1敗1引き分けのジーコジャパンに対する現代段階での評価は表立ってない。概ね「奇跡を起せ!」や「やればできる」の精神論が連日連夜マスコミを中心に飛び交っている。「首の皮1枚」だとか「奇跡を信じて」という言葉は太平洋戦争末期(神風特攻、人間魚雷)の日本軍の大本営報道と同じように聞こえる。スポーツは娯楽の分類にはいるが、ワールドカップは、武器をもたない戦争に例えられるくらい世界中が注目している。冷静な評価やもっといろいろな意見があってもよいのだが、マスコミは祭りの後の寂しさが、早くもやってきては困るのだ。

話は違うが、先日、新刊本のプロデュースに関わった。その一節に「努力は報われない」という話があった。勝負には必ず勝者と敗者が生まれる。大学入試でも合格者と不合格者がある一線で分けられる。みんな勝者や合格者になるために努力を惜しまなかったはずである。あの甲子園で行なわれる高校野球でも優勝を手にするのは、全国で一校だけである。努力すれば報われるのであれば、それは「挑戦」ではなく「契約」である。「契約」には感動も面白さも生まれてこない。これだけのことをやってくれれば、優勝が与えられますというのが契約だ。

いまの日本社会に足りないものは、挑戦する心だ。そして努力は必ずしも勝利と引き換えにできないことを教えることである。今回のワールドカップは子どもたちと話し合ういい機会だ。努力は必ず報われないが、努力することで人は成長することを教えてほしい。あまり期待が大きすぎると冷静さを失い、自らの実力や状況を見失う。ゲームは楽しめばいいが、戦いである限り結果が求められる。週末には、親子でなぜ負けたのかを話し合って欲しい。