河井寛次郎 | ナンカナンカ

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実在しない虚構のお話。
なんかなんかのうそつき話。

2005-11-01 23:18:08

河井寛次郎

 先ほど、久しぶりに「開運なんでも鑑定団」を見ていた。

 そのなかで、河井寛次郎の紹介があった。

 私が、尊敬する陶芸家である。陶芸のことについては、まったくわからない。尊敬するのは寛次郎の生き方。考え方である。

 河井寛次郎(1890~1966、明治23~昭和41)

 島根県安来に生まれる。

 その作品は、はじめ、中国・朝鮮の古陶磁の手法を用いた伝統的なものであった。寛次郎は、その復古的な作品によって名声を博す。

 ところが、名もない日常使用される食器を見て、これこそが美だと直感する。「美」を追求しないところに「美」があると直感したのである。

 普通、名声を博した人間は、自らの生き方を180度転換することはできない。名声を博すれば博するほどますます、自らの名声を捨て去ることができないものである。180度の転換は、それまでの自分を否定することだからだ。ところが、この寛次郎は、それまでの伝統的復古的作風を180度転換させた。日常生活に根ざした重厚な作風に転換したのである。私は、この転換に敬意を表する。並の人間にはできないことである。

 河井寛次郎は、新たな自分を発見し続けた。作品を生み出すことが、寛次郎にとって新たな自己の模索だったのである。

 大正の末頃からは、柳宗悦や浜田庄司らとともに民芸運動に挺身した。

 私が、最も尊敬するのは、ある時期から、自己の作品に「銘」を入れることをやめたことである。芸術家として、その作品に名を記さないこと。これがどれほどの大きな意味をもつことだろうか。残された作品を見ても、その真贋は不確かなものとなるのである。当然、贋作は世にあふれる。

 あるとき、寛次郎に、贋作が出回るから、「銘」を入れるようにと忠告した人がいたそうだ。それは当然のことであろう。ところが、寛次郎は、その忠告を拒否した。そして、もし贋作が世に出回っても、その作品がすばらしければ、それでいいじゃないかと応えたそうである。

 本来、芸術作品とは、作者が作った「作品」を評価するのではなく、「作品」そのものを評価すべきであろう。「作品」そのものが優れていれば、「作者」は誰であっても、関係ないはずである。

 寛次郎は、自己の「作品」そのものを独立させる。寛次郎の生み出した「作品」は、寛次郎という「銘」の束縛を離れて、独立した「作品」となる。独立した「作品」として、自立し、本当の意味での「作品」となるのである。

 「銘」のない「作品」。作者の名がしるされていない「作品」。これこそが、真の芸術「作品」たりえるのであろう。「作品」そのものに意味があるのである。

寛次郎は、偉大である。「銘」をつけないことは、無名となることである。寛次郎は、無名となることを選んだ。寛次郎は、文化勲章や人間国宝という地位や名誉にも感心がなかった。寛次郎は、文化勲章も人間国宝も辞退し、生涯を無位無冠で通した。そして、「無名」たらんとした。

寛次郎が、禅を学んだかどうかは、知らない。寛次郎の行き方こそが、非常に禅的な感じなのである。

禅の世界・・・分節された世界から絶対無分節へ。普通に見えている世界は、分節化された世界である。寛次郎の復古的作風がこれにあたるのかもしれない。伝統の模倣。既に見えている世界をただ模倣する作業。寛次郎は、その伝統の模倣に満足しなかった。

寛次郎は、伝統的作風、すなわち目に見えている分節化された世界を捨てたのである。そこから解脱するのである。そして、絶対無分節の世界を見た。

絶対無分節の世界を見た寛次郎は、次に、その世界を分節化する。その分節化は、「本質」のない分節化である。「無名」の分節化。

寛次郎の作品は「無名」の作品である。

「無名」の作品は、絶対無分節の本質のない分節化である。それは、寛次郎の無名の「作品」は、分節化(日常世界)→絶対無分節→本質のない分節化、という意味での結晶なのである。

分節化(日常世界)→絶対無分節→本質ない分節化、という図式については、難しいので、井筒俊彦「意識と本質」を参照のこと。

また、以前、このブログの「銀色の翼」「得たいの知れない何か」のところで、関連のあることを書いた。読んでいただければ幸いである。

まだまだ書きたいことがあるのだが、今日はこのへんで・・・