超高齢化社会・高速ネット情報時代・社会がどう変化し何が起きるか、就活も変わる。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 事実として、二つの事が同時進行する。ひとつは、超高齢化社会である。その根底としてあるのは、老人の孤独死である。核家族化と少子高齢化の結果、老夫婦だけが残る。そして、どっちかが、先に行けば、後は、孤独死だけが待っている。そして、ますます、高速ネット情報時代の密度と精度が上がってくる。ますます、きめ細かく、スピーディになる。後、10年もしたら、とんでもない社会だろうし、もちろん、高齢化社会でなく、まちがいなく、高齢社会になっている。日本も大変だろうが、隣の中国も、ひとりっこ政策をとっている以上、後、数十年後には、日本以上の高齢社会が到達する。

 

 いずれ、高度成長時代に作られた、マンモス団地群の中で、老人の孤独死が当たり前になる。まだ、都心部はいい、都市には、資金があるから、NPOや市町村の団体が、見回りに来る。しかし、それも程度の問題である。全人口の2割を超えたら、もうお手上げである。しかし、数字的には、そうなる。老夫婦の心中や無理心中が、これから多発する。安楽死の範囲も緩められるはずである。それでも、高速ネット情報時代は、加速する。

 

 高齢社会になれば、まちがいなく、労働生産性は下がる。その分、自動化やPC化、人間の脳が機能していれば、いろんなものが、補えて、生きていけるだろう。その結果、介護や補助に対して、廉価に供給できるシステムやツールが市場を支配するはずである。年金・生活保護等、高齢化になれば、国の財政はパンクする。しかし、超高齢人口が2割を超えたら、その高齢者を無視した政策はとれない。その時、どうなるかわからない。しかし、日本は民主主義の国家である。互助の精神である。公明党や共産党の主張を取り入れた政策が実行しているはずである。お金のないのはわかっている。消費税をあげて、累進課税を上げるだろう、それで、この国の経済がまわっているかどうかわからないが、日本人の精神として、見知らぬ老人が、ひとりで餓死しようとしているのがわかったら、そのまま、見殺しにできる国民性かどうかである。慈悲と利他、慈愛や博愛を説く多くの宗教団体が、それをそのまま放置できるほど、それらが、いい加減な教えかどうかである。

 

 これから、既存の価値観が変化してくる。こうあるべきだというのが、こうあるべきではないと変化するかもしれない。かならず、流れが反転する。人類が生存できるためには、どこかで、ブレーキがかかり、元に戻ろうとする。戦争で、人類が滅亡すると現実見がでたとき、戦争放棄がでてきた。核軍縮がでてきた。それと同じように、家族のきずなといっても少子高齢化なので、その家族がなくなっているので、地域のきずな、血縁のきずな、連携(心の共鳴)のきずな、友情のきずなで、高齢者が結びつこうとするはずである。そこに、地域の民族性や信仰が絡んでくるかもしれない。もちろん、これから、高齢者の知恵をどうのように活かしていったらいいか、どのようにしたら、その知恵がお金にかわるか、を模索していくことだろう。具体的にいえば、老人の生産性をどうあげていって、老人のもっている知恵の付加価値をあげ、どのようにしたら、費用対効果がでるか、検討することになるだろう。地域の収益はそこから出る以外に、活性化の道はない。

 

 これが、近未来の日本である。当然に、企業の形態も変化する。経営者の手腕ひとつで、時代の波に乗れるか乗れないかが、決まる。今、業績がよい会社が、5年後、どうなるかなど、誰もわからない。高速ネット情報時代が加速すれば、ますます、経営者の責任は強くなる。だれでもが均一に情報が取れる時代である。医薬品の特許戦略以外は、確実に、もうかるものを長期間、独占することはできない。浮き沈みを作るのは、経営者の資質と手腕で決定される、まさしく欧米的な要素がつよくなる。なぜなら、高速ネット情報時代は国際化を加速しているからである。はっきりいって、どんなにいいものをもっていても、どんなに優秀な人材があっても、経営者がぼんくらなら、会社は、だめになる。今でも、業績をのばしている会社もあれば、赤字を生みだしている会社もある。これは明白である。

 

 高速ネット情報時代である。早く情報をつかんで、早く、市場をとることだ。先手必勝の論理が顕著になる。それが、「今、でしょう」の論理となっている。ぐずぐずしていたら、余計ひどいことになる。早期発見、早期治療で命は助かる。企業も同じ、その判断をするのが、経営者。まさしく、下剋上の乱世の戦国武将と同じ、この高速ネット情報時代に、まもりはない。攻める以外に勝ち目はない。信長も秀吉も家康も西郷も大久保も攻めたから勝ったのである。そして、引き際を考え、その絶頂時に、次の戦略を練ることである。

 

 就活で動いている若者に、その企業の経営者の資質や、次の経営者の資質などわかるわけがない。そして、今の若者が年寄りになれば、超高齢化社会になっている。企業の栄枯盛衰も顕著になっている。乗船した船が沈没するのか、それが豪華客船、夢の旅の船なのか、乗船しようとしている人にはわからなくなってしまった。確かに、昔は、それがわかった、だから、エリート進学校、有名な会社に就職するという絵がら、終身雇用、企業年金、豊かな老後が想像できた。今は、老人の孤独死が明日のわが身である。

 

 どう考えても、地方の老人の孤独死を防ぐためには、地方の老人の知恵を活かせる方策が必要になる。地方へ労働生産性のあるところを作らなければ、都市部一極は収まらない。付加価値をつけ、費用対効果をあげる。そこに、若者は夢を見るべきである。若者が地方にかえり、そこで、高速ネット情報社会にあったツールやシステムをつかって、地方を活性化させるべきである。そこで、自分の手腕を磨くべきである。もう、総論など不要、口実など不要、実行あるべき、まさしく、「今でしょう」しかないはずである。