普通のことを普通に考えて | 名無しの唄

名無しの唄

鼻歌と裏声の中間ぐらいの本気

解散総選挙の時期は適切? ブログネタ:解散総選挙の時期は適切? 参加中
本文はここから

衆議院解散を機に野田氏の支持率が上がっているらしい。
曰く、正直さ・誠実さが如実に現れた解散宣言だ、と。
逆風を実感しつつも、他勢力を押さえ込むべく、見事な政治的判断であると。
そういうような話を聞く。

果たしてどうだろうかと思う。
普通に事を追って行けば、近いうち早いうちとはぐらかした挙句に不意打ちで解散した、という事実だと思ったりもするが。
そもそも、これも普通に考えて、人を巻き込む大きな事を起こすのであれば、事前に日取りを明示してお互い皆に準備を進めるのが、当然である。
社会として、人間として、あるべき普通なのである。
たとえそれが政治であっても、たとえそれが逆境であっても、こっちにとっては関係なく普通は普通の当然なのである。

今回は野田氏の解散宣言について論ってみたが、このような普通に対する攪乱は、特に政治与論において広く見受けられるように思う。
政治だから、経済だから、外交だから、なんだからと言いながら、無茶苦茶の所業を好評に持ち上げる。
人として普通、そういう観点が、若干の非日常に於いて麻痺しているのである。
政治家とて人間であり、信頼とはその評価に反映させるべき大きな要素である。
ならば、人間としての信頼において倒錯的盲目的な直情を容易に押し出すべきではないだろう。
冷静な、普通な判断でもって好みを形成するべきだろう。

総選挙は近い。
政治家は、そしてメディアは、様々の非日常を装飾とともに公開していくことだろう。
もちろん、政治経済を専門知識も交えた高度な解釈によって考察し、それを元に候補者・政党の過去の業績や未来への宣言を再認識することは、有権者として重大な任務だ。
しかしそれだけでなく、永く大きなものを任せる人間を選ぶにあたって、社会として人間としてあくまでも普通の視点を忘れないこともまた、満足な信頼を託すに必要なことではないだろうか。