10)GDP概念への真の理解から、世界一の対外純資産の有効利用 #defle | Gokai(財政均衡式)のブログ 

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GDP概念への真の理解から、世界一の対外純資産の有効利用そして日本再生へ

GDPとは経済学用語ですが多くの人がその意味を間違って使っています。それはおそらくマスメデアが間違って使い、専門家である経済学者までもがその認識に引っ張られた結果でしょう。
もう一度原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。
このままでは間違った政策目標として定着してしまいそうな勢いです。

GDPとは国内総生産ですが、何の国内総生産かというと、それは付加価値です。
付加価値とは経済学では「販売額-中間財の額(仕入れ)」となります。
これは一般的な言葉で言うと“儲け”あるいは“利益”です。
そしてこの付加価値の総額は、国内で生産された最終消費財の総額に一致しますから、政府のGDPの集計は“最終消費財の総額”が対象になっています。

それゆえ、単価あたりの額が大きく、量が多ければGDPも大きく集計されてきます。つまり物価が高い国では、GDPも大きくなる傾向があります。

例えば2009年に中国のGDPが日本のGDPを超えたと騒がれましたが、
物価という観点からでは、
1990年ごろ、アンパン一個の値段が中国では5円、日本では100円でしたが、そのような物価でその時、
・日本の名目GDPは449兆円、中国のそれは56.3兆円でした。
このまま比較だと、「日本GDP:中国GDP=7.9:1」で中国は日本に比べGDP弱小国ですが
・これをアンパンによる購買力物価で換算しなおすと、
「日本GDP:中国GDP=「7.9:20」となり、1990年のこの時には既に中国のGDPの方が日本のそれの2.53倍だったことになります。
勿論その時の中国は、人口が13億人だったのですから,アンパン購買力換算による一人当たり実質GDPでは日本のそれよりかなり低いことも事実です。かといって、日本の経済力でその13億人をその時の中国以上に裕福に養えるかといえば、できないという事になります。

また、人間一人のエネルギー消費量が中国人と日本人のそれに差があるわけではありませんので、その時中国人が無駄なエネルギー消費をせず、生存の為に日本人の2倍の効率で消費したとしていたというような前提での、
・エネルギー換算によるGDPでは、人口比で計算しなおしますと、その時の中国は既に日本の5倍ほどのGDPを持っていたことにもなります。

・名目GDPでの比較
・アンパン購買力物価でのGDPの比較
・エネルギー消費と言う観点でのGDPの比較

・・・このように三つの観点から日本と中国のGDPについて大雑把にみてみましたがこのことからでも一般通念とは違う結果となり、
GDP至上主義に注意が必要なのがわかります。

他にもGDP至上主義に警笛を鳴らす事実もあります。

例えば、ある日の昼にAマーケットでおかずパンがひとつ200円で売り出しました。一個に付き150円の付加価値があります。一個売れるごとに150円のGDPが加算されていきます。
その全く同じおかずパンが20km離れたBマーケットでは一個150円で売り出され一個売れるごとに100円のGDPが加算されています。
これは、同じ数が売れたとしたら、Aマーケットの方がより多くのGDP増加に貢献したことになります。
もしこれがA地域では、お金持ちが多く、B地域ではお金持ちが少ないことによる結果だとすると、いま日本において、GDPが増加しない原因としてそれは、
・日本全体においてお金が少ないことが原因と推定させます。
・もしくはお金の偏在のために、活動性が高いお金が少ないとも言えます。

とすれば、
もしGDPを増加させたいのなら、この二点に対して効果のある政策が不可欠です。
それは、
・お金の総量を増やすこと。
・お金の偏在をなくすあるいは偏在の速度を弱めること。
・・・の二つの政策となります。

であるので、GDPとは実際の国の経済力や実態経済とは別の、国の金融政策によってすぐにその指標が変化させうる恣意的操作の可能な指標と言えるかもしれません。

ということは、

①名目GDPでの比較
②アンパン購買力物価でのGDPの比較
③エネルギー消費と言う観点でのGDPの比較

というこれら三論点のうち②③は、国力、あるいは実態経済と呼んでも良いかもしれませんが、
経済学定義での①名目GDPとは、この国力や経済力をさす言葉でないことがはっきりとわかります。
さらに、経済成長で、国内のお金が増えることもありません。
<経済成長とお金の増加の因果関係はないことの説明>
http://ameblo.jp/nanaminoyuu/entry-12086878466.html

とこのように名目GDP増加(経済成長)がはっきり国力や経済力やお金を増加させるのでないのならば、そのような目標を掲げることは、とんだボタンの賭け違いと言えるでしょう。
とここまで端折って書いてきて、はっきりいえることは、少なくともGDP至上主義は間違いであるということです。

(閑話休題)

これまでの考察でお気づきのように、
GDPは、
物価と消費個数という二つの変数で決定されます。
<GDP(最終消費財の消費額)=物価×消費個数>
この二変数で重要な違いは
“物価”についてはエネルギー消費に無関係ですが、
“消費個数”ではエネルギー消費に直接かかわる事です。
従って、物価という変数が増加(物価上昇)してもGDP増加で、
消費個数が増加しても同じくGDPは増加するとはいえ、
前者では、名目GDPだけの増加で、
後者では、名目GDPも実質GDPも増加です。
即ち、後者は経済が大きくなったともいえます。
しかしながら後者は、個数が増えた分だけ、エネルギー消費も大きくなります。

ところで天然資源であるエネルギー資源は、現時点では当然有限と考えたほうがベターですので消費個数が増えないほうが、エネルギー資源の可採年数(有効利用年数)が減り難いのはいうまでもありません。
また、日本の場合ですと、エネルギーの殆んどが輸入ですので、エネルギー輸入量の増減は、当然、直接国際収支にかかわる重要項目になっています。
もし国際収支の悪化が原因で、十分なエネルギー資源の輸入が不可能になれば生産量の減少から、消費個数を制限しなくてはなりません。
これは国際収支悪化要因によるGDP(国内総生産)の低下です。
そしてまた生産量の低下はインフレ要因にもなります。
何故なら消費需要に強くかかわる人口は変化が乏しく生産量の低下という要因に対処できないからです。

このような
・国際収支悪化からの国力の低下或いは実態経済力の低下への流れ
以外にも、もちろん例えば
・1990年からの日本のように国内のお金の総量を減らすことにより、それらが起きる場合もあります。
後者が現在の進行中のメカニズムですが、しかしそれを解決するために、前者のメカニズムを無視してよいわけはありません。

もし、GDP増加が必ず国際収支悪化を引き起こすのであるなら、
こちらは、丁度、金持ちのどら息子の跡取りが景気良く無駄遣いした挙句、せっかくの先祖代々の資産を食い潰す構図に似ています。

ではどうしたらよいのでしょう。
もちろんそれは、日本再生のためといってGDP増加を目標、言い換えればGDP至上主義をやめることです。
それよりもまずは、日本人の暮らしの安定を一番にすえることではないでしょうか?
この結果として、名目GDPが増えるのであれば、その是非を改めて検討すべき対象の概念であると名目GDPのその地位を貶めることだと思います。

幸い、日本は、先人達のおかげで、世界一の対外純資産という富を蓄えています。これは先人達の働きによって国際競争に打ち勝ち、その結果の国際収支の積み重ねの富です。
日本再生のためには、この富の有効利用がキーワードとなります。
決して金持ちのどら息子の跡取りのようにこの富の無駄遣いをしてはいけません。
尚、名目GDP増加が欲しいが為の、国土強靭化政策のようなものは、当に“金持ちのどら息子政策”といえるでしょう。決して感化されてはならない政策です。

日本再生とは、国際競争力の再生と言っても過言ではありません。
そしてこれは、国民への手厚い福祉政策や医療政策や教育政策などの人間重視の政策や研究開発によってこそなされます。
幸いなことにこれらは比較してエネルギー低消費産業です。
これら産業にお金を投入し、充実させて国民の生活の質を高めながら、国家による技術開発強化から国際競争力を再生することが可能になるはずです。

現在の日本はIMD国際競争力ランキングでは、2015年現在27位と惨憺たる状態になってしまいました。
「IMD国際競争力順位推移1990~2012」
http://www.kogures.com/hitoshi/webtext/ref-data/imd-wcy-overall.html
これはもちろん、1990年からの資産暴落から始まり、さまざまな社会システムの改悪や金融システム改悪がなされた結果です。

しかしながら、日本はまだ再生する余裕を残しています。
それが、世界一の対外純資産の366兆円であり、排他的経済水域(EEZ)を含めると日本の支配面積が世界第6位であることです。
これらを有効に活用することその方法にさえ気づけば、日本は再生できることでしょう。
それは、
日本は借金大国ではないという認識からまずは、始まります。