疲れからくる睡眠はえてして快適なものだ。
数日間馬車馬のように働いて、体も頭も重たくなったころ、漸くと言っていいタイミングでの長時間休眠。
夢なんか見ないし、翌朝は目が覚めるまで寝ていられる。
その睡眠たるや、睡眠が人間という生物に根源的な欲求であることを深く実感させる魅力的な経験だ。
しかし一方、眠たくなるのは疲れがたまったときだけではない。
やることが無くて、時間を持て余して、もう寝てしまうしかないようなとき、人は「眠い」とつぶやく。
それが本当の眠けなのかどうかは、寝てみればわかる。たぶん嘘なのだ。
眠いはずなのにそれほど寝つきはよくなくて、寝たはずなのに寝起きは実に気怠い。
きっと、身体が本当に睡眠を要求していたわけではないのだ。
それでもその時、人は「眠い」とつぶやく。
睡眠とは休止状態だ。それは、短絡的瞬時的に見れば停止状態と似ている。
退屈は人を殺す、と誰かが言った。
退屈が人に死を促すがゆえに、人は退屈に際して休止状態を志向してしまうのだ。
つまりそれは、決して自発的な欲求ではなく、強制された結果に過ぎない。
睡眠は根源的な欲求ではあるが、その快楽は恒常的なものではない。
睡眠は根源的な欲求だが、そこには遡及できる要因が必要なのだ。
「眠い」とつぶやく精神に、健全な疲労はない。
「眠い」と言わず布団を抱きしめるその時にだけ、睡眠は感動的な出会いを演出する。
「寝たい」と感じることができる繁忙をこそ、人本来の欲求への必要段階であると覚えるべきである。
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