久しぶりにこのブログに書き込みをします。
(写真はクリックすると大きく表示されます)
少し書き込みが遅くなってしまいましたが、去る8月6日(金)にソウルにある韓国の国立中央図書館に行って来ました。目的は同館に所蔵されている中西未銷『平壌と人物』(平壌日日新聞社・1914年)の原本を確認するためでした。
■国立中央図書館のウェブサイト(韓国語)
本の内容自体は、上記のサイトの検索ボックスに「平壌と人物」と入力し、ルーペのアイコンをクリックすれば、誰でも画像として閲覧することができます。ぜひ、みなさんも試してみてください。
クリックすると書誌データの表が表示されますが、その下にある2つのボタンの左側をクリックすれば中身が読めます。
さて、同書は『日本人物情報体系 72 朝鮮編2』(皓星社・2001年)に収められているのですが、秦重雄さんの調査によって初めて同書の著者の中西未銷なる人物が中西伊之助であることが確認されたのでした。
そのことは拙稿「中西伊之助文学に於ける<朝鮮>」(木村一信・崔在喆編『韓流百年の日本語文学』人文書院・2009年)の119ページに明記しておきました。
私は今年の2月1日から9月25日まで、釜山の東亜大學校で研究する機会に恵まれているのですが、出国前から秦さんにはソウルに行ってこの本の原本を確認するようにという依頼を受けていました。滞在6ヶ月目にしてやっと、そのお約束を果たすために、国立中央図書館に出かけることができたというわけです。
韓国国立中央図書館の場所は、ソウル特別市瑞草区盤浦路(ソチョ区バンポロ)というところで、いかにも昔は川縁の水草がぼうぼうと生えた地域であったのかと思わせる地名です。
別名「外環線」と呼ばれている地下鉄2号線に乗って「瑞草(ソチョ・서초)駅」まで行かなければなりません。
下の写真は「瑞草駅」周辺の様子です。
この一帯は新都市開発で開かれた街で、ここに政府機関や高等法院(日本の最高裁判所にあたる)などが建設され、移転してきています。
「瑞草駅」を降りて、北方向に10分ほど歩くと、国立中央図書館の入り口に到着します。
ちょっと写真ではわかりにくいかもしれませんが、正面にちらりと見えている山が南山です。
ここで左に曲がると、
私は初めて利用しましたので、まず事務室でコンピュータを通して利用者登録をしなければなりませんでした。そのときに外国人の場合にはパスポートか外国人登録証が必要ですので、ご注意ください。
利用者登録が済んだら、利用者カードを受け取ります。
このカードがないとロッカー利用、入退館、書籍貸し出しができません。
また、『平壌と人物』の場合には稀少書扱いで、通常は現物閲覧不可の書籍に分類されていましたが、事情をあれこれ説明して、閲覧と写真撮影の許可をいただきました。
しかし、所蔵場所がベルトコンベアでつながっている場所から離れているということで、書庫から閲覧カウンターまで運んでもらうのに時間がかかり、少し待つことになりました。
そうして、入館からかれこれ1時間ぐらいたって、ようやく閲覧ができました。
このように背表紙に金箔で題名と著者が刻印されていますが、名前のところにラベルが貼られています。
こちらの写真では蛍光灯の光が反射して写り込んでいますね。
閲覧室に写真台もありましたので、白熱球を灯して撮影してみました。
開いて表裏の表紙を撮影してみました。
表紙にはなにも表示がありません。
おそらく、販売時には箱かカバーが付いていたんでしょうね。
この写真の色がいちばん実際の色に近いように思います。
口には所蔵印が押されています。
裏表紙を開いてみると、図書カードがありました。
貸し出しスタンプが2つ押してありました。
分類番号は朝鮮総督府図書館の時代に付けられたものをそのまま利用しています。
寸法を測ってみましたが、高さ187mm、幅128mm、厚さ12mmでした。
これまで『赭土に芽ぐむもの』が中西伊之助の最初の著作だと思われてきたのですが、「幻の処女作」は人物月旦の実用書だったのですね。しかし、なかなかしっかりとしたカバーの付いた単行本でした。
はしがきで中西未銷こと中西伊之助青年は、確か、この本は平壌から日本に戻る渡航費の足しにするために作った本だみたいなことをちょっとシニカルに書いていましたけれど、初の著書が完成したときには、彼も感慨無量だったのではないか、そんなことを考えつつ、表紙をちょっとさすってみたりしました。
宿題をひとつ終わらせましたが、中西伊之助については探るべき謎がまだまだ沢山ありますね。(MK)