おやすみなさいの矛盾と真理 | 名無しの唄

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おやすみなさい、というのはよくよく考えると奇妙な言葉だ。

おやすみ、の部分は、休んでいいよ、という実に柔らかい感じを受けるのだが、なさい、と言えば命令だ。

休むという、むしろ許されなくてもやりたいところの概念と、命令という、自発的には起こらないことを強制するという概念がくっついている。

それが、おやすみなさい。


眠りにつくとき、何を思っているだろう。

今日のことを思い出しているのだろうか、明日のことを考えているのだろうか、はたまた自分とは県警のないことを考えているのだろうか。

自分は手持無沙汰になると、頭が動く性質の人間なので、布団をかぶったその時間には大抵そうやって頭の中が蠢いている。

それはどちらかといえば、眠りから遠ざかることじゃないかと、起きている自分は今ツッコんでみたりする。


だけどそれでも人は寝る。自分に至っては、むしろ寝つきのいいほうだとよく指摘される。

今日の日の思い出を語りつくせず思い出すことも、明日の日の楽しみを心躍らせて考えることも、理論と妄想に際限なく突き進んでいることも、いつの間にか強制終了させて寝入ってしまうのだ。

いつ寝落ちたのか思い出せない、それはごく一般的な感覚だと思う。


人間はなぜ寝るのか。

それは当然だが、寝ないと人は滅茶苦茶疲れ、それが溜まると死んでしまうからだ。

脳内の蠢きが人間に許された最大の快楽である一方、その過ぎたるはやはり人を害するのだろう。

その結果を知る前に、大概の人は寝るのである。


寝るのが惜しいと人は言う。

寝ずにもいられると人は言う。

それでも大抵結局は、暗くなったら寝落ちする。

それは多分、その快楽を遮断することで、明日も明後日もその次も、その快楽を繰り返すことができるためなのだろう。

寝ないでいられたらと夢見ることは多々あるけれども、そんなに都合よくはいかないのである。

明日また生きて楽しむために、今日の快楽を遮断する。

おやすみなさい、の言葉の意味が、一周まわってわかる気がする。