玉置浩二 1973年 、ロックバンド 『安全地帯 』結成。1981年 、井上陽水 のバックバンドとして上京する。 1982年 2月25日 、キティレコードより『萠黄色のスナップ/一度だけ』で安全地帯メジャーデビュー。以降、『ワインレッドの心』『恋の予感』『悲しみにさよなら』など毎年のようにヒット作品を発表して人気を確立する。 1983年 、同郷の一般女性と結婚。 1986年 、映画 『プルシアンブルーの肖像 』で俳優デビュー。夫人と離婚。 1987年 、シングル『All I Do』でソロデビュー。 1991年 、シングル『胸の振り子』の作曲を担当したことを機に交際していた薬師丸ひろ子 と再婚。 1993年 、安全地帯の活動を休止しソロに専念。チャリティーグループ『USED TO BE A CHILD 』に参加。 1996年 、自らが主演したテレビドラマ 『コーチ 』の主題歌『田園』が大ヒットし、同年末の第47回NHK紅白歌合戦 への出場を果たす。バックバンドには本来のツアーバンドではなく、当時玉置と同じソニー・ミュージックエンタテインメント に所属していたTOKIO を据え、59.9%の歌手別最高視聴率を記録。放送後に売上をのばし、結果的にグループ/ソロ通じて初のミリオンセラーを記録した。 1998年 、薬師丸との離婚を機に軽井沢町 へ移住。所属レコード会社をBMGファンハウス へ移籍。 1999年 、ツアーバンドの一員でキーボード奏者の安藤さと子 と3度目の結婚。また、軽井沢にログハウス を建築。 2002年 、レコード会社をソニー・ミュージックエンタテインメントに戻し、約10年ぶりに安全地帯の活動を再開。2002年と翌2003年 にアルバムをリリースし、ツアーを行う。2003年いっぱいで安全地帯の活動を休止する。 2004年 、個人事務所・アンクルオニオンの設立を機に、ソロ活動に専念する。翌2005年、ソニー復帰後、初のソロアルバムをリリース。 2005年 、8年ぶりのテレビドラマ 、『あいのうた 』に出演。 2007年 12月1日 、安藤さと子と離婚。 2008年 、病気療養(急性膵炎 )のため、活動を休止。 2009年 2月25日 、日刊スポーツ の報道[4] を受けて、女優 の石原真理(石原真理子から改名) と婚姻届を提出したが石原の籍が前夫と婚姻したままになっていた為不受理に終わる[5] 。 2009年 9月4日 、石原真理と破局、と日刊スポーツ で報道される[6] 。 2009年 12月25日 、所属レコード会社により『蒼いバラ』のショートクリップが公開。 2010年 1月8日 、6年ぶりの「安全地帯」活動再開を発表。 2010年 5月8日 、青田典子 との交際を日刊スポーツ で報道される[7] 。 2010年 5月23日 、安全地帯香港プロモーション へ青田典子とともに出発 2010年 7月16日 、青田典子 と結婚