日本はいつまでたっても戦艦大和の国 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 たぶん、日本という国は、いつまでたっても、戦艦大和的な国である。けっして、アメリカのような国にはならないし、なれない。民族性、言語、歴史、風土、きっと、経済がどうなろうと、市場がどうなろうと、ずっと、日本は、日本のまま、ありつづけるだろう。技術が海外に流出しようが、日本人が、海外に出稼ぎに行こうが、最終的に、戻る故郷、国家は、日本である。言語習得期を日本で育った人は、肌の色が違おうが、たとえ国籍がちがっても、日本の文化を感化して育った人は、最後には、この風土へ帰りたいと願うはずである。それが何かの理由で帰郷がかなわなくても、死ぬ瞬間まで、その人は、日本を恋しがるはずである。

 

 市場経済で、日本が、世界から遅れても、日本がたとえ、貧乏になっても、日本は、互助の国、となりで瀕死な人がいれば、助ける国である。日本人が、路頭に迷って、貧していれば、みんなで助けようとする国である。横断歩道、みんなで渡れば怖くない国であり、連帯責任は、無責任的な国なのである。むかしから、ずっと、そうだった。黒船がやってきて、西洋文明が入ってきて、文明開化が起きても、すべてを、言葉さえも、日本語化にしてしまった。だから、いくらやっても、日本人は、英語が話せない、話すのは、あくまで、日本語化した英語なのである。いくらやっても、日本語化した英語など、欧米人が理解できるわけではない。それが、日本なのである。

 

 太平洋戦争まえ、多くの学生は、だれが、お国のために命をささげるものかと思っていた。戦争など、ばかげている。大本営の人々でも、アメリカに勝てるわけがない、無謀な戦ほど、愚かで滑稽だと、うそぶいていた。みんな、そうだった。だれでもが、平和を願い、人殺しを憎んだ。しかし、一端、火ぶたを切ったら、祖国のために、命を投げ出した。ばかげていると言った人ほど、特攻を志願し、散華していった。ばかげている、くるっていると言った人ほど、勇敢に、命を散らした。矛盾であり、不条理である。しかし、それが、現実である。それが、日本なのである。負け戦と分かっていながら、行けば、やられるがわかって、戦へでていった武将のように、それが、日本なのだろう。戦争を美化するつもりはない、死を美化するわけではない。我々の祖先は、何故かわからないが、日本というものにしがみつき、まもり、そして、死んでいった人たちである。

 

 欧米人の歴史は、ヘブライから来ている。そこから、ユダヤ教、キリスト教、そして、イスラム教が、うまれた。同じルーツである。だから、そこに、彼らの歴史と文化がある。今の紛争は、或る意味、エゴとエゴとの衝突である。日本人からみれば、なぜという感覚である。同じ風土に、いろんな宗教が混在し、それを認めあう間柄である。ユダヤ教を信じていようが、キリスト教だろうが、念仏だろうが、学会だろうが、天理教だろうが、それでどうしたということはない。人に迷惑を掛けなければ、ご自由にという関係である。共産党支持だろうが、学会支持だろうが、キリスト教支持だろうが、人殺しなど絶対に容認しない。なにかあれば、呉越同舟も可能だからである。それが、日本なのである。

 

 年功序列が廃止される。能力主義になる。だからといって、アメリカのように、ベンチャー企業が起きることはない。マイクロソフト、アップル、FACEBOOK,グーグルのような企業は、日本では起きない。いくら、笛を吹いても、そうはならない。アメリカのように、自由に起業を起こして、市場を活性化しなければならないと言うかもしれない。日本からノーベル賞が、つぎつぎでるかもしれない。しかし、日本は、変わらない。日本は、いまでも、戦艦大和の国なのである。沈められる運命なら沈められてもしかたがない。アベノミクスは、結局、言葉の遊戯、実体はなにもかわらない。いつまでたっても、律令国家。貧乏になるから、官僚も貧しくなる。それも仕方がない。結局、リニアモーターで国家プロジェックトをつくり、そこに、最先端の導電性と絶縁性との複合テクノロジーを講じる。戦艦大和、新幹線、半導体、液晶、そして、リニアモーターへと、日本文化を作り出して行く。個人主義のアメリカでは、導き出せない、複雑系の妙技が、日本人みんなの力で、リニアモーター、そして、EV車、さらなるエコロジー技術を育てるはずである。

 

 誰だって、平和がいい、人殺しなどしたくない、差別のない平等で人が人として尊重されるのがいい、戦国時代でも、明治時代でも、戦争前の時代でも、みんな同じ考えである。戦争などしたくない、紛争などしたくない、昭和初期の学生は、そう思ったはずである。しかし、多くの人は、学徒出陣で戦場へ出ていった。そして、死にたくはないといっても、特攻を志願した人もいた。おかあさんや愛する妻の名前、恋人の名前を叫びながら、敵艦に突っ込んでいった人もいた。ばかげているが、事実である。日本はいつまでたっても戦艦大和の国、技術の象徴として作り上げた戦艦、最後は、沈められるとわかっていても、出航していった。それが、日本、ばかげているといっても、それが、日本なのである。