nanoの芸能ブログ♪
3歳から子役 モデルとして活動。その後も大沢啓二が各タレント事務所に売り込みタレント活動も開始。子役タレントとして『天才てれびくん』などに出演。子役として早くから活動していたことで仕事が終わると1人反省会を行っていた時期もある。幼少の頃からタレント活動しているため、同年代のタレントよりも芸歴が長い。

2001年 以降、学習研究社 発行の雑誌(2004年5月まで『ピチレモン 』、以後『Fapri 』)にて専属モデル を務めていたが、2010年現在モデルとしての活動はほとんど行なっていない。番組でグラマラスな体型を強調する衣装を多く着用する一方で、タレント転向前後に複数の週刊誌で水着グラビアを披露した以外は、ほとんど露出をしない希有な存在である。

「将来はお笑い芸人 を目指す」と発言し、中島知子オセロ )が目標と語る。自ら編み出した持ちギャグもいくつかあり、「(右肘をさすりながら)こっちはジーコ 、(左肘をさすりながら)こっちはフィーゴ (この一連の動きを2回繰り返す)、(股間を指差しながら)じゃあこっちは?…(一呼吸置いて股間付近をさする手つきで)ベッケンバウアー ♪」などがある。

2時っチャオ! 』にゲスト出演した時には「自分の立ち位置は女優」と発言。しかし「トーク(番組)は戦場」「椅子には浅く座っていつでもツッコミを入れられるようにしておく」など、その行動原理は芸人そのもの。司会のホンジャマカ 恵俊彰 にそのことをツッこまれると「今は女優も喋れなければダメなんです!」と力説した。

ラサール石井上島竜兵寺門ジモン などと同様、祖父の啓二が東京出身であることもあり、大阪出身にもかかわらず、全国ネットの番組では標準語で話している。ただし、『クイズ!紳助くん 』など関西ローカル の番組に出演する際は関西弁を使うことが多い。

ハイヒールモモコ とは旧知の仲で、関西ローカルの番組では共演が多い。そのモモコの長男である仁一郎と同じ託児施設に預けられていたという事で、当時小学生だった彼女は彼の面倒もよく見ていたという話もあり、母親であるモモコとの面識も深い。

母親がある時期から家事を放棄したため、炊事、洗濯、掃除をすべてこなす家庭的な女性になったそうである。同じような境遇であるからか、若槻千夏 に可愛がられている様子が若槻のブログで述べられる。料理の腕は優秀な方で、2007年 5月23日 放送『愛のエプロン 』の「スピード料理バトル第2弾」では、予選お題の「7分でロールキャベツ作製」を見事にクリア。結果的には参加者4人の中で最下位に終わったものの、得点は79点と十分な評価を受けた。

沖縄 とそれに関するものが大好きで、友人たちと沖縄料理 などを食べに行くことで仕事の疲れなどをリフレッシュしている。

2009年 2月4日 、自叙伝『母ひとり、娘(こ)ひとり 』を幻冬舎 から出版する。同月16日 、劇団ひとりとの結婚を発表、翌17日 の未明にそろって婚姻届を提出した[2]

2010年 2月2日 に妊娠を発表[3] 、同年9月8日 に第1子となる女児を出産した。