学部3年生の授業の一環で、ハイストリート ケンジントン駅横にあるジャパンハウス とついでに最近改修工事が終わって再開したレイトンハウス美術館に立ちよった。ジャパンハウスの一階は日本の高級品を扱うギフトショップで地下にギャラリーと図書室がある。実は私ではなく、モジュールリーダーがこの展覧会を見つけて遠足に組み込んだのだが、学生にはそう思われないかも。日本に関する展覧会はなまじ知識があるばかりに行かないことが多いのでジャパンハウスも初めて。バービカンで今年初頭に開催中だった日系アメリカ人イサム・ノグチ展に関してある学生に「行きましたか?」 と訊かれ、内心「ヤバい...行きそびれてた(-_-;)」と返答に困ったし。今年はインテリア・デザインの学生も教えているので、ちょうど飛騨の匠展はロングセラーの飛騨家具の展示もあって彼らには参考になっただろう。ただ、私自身は学生につかまってその場でチュートリアルになってしまい、展示をゆっくり見ている時間は無かった。日本に関する本ばかりの図書室が充実していたので、2年生で日本建築についてエッセイに書く学生がいたらここを紹介しよう。

 

 ジャパンハウスの後はホランドパークにある京都ガーデンへ。滝があって錦鯉もたくさんいる日本式庭園で桜の季節には花見もできる。今は紅葉が色鮮やかできれいだった。

 

 何よりもこの日圧巻だったのは改修され再開されたレイトンハウス美術館だった。たまたま京都ガーデンからの帰り道で駅に向かう途中この建物の前を通ったので、次の授業があって大学に戻る学生たちとは別れて、一人残ってヴィクトリア朝の有名画家フレデリック・レイトン(1830〜1896)の家だった建物と彼や友人たちのスケッチ企画展を鑑賞した。

 

  ロード・レイトン(ロードはサーより上)は上流階級出身の画家かつ彫刻家でイタリア留学中に24歳で描いた作品がヴィクトリア女王に認められ、若くしてロイヤルアカデミー会員になり大成功をおさめたという。優れた指導者でもあったらしく、後年ロイヤルアカデミー・オブ・アーツの教授になったし、ハイストリート・ケンジントンにあるこのレイトン邸の周りには数々のアーティストたちが移り住んで来て、芸術家村を形成したらしい。レイトン邸を設計した建築家ジョージ・エイチソンが他のアーティストの家もいくつか設計し、彼も結局レイトンの推薦でロイヤルアカデミー・オブ・アーツの建築学科教授になっている。しかし、レイトンの死後この芸術家村は直ぐ解散してしまったところから、生涯独身だったレイトン自身が相当魅力溢れる人物だったのだろうと推測できる。

 

  飾り気の無い寝室と、かなり小さなシングルベッドしかない様子から、レイトンの謙虚な性格が忍ばれる。一階のアラブホールには室内なのに小さな噴水があり、壁はターコイズブルーのイスラムタイル、天井は金色のドームでステンドグラスから光が入る。一方、客室の役割だったであろう、絹の部屋が素晴らしい。1階のアラブの部屋と細やかな木製ラティスを通じて繋がっているから、静寂の中で噴水の音を楽しめる。五感を使う建築方法はまるでフィンランドの建築家ユハニ・パラスマの『The Eyes of the Skin: Architecture and senses』(1993)を読んだんじゃないか?と思わされるほどレベルが高い。「殆ど宮殿並の凄い邸宅だ」と驚いた上に、各々の部屋にレイトンの人物像が反映されていることに、深い感銘を覚えた。「子供のように家も育てて行くことが大切」とのレイトンの言葉も印象的。家を見学したことで、主の人柄に惹かれたのは初めての経験かもしれない。

 

  とはいえ改修された階段を彩る新作アート作品は恰も工事中であるかのような印象を与え、各々の部屋が完璧なレイトンハウス美術館にそぐわないのが残念。現代アートでももっと古典的な素材を扱うアーティストの方が相応しかったのではないか。

ブループラーク        庭からレイトンハウス美術館を見る
室内に噴水があるアラブホール  アラブホール上部は絹の部屋に繋がっている
階段室            ナルキッソスホール            
地味なレイトンの寝室
絹の部屋のアルコーブはアラブホールに繋がる
絹の部屋

光溢れるアトリエにはモデル専用階段があるらしい。気が付かなかったけど。

 

短い動画だけど建物の雰囲気を掴んでいる

改修部分はこちらの動画で