身体を万全に整えてから活動をするが、
物を書く、取材を、イベントに・・・というのは可能でもあり、
それも活動だと思う次第です。
それが、
ある程度、時間的に限られている。
ゆえに「やや活動休止」となるのだが、
まずは中野ブラックエンペラーの事を告げたい。
中野ブラックエンペラーは、
昭和52年に、
都内世田谷区内で行われた幹部会で、
関東連合とブラックエンペラーの会長を兼任するアベさんと、
赤坂初代に支部設立の許可を受けた。
関東連合は、
性格穏やかなアベさんを会長に、
その両脇を武力で支えたのが、
新宿マッドスペシャル初代と、
新宿ブラックエンペラー初代、
赤坂初代であった。
柳町光男監督のドキュメント映画「ゴッドスピードユー」で一躍、
ブラックエンペラーは、
”暴走族の代名詞”と位置付けると、
新宿マッドスペシャル初代は、
暴走族を引退し、
国防青年隊となり、
新宿ブラックエンペラー初代も、
暴走族を引退し、
花屋を営み、
後にヤクザとなる。
支部設立数ヵ月後に、
渋谷原宿表参道事件が起き、
アベ会長、神奈川のピカソさんなど、
最高幹部は逮捕。
赤坂初代は、
逮捕状が出てる身なのに、
都内杉並区で関東連合最後の集会の指揮を取り、
後に逮捕される。
その関係で一時的に集会は行われず、
引退せども、
裏方で力を持つ新宿初代は、
数ヵ月後に、
下北沢を本部に任命し、
誰が会長というのではなく、
各支部長の意見を尊重して、
集会を行うという連合形式で復活させた。
中野支部長は、
昭和54年9月まで私が初代として務め、
二代目としては、
明大右翼の実子に任せるが、
正式には、
創価学会と、
事業家の息子の3名が二代目である。
それは組織論でいう三角体制というやつだが、
何故に三角体制なのか?
私が初代の時は、
完璧な体制に作り上げるのに、
ワンマンさが必要ではあったが、
後を託すというのには、
又、
後を託されるには、
ワンマンな人物が不在だと思ったからである。
明大右翼の実子と言っても、
自身で単車に乗る訳でもなく、
後の幹部会には出席をせず、
ほぼ実業家の息子の方が、
単車にも乗れて、
幹部会に参加していた。
創価学会の方は、
独自で日産のハコスカを運転して、
走り回っていたが、
彼は支部設立初期からのメンバーでもあり、
私と同じ中学でも番長格で、
後輩たちにも慕われていたからである。
事業家の息子の方も、
明大右翼の実子の方も、
同じ中学だが、
慕われ方には少し違いがあった。
それは現在でも、
創価学会の彼の関係の仕事で、
私の7個下位までが働いている事で証明できる。
明大右翼の実子関係とは、
仲が良いのか、悪いのか、
よく分からんが、
各自が真面目に働いていれば、
「良し」という按配である。
後は私自身が、
如何に生き、
如何に行動で示すか?
中野ジロー連合バンド、
略して、
「NJR」は、
二曲の歌は出来てるが、
まだ後にCDに焼いて、
バンド的に完成させるには、
もう少し時間がかかる。
他に、
「覚せい剤違法薬物撲滅」や「暴力団離脱者前科者支援」としては、
たまに数件の連絡が私の所に入り、
相談に応じている。
まずは何事も自分自身の行動が、
自分自身に「結果として顕れる」という事をよく考えてみると、
こうして歯科治療とC型肝炎治療をしなくてはならないのは、
少年時代から、
私が不良として生きたからであろう。
一応、
後輩たちには、
何やら、
中野ブラックエンペラーは、
訳の分からんエンペラー商店街やらとは関係ないから、と告げてはいるが、
あくまでも私が初代として存在する以上、
各自にある程度の自由は与えてはいても、
私の言う事に従わないものには、
二度と、
中野ブラックエンペラーのOBとは名乗らせない。
(以上、中野ブラックエンペラーOBを名乗る者は心得るべし)
(俳優の渡部篤郎くんは、明大右翼の関係だが、あくまでも末端の末端であり、
芸能という中、各仕事の中で存在するヤクザとは良き交流として成功を望む)