何となく、頭の中に浮かび上がってしまったのでネタにしてみる(笑)
 

この二つの作品はあらゆる意味で対照的だと思う。

 

「智代アフター」において智代は朋也が死んでしまったけれど、永遠の愛を信じて一人で歩き初めます。一方、「めぞん一刻」において、管理人の恭子さんは死んでしまった総一郎さんへの愛情が邪魔して、五代くんとの一線を越える事が出来ません。

 

意地悪な見方をすれば「智代アフター」における「愛」はその後の智代を縛る鎖でもあるわけで「智代アフター」は智代が鎖に縛られてしまうまでを書いた物語とも見えます。逆に「めぞん一刻」は恭子さんが強くなり、その鎖を断ち切るまでを書いた物語とも言えます。それを断ち切ってくれたのは五代くんなわけで。

 

「智代アフター」の作者の言いたい事は理解出来るけれど、それを肯定出来ないのは「永遠の愛」と言葉尻は綺麗に聞こえるかもしれないけれど、その実情がどうしても幸せに感じられない部分があるからです。智代と「めぞん一刻」で死んでしまった総一郎さんに縛られて次の恋愛に進めない恭子さんとがかぶってしまう。

 

だから物語としては美しくても、その主張に説得力が感じられない。それは、一人になってからの智代を描いていないから。実際に智代が幸せになったのならば、その様子を少しでも描写した方が良かった。言葉だけで「幸せです」と語られても……と思ってしまう。

 

逆にそこが描けないのが綺麗な世界しか書けないKEYの限界だとも感じるわけで。

 

 

 
参考:→「智代アフター」レビュー