STAP細胞、やはり初期化されますか。とんでもない発見 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 若くてチャーミングな日本人女性(小保方晴子さん)が、とんでもない事を発見したものだ。これによって、これから、とんでもない事が起こるだろう。後100年、200年もしたら、今、難病で苦しんで、命を落としている人も、救えるかもしれないし、病理、バイオ、医薬、化学、医療、文化、哲学、宗教にも、とんでもない変化をもたらすような気がする。日本の有名な新聞がトップに掲載する意味もわかる。まず、10年以内に、ノーベル賞をとるぐらいの発見だと直感する。

 

 理研のプレスリリースを読めば、大体の事がわかる。検索してもらえればいい。自然界、特に、生物界の生態の中で何が起きているのか、それをみればわかる。外部の刺激により、分化した細胞が、初期の万能細胞にもどる。これが、生態の神秘の隠された謎を解くひとつのキーワードになるだろう。精子と卵子の結合から、一つの命がうまれる。一つの細胞が分化して、腎臓なら、腎臓を作る細胞、肝臓なら肝臓を作る細胞、膵臓なら膵臓になる。いままでは、一旦、腎臓なら腎臓に分化した細胞は、それを維持するだけで、元には戻らない、一方通行だと思われてきた。不可逆性だと信じられてきた。それが、刺激をあたえれば、程度の差はあれ、どの細胞でも起きりうることを実証して見せたのである。

 

 これは、発明ではなく、発見である。もともと、そうなっていたものを、これはこうですよと実証してみせたのである。因果関係を証明したのである。もし、この可逆性が証明されたら、病気に対する考え方が根本的に変わってくる。

 

 私は、昔から疑問におもっていた。なぜ、自分は、ネフローゼになったのか、かならず、それが起きる前には、一つの条件があった。外部からの強い刺激である。私は3度再発を繰り返した。何をしたら、病気になったか、大体、見当がついている。体内でも、細胞は入れ替わっている。完全な初期化はなくても、初期化に近いことが起きている。しかし、人間の恒常性機能が人間をある程度の範囲で制御しているため、ばらばらにならずにいる。そこに、強い刺激があれば、初期化の具合によるが、防御が弱い状態になるだろう、問題は、刺激は、乱れを誘発することである。持続されるノイズ、乱れが、初期化されそうになった細胞の情報を書き換えってしまったことだ。STAP細胞は、つまり、初期化は、短時間でおきると書かれている。短期間で、病気になったことが想像される。そして、病気が固定化される。

 

 なぜ、ステロイド(副腎皮質刺激ホルモン)で、病気が治ったか、理研のリポートには、副腎皮質刺激ホルモンを含む多能性細胞用の特殊な培養液を使用したと書かれている。なにかしらの因果関係があると感じた。これは、私の体感である。ネフローゼの治療として、100mgのステロイド(パルス)を3日間点滴させられた。その後、プレドニンをのまされたかが、点滴後、7日目に、たんぱくが完全に陰性になった。つまり、ネフローゼが治ったということである。それから、今まで、たんぱくは陰性のままである。自分で、どんな刺激を与えたらなるか、わかったので、もう、同じ病気にはならない。

 

 これこそ、強い刺激である。恒常性の支配を覆すほどの強い刺激である。ステロイドは、また、免疫機能をおさえる、つまり、自分で自分を乱し壊す作用を抑制した状態、或る意味、乱れが除去された状態、強いエネルギーを掛けても乱れていない状態だということである。その時、間違った情報をもった腎臓の細胞が、初期化され、乱れがない状況で、元の状態に、分化していったと感じている。つじつまがあう考えなのである。

 

 それと、私は、微細ナノ分散を行っている。ものに強い力を加える。その時、乱れのままに、強い力を加えれば、物は木端微塵になるが、その代わり、装置も壊れる。それでは、解砕はできない、微細ナノ分散はできない。私は、ステロイド治療と同じことをやっているのである。強いエネルギーをかけても乱れないような状態で、乳化、分散、解砕をおこなっているのである。そうすると、美しい秩序をもったナノの分散の世界が得られる。何かの力で凝集したものが、強い刺激によって、開き、離れ、つまりリセットされ、そして、乱れがない状態にして元にもどしてやれば、あらたな物が生まれるのである。私は、それを毎日みている。

 

 なぜ、信念の力で、心の持ち方で、病気がなおるのか、刺激+安定、乱れの制御、このSTAP細胞のロジックから、見える世界がある。一つの固定観念を打ちくだいた、とんでもない発見である。これから、どんどん、研究が進められるだろう。

 

 30年前に、筋ジストロフィーを患っていた友人が亡くなった。もし、彼が生きていたら、「おい、そうだろう、病気は治るんだよ、俺の細胞も再び正常になるんだよ、そうだろ」そう、私に問いかけるだろう。「あたりまえだ、だから、希望をもっていきろ」と私はいうだろう。もし、30年前にそれが分かっていたら、彼は、もうすこし長く生きれたとおもう。なぜなら、そこに希望があるからである。