本文はここから
炭酸飲料を飲むということは、なんか損させられているのではないか、ということにある日思い至った。
炭酸飲料のペットボトルを、蓋を閉めて振って、それから蓋を開けると、泡が飛び出る。落ち着いた頃に確認してみると、ペットボトルの中のジュースの量は減っているのだ。
ただの水をペットボトルに入れても、どんなに振ったって飛び出るほどの粟は出ない、だから減らない。炭酸飲料は飲料と言いながら、水分ではない部分がたくさんあって、それは空気と消える類の物質なのだ。
これは損だ。そう思った。どんなに飲んだって、同じ量に見える水よりも水分補給ができる量は少ないのだから。
もしも砂漠に放り出されて、水か炭酸ジュースかのどちらか一方だけを一本くれるというのなら、水を選ばないと死期が早まるのだ。極端な話。
日本の夏は、砂漠とは言わないけれど中々に過酷だ。
冬春との落差激しい太陽の照り付けに加え、独特の湿気はむしろ強烈に水分を奪う。
日本の夏は非常にのどが乾く。だから大量に飲むのだ。
炭酸飲料を。
なぜだ。
損しているとわかっているのに、早死にすると思っているのに、それでも手に取ってがぶがぶ飲むのは炭酸飲料だ。
水分は確かに欲しい。水分をしっかりと摂取しないと、日本とはいえ本当に死んでしまう場合だってあるんだ。
それでも飲むのは炭酸飲料なのだ。それはなぜだ。
過酷な夏の猛暑とはいえ、猛烈に乾き強烈に身体が水分を必要としているとはいえ、欲しいものは水分だけではないからだ。
いついかなる時だって、そんなに単純明快で謙虚で遠慮がちな生き物ではないからだ。
そんな複雑な生き物が、夏を楽しみたいと図々しくも願うから、くちびるを叩きのどを打って消えていく炭酸が欲しいのだ。