信長は奇襲によって今川義元を討った桶狭間で、
義元が帯刀していたのが、名刀「左文字(さもんじ)」で現在は建勲神社が所蔵。
合戦後、信長は左文字に、
「永禄三年五月十九日
義元討補刻彼所持刀
織田尾張守信長」
と銘を打つほど、信長の喜びはひとしおだったのだろう。


で、その左文字が、
京都国立博物館・新春特集陳列、京都社寺伝来の名刀で展示中。

http://www.kyohaku.go.jp/
大名の今川義元が帯刀するからには、一級の名刀であるのは間違いなく、
銀鏡のように輝く刀身、
さらさ雪のごとき刀紋、
は魅入る美しさを備える
されど、
陳列ガラス越しで正確な計測ではないが、
刃渡りは貮尺足らず、50センチほど。
太刀として中途半端な短さ。
なるほど、今川義元が討たれたのは、
情報を重視した信長が奇襲を成功させただけではなく、
いざ敵兵と組んだ義元の左文字が短く間合いもロクにとれなかったために、
首をとられたのだ。


「京都社寺伝来の名刀」展示は2月12日(日)まで。