今なお悲惨な状況の福島の原発事故


でも原発はなくならない・・・


子供達の将来はどうなるのだろう





事故当時、官邸は本当のことを知らされていなかった・・・


そんな事実を知り驚愕した




私がよくお邪魔するブログで「原発事故の真相」が掲載されています


一回目を転載させて頂きますが続きはgeoさんのブログ でどうぞ





原発事故の真相(1)


原発事故から10ケ月以上にもなると、今になってようやく、

事故直後からの一連の騒動の裏話が伝えられてきている。

新聞や雑誌に記載されたものに個人的な調査も加えて、

信頼し得る真相らしき情報を整理してみたので、

ここにシリーズとして掲載する。

なお、発言内容は記事をそのまま引用した。また、人の敬称は省略した。


(1) 研究者の辞表提出

 原発事故が起きた場合に何よりも重要なことは、放射能拡散の実態を

できるだけ速く実測し、それをもとに避難の計画を立案することである。

 3月11日午後の地震発生の瞬間、厚労省労働安全衛生総合研究所の

研究員である木村は居ても立ってもいられなかった。

放射線衛生学の専門家である木村はチェルノブイリ事故の現地調査に

取り組んでいたからである。

 翌12日の土曜日の午後、家に戻った木村は妻から「原発が爆発した」と聞かされた。瞬間、木村は「お父さん、しばらく家に帰ってこないから」と

長男に告げて家を出た。
研究所に戻って現地入りの準備をした。住民を放射線から守るためには、まず測定しなくてはいけない。それには速さが求めれる。

時間が経てば経つほど、測定不能な放射性物質が増えるからである。

 準備する傍ら、彼は信頼できる4人の研究者にメールした。

京大の今中哲二、小出裕章、長崎大の高辻俊宏、広島大の

遠藤暁である。メールの内容は、「今、すぐに調査しなければならない。

自分がサンプリングに行くので、皆で分析をしてくれ」というものである。

全員が「よし分かった」と、すぐさま返信してきた。

 しかし、彼が厚労省の研究者として現地に行くことは叶わなかった。

直後、所轄の上長から、勝手な行動はするなとのお達しがあったからだ。それでも彼は辞表を出して現地に出向いた。

彼には厚労省に入省するまでに多くの下地の苦労がある。

その話はここででは割愛するが、そんな経験が彼の気骨を

覚醒したのかも知れない。

いずれにしても、この国の研究者は辞表を提出しなければ正義を

守れない。
               「きよしのつぶやき」より