前回年明け早々、愚痴から始まり

すみませんでした土下座

 

今回は、『がん性髄膜炎』について

書きたいと思います。

 

旦那さんもこの『がん性髄膜炎』にかかり、

一気にQOL(クオリティーオブライフ

(生活の質))が下がってしまいました。

 

この『がん性髄膜炎』とは、

腫瘍細胞が脳脊髄液を介して

脳表やくも膜下腔、

さらに脳室内や脳槽内に

進展・浸潤した病態で、

髄膜癌腫症や髄腔内播種(髄膜播種)

とも呼ばれます。

 

わかりやすく言うと、

脳や脊髄の表面に癌細胞が増殖し、

脳や脊髄をおおっている髄液の中に

がん細胞がたくさん浮かんでいて、

脳の表面全体に転移するような状態です。

 

この髄液中のがん細胞が生着してそのまま

固まりを作ったりもします。

 

脳の重要な神経は全て表面から出て行き、

脊髄からの神経も全て表面から出て行くので、

これらが侵されます。

 

それによって最も多い症状が脊髄からの

神経への影響で起きる、痛みです。

 

頭痛も起きますし、

大半の方が精神的な症状も起こします。

 

さらには半数近くで麻痺などの筋力低下

まできたします。

 

また、膀胱直腸障害といって失禁、失便して

しまうようにもなります。

 

原発性腫瘍の4.2%、転移性脳腫瘍の5.1%に

臨床的に診断されますが、未確定あるいは

無症状の症例を含めるとより高率になります。

亡くなった方の解剖例では約20%に

がん性髄膜炎を認めたという報告もあります。

 

この『がん性髄膜炎』は残念ながら予後不良と

言われています。

 

『がん性髄膜炎』は発症してから未治療の

状態では余命は平均で6週間程度と言われて

います。

 

しかし、これはあくまで平均としてです。

 

治療が行われて、その治療が効けば、

長くて6カ月から1年弱までその余命を

延ばすこともできると言われています。

 

 

旦那さんは、平成26年10月中旬頃から

頭の中をギューとされているような頭痛が

始まり、10月17日呼吸器内科受診時に

主治医に話し、急遽頭部CTと腰椎穿刺を

行いました。

 

そして、平成26年10月31日

呼吸器内科受診時に結果を聞きました。

やはり、髄液からがん細胞が採取され、

髄膜播種と確定しました。

 

この時に提案されたこれからの

治療方針は、放射線の全脳照射でした。

及び点滴による抗がん剤。

 

脳に直接薬を入れる治療法も

あるようだが、この病院ではやっていない。

どの病院で治療できるか調べようか?と、

主治医が言ってくれました。

でも、旦那さんは少し考えてみます、と。

 

やはり頭痛は酷くなる一方でしたが、

この日は、アバスチン点滴の日で、

アバスチンのおかげで、

頭痛が治まったんです。

アバスチンって凄いですよねカナヘイうさぎ

 

そして、家に帰ってからネットで色々調べ

ました。

しかし、その治療法は絶対効くとは限らないと

言うことで断念しました。

 

タルセバが効かなくなり、

ジオトリフに変更しましたが、

ジオトリフが効かず、結果CEA

(腫瘍マーカー)もぐんぐん上昇し、

結果『がん性髄膜炎』に・・・

 

先ほど治療して、

長くて6カ月から1年弱までその余命を

延ばすこともできると言われていると

書きましたが、

 

旦那さんは、

平成26年10月17日に『がん性髄膜炎』が

発症し、平成28年4月6日まで頑張れたんです。

 

もし、癌性髄膜炎にも効く新薬が開発され

れば、予後不良と言う文字も消えるかも

しれませんよね。

そうなることを願っています。

 

往診の先生が言っていました。

本当にここまで頑張れたことは奇跡だと。

 

何故、旦那さんが約1年6カ月もの間

頑張れたかと言うと、偶然が重なったこと

だと思います。

 

手術+治療

①オマヤリザーバー留置術

 水頭症となり、脳室が拡大したため、

    脳室の縮小と症状の改善の為

 (髄液が溜まったら、注射器にて直接この

      装置から髄液を排出できるようにする為)

②カルボプラチン+パクリタキセル 

     抗がん剤点滴

③放射線による全脳照射

  30グレイを10回に分けて

 

3回てんかん発作が起き、平成26年12月中旬に

余命は年内もつかどうかと担当医に言われる。

 

なんとか持ち直し、年が明ける。

 

④脳室が拡大し、それによる症状が出てきて

いるため、オマヤリザーバーでは対処

しきれないので、脳室から腹腔までシャント

で繋ぎ、脳室内の余分な髄液を腹腔に流れ

込ませるようにする手術を行う。

腹腔内にがん細胞をばらまくことになって

しまうが、自宅での生活を目指すため決行。

 

手術後、化膿しMRSAに・・・。

手術をしたシャントを何とか抜去しないで

すんだが、約3カ月入院し、ようやく

平成27年2月18日に退院。

 

⑤退院直前に担当医から抗がん剤を停止する提案

 ジオトリフを中止、12月初旬に行った

   点滴による抗がん剤から2ヶ月経っている

   ので、もしかしたら、またタルセバが効く

   のではないか?

 それに、抗がん剤を止めてしまったら

    生きる気力をなくしてしまうと担当医に

    話し、タルセバ開始。

 

⑥平成27年4月8日、緊急入院+緊急手術

 前回手術した化膿した時の膿が、

    腹腔内に溜まり、腸閉塞を起こす。

 開腹したら、膿だらけで小腸が癒着して

   いたので、小腸を取り出し、癒着を剥がし、

   お腹を洗浄し、もとに戻す。

 脳から腹腔に入っていたシャントを抜去。

 最初に手術した、オマヤリザーバー留置術を

 再度行う。

 2日後に、命の危険からは脱したと外科の

   担当医から言われるが、そこから肺炎となる。

 5月18日より飲水、内服開始。

 

⑦やはり今回も抗がん剤を停止することを

   言われるが、前回同様拒否。

   タルセバ再開。

 5月19日から食事開始。

 平成27年5月29日退院。

 

旦那さんは薬が飲めなくなるまで、

タルセバを服用し続けていました。

やはり、休薬期間があれば今まで効果があった

分子標的薬は効きます。

がん性髄膜炎にも効きます。

 

如何に癌性髄膜炎中に休薬期間をおけるかが、

カギだと思います。

 

旦那さんの場合は、

①オマヤリザーバー留置術

②抗がん剤点滴

③全脳照射 

④脳室から腹腔シャントをやり、

  髄液の調整をし、休薬期間を1回取ることが

  できタルセバが効きました。

 

そして、2回目は、

①腸閉塞により、脳室から腹腔シャントを抜去

 (シャントが詰まることもあるので、

       抜去したことが良かったかも)

②飲食ができなかったので、やはりここでも

 タルセバの休薬期間が取れたこと。

 

あとは、大好きな自宅で過ごせたこと。

そして、総合病院の主治医、看護師さん達、

往診の先生、訪問看護師・理学療法士、

ケアマネ、訪問薬剤師、訪問入浴、

介護タクシー等、すべての方達に助けて頂いた

ことが、旦那さんが頑張れた秘訣だと思って

います。

すべての方々に感謝、感謝です。 

 

 

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