メタ視点からの思考と実証 | 名無しの唄

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メタ発言、などというと、漫画やアニメで特に最近よく見るだろう。

登場人物が、その世界が作者の描いた想像世界であることを自覚していて、そのことを皮肉ったネタを盛り込んだセリフを言うとき、それをメタ発言などという。


メタ、とは、そもそもは「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「-の後ろの」等の意味の、ギリシャ語における接頭語である。

ここで、ある世界や記述において、その次元を超えた形而上的または外部的な視点のことを、メタ視点と呼んでおく。

あるいは、「神の視点」などという言葉で洒落てみてもいいかもしれない。


ある記述において、書かれている内容を前提として思考を進めるのではなく、そもそもなぜそれが書かれたのか、という視点を持つこと。これが、メタ視点からの思考である。

そして、それが書かれた現場についての情報が一次的かつ現実的なものであると確認すること。これが、メタ視点からの実証であるといえる。


現代の国語教育において、ほぼ完全に抜け落ちている要素だ。

小説において作中人物の心情を問うことや、論文において文脈上の意味を問うことをしても、その作者についての情報はほとんど考慮されない。

これが現代の教育であり、大きな欠陥であると言える。


歴史においても、同じ視点が要求されるべきであり、そして今抜け落ちている、と自分は考えている。

史料批判、という言葉は、中学の社会科や高校の地歴ではまず聞くことは無いだろう。

しかしながら、歴史研究を行う上では、したがって‟真っ当に”歴史を語りたければ、絶対不可欠な要素だ。

史料批判とは、歴史についての事象が何に書いてあるのか、そしてその書いてあるものは信用できるのかどうか、という思考のことである。

歴史に関するメタ視点からの思考と実証は、即ち史料批判のことなのだ。

歴史認識問題などという与太話が議論される前に、そもそも何を以て歴史を語っているのか、という視点を獲得して議論を尽くすべきなのである。


現代、情報化社会を生き抜くにあたってメディア・リテラシーは不可欠だろう。

どの情報を信じ動くのか、それに自信を得るために、メタ視点からの思考と実証を習得することが大きな役割を果たすはずだ。


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