の被爆が再現される。

 


 東日本震災で、トモダチ作戦で、被爆したアメリカ兵を、我々はすぐに忘れるだろう。彼らは、地震で被害にあった同盟国を救済しようと、出ていった。命令とはいえ、そこには、人としての慈悲や人道主義があったはずである。苦しむひとがいる。死にかけた人がいる、それを救済するのは人としてあたりまえ、そういう精神で被災地へいったはずである。もちろん、福島原発事故など、わかりようがない。しかし、突然に、放射能測定器がガーガーとなり始める。自分が被爆したことを知る。OH,MY GOD,なんてこった。なんでそこに、原発があったのだ。OH,MY GODだけでは、けっして済まされないことが起こったのである。

 


 もし、核分裂を利用しなければ、何かができないというなら、仕方がないだろう。しかし、原子力発電は、単なるそこから発する熱を利用して、発電機のタービンを回しているにすぎない。火力も水力も同じである。そのために、高いリスクを冒している。こんな愚かなことはない。エネルギー政策で、原発でしか、できないというなら、仕方がないだろう。ONLY ONEなら、しかたがない。事故がおきて、原子炉が、爆発して、中の放射線物質が外に飛散して、そとにいる人間が被爆して、死滅しても、その被爆した土地が、放射能が減衰し安全になるまで、使えないとしても、それしか、ないのなら、容認するしかない。もし、それを使わなくても、いい状況であれば、なぜ、そんな危険なものを使う必要があるのか、確率が非常にすくなくても、被爆する確率がある以上、100%安全だと絶対に言えない以上、原発は、即時ゼロにした方が、いい。

 


 繰り返す、原発の核分裂を制御するのは、基本的に人間の判断なのである。機械や物事の制御で最終的に判断すべきは、安全性なのである。物事には、どんなものにもリスクがある。偶然が重なり、危険がでてくる。その最後にどの安全装置が働いて、どの程度の事がリスクとしてでてくるのか、なのである。飛行機事故、最悪は、墜落で、全員アウト、それが民家におちたらアウト、工場におちて、爆発して、その周辺がアウト、いろいろとある。しかし、どんな事故であろうと、被害は限定的である。しかし、原発事故は、あまりに事の重大性が大きすぎる。普通は、何かがあれば、その制御系が遮断される。そうなれば、普通は、電気が来ないから、常に安全側に働いて、動かないということになる。しかし、原発は、逆である。核分裂がおきていたら、暴走するのである。冷却がとまったら、制御がとまったら、暴走して、爆発するのである。爆発するならまだいい、人を破壊する放射線物質が飛び散るのである。そんな恐ろしいものは、他にはない。それがONLY ONEなら、それを覚悟で使用し、利用するしかない。もし、そうでないなら、代替が可能なら、または、それに代わるエネルギー開発が可能なら、即時ゼロにするのがいい。小泉元首相がいうように、政治判断で即決するのが正しいはずである。集団的自衛権うんぬんよりも、重要なはずである。

 


 瞬時にして巨大なエネルギーをだす、その方法論としては、核分裂、核融合の核の利用はただしい、いずれ、地球は太陽の膨張で、死滅する。人類が生きているなら、宇宙へ出ていかなければならない、その時は、核融合技術が必要になる。だから、核の技術開発は必要だろう。しかし、それを今の地球規模でのエネルギー政策として利用するには、あまりに効率がわるくリスクがあまりに大きすぎる。車のHV,EVと同じである。人間の叡智を使えば、光、風、熱、振動等のエネルギーを電気エネルギーに変換することは、できるはず、それを蓄電する技術、それを瞬時に放電する技術も、それほど難しくはない。より安全なエネルギーをもとめるためには、小泉元首相のいうように、原発即時ゼロ、それを実行するのがいい。それが、経済の活性化につながるはずである。インフラ構造がかわれば、それにつれて、経済活動が動くのは、必定だからである。エネルギーを電気に変換する技術、それを蓄電する技術、それを自在(瞬時にも)に放電する技術、その三位一体のエネルギー政策を実施すれば、日本は、再び、ものづくり技術立国として、世界に評価されるはずである。