東京エネルギー | 名無しの唄

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細川氏が出馬表明 脱原発を争点とする意義を菅氏解説
 14日、細川護煕元首相が小泉純一郎元首相とともに会見を行い、細川氏が都知事選への出馬を表明した。二..........≪続きを読む≫ 都知事選が始まる。
脱原発の手順を考えなければならない現代、やはり争点として、原発問題が取り沙汰されているようだ。
しかしながら、ここに問題がある。エネルギー問題に焦点が当てられているのではなく、あくまで脱原発が主張されている風潮である。

東京で、あるいは東京都政で、脱原発その一つを達成することは不可能であるように思う。
それは、東京では代替のエネルギーの生産施設を確保できないと考えられるからだ。

東京都政の一存で、原発を潰すことは、多分可能だ。
送られてくる電力に、東京都の裁量で税なり規制なりをかければよい。
確かに電力の消費という側面では、かなりの量を東京が占めているだろうし、そうであれば上の方法で原発の依存度や言ってしまえば利益を下げてしまうことが出来る。

しかしながら、それを東京都政で行った場合、上の通り代替電力が確保できない。
基本的には土地は狭く凸凹で人も多い東京の中に、その経済活動を支えるだけの電力を供給しうる発電所は立たないだろう。
つまり、東京都政で脱原発をするということは、東京への電力供給量を一方的に下げ続けることであり、つまりは東京における経済活動を滞らせることになるのだ。

経済なんかよりも人間の安全の方が優先だ、と脱原発を語る人ならば言うだろう。
しかしながら、当然事はそれほど単純ではない。
TOKYOと言えば、現代有数の経済都市であり、世界中の人間がその経済に乗っかって生きている。
TOKYOの経済活動が停止するということの影響は、日本一国にとどまらない。その停滞は、即ち世界中で幾億とも知れない人民の生活を脅かすことであり、その先には暴動や戦争が待っているといっても過言ではない。
いわば世界中の人間を人質にして供給を受け続けているのが東京の電力であり、存在し続けているのが原発なのだ。放射能の影響から人間を守ろうという優しい人々が、世界で起こる東京停滞の影響を容易に引き込むなんてことは勿論できないだろう。

経済は期待で動くものであり、現状止まっているからといってその状態を続けるという決定を下すことは、やはり決定的致命的な影響を与えるだろう。ここに再稼働論が生まれる。
しかしながら、地震大国日本で、原子力発電所を永く置き続けることは望ましくないというのもまたまごうことなき現実だろう。
そこで東京でできることは、東京都政で成すべきこととは何なのか。発想を変えなければならないだろう。

東京では、脱原発はしてはいけない。
東京でできることは、しかしエネルギー政策という枠組みまで考えれば大きいだろう。上記の通り多様な経済活動がそこに集中し、勿論優秀な研究開発機関の中枢も存在している。
エネルギー関連各分野への都政における投資は、原発に対する消極的政策ではなく非原発エネルギーに対する積極的政策は、大きな功を奏することが期待できる。
脱原発を焦点とする発想は東京においては失敗であり、経済から世界までを視野に入れた新エネルギー政策を掲げる政策こそが正解と考えられる。
勿論、原発よりも安全で、電力供給において現実的な発電機構が開発されれば、原発を残す理由はない。これこそが脱原発だ。

人の世は既に複雑だ。
近因と遠因の両方が致命的であり、それぞれ全てに関わっている生命がある。
現代社会において人命を救うことは、近視眼的な偽善でもって達成できる未来ではないのだ。