勇気ある真面目 | 名無しの唄

名無しの唄

鼻歌と裏声の中間ぐらいの本気

とある漫画で、ノミと勇気についての論があった。
ノミは、ずっと体の大きい人間にも平気で近づいてくる。それは勇気だろうか。
否、ノミのそれは勇気ではない。
別段後ろを向くべく理由もなく、そうする他の志向性を持たず、そもそも選択という感性を持たない生物の行動は勇気ではない。
選択と感情の中で、それでも進む者の心が勇気であり、勇気とは人間の素晴らしさなのだ。

アリは、働き者の象徴として語られることが多い。
生きているうちは只管に食物を探し、身体の何倍もある獲物にも群がって、巣まで忠実に持ち帰る。
その姿は確かに人間に当てはめれば真面目と称賛される態度なのかもしれない。
しかしそれは、ノミと同じなのだ。
アリに選択肢はない。触手が反応するままに進行方向を決め、ホルモンに従って本能的に帰巣するのみだ。
そこには選択肢はなく、そもそも選択をしない。
それは真面目ではないのだ。

真面目は勇気と同じで、人間の素晴らしさなのだ。
休むこと、逃げること、誤魔化すこと、そういう選択肢がいくつもあって、それに気づいていて、それでもなお働き続けることだけが、真面目なのだと思う。
真面目は勇気と同じで、只に遂行することだけでなく、乗り越えてくることを示すのだ。

真面目と称賛するべきは、人間らしい人間なのだ。
楽を知っていながらも苦をやり遂げるその崇高が、真面目たる人間の在り方なのだろう。

アリって真面目だと思う? ブログネタ:アリって真面目だと思う? 参加中