昨年10月にハックニーからハリンゲイに引っ越して、アレクサンドラ・パレスが徒歩で行ける距離(約2km)になったので、日曜日にジョギングがてら行ってみた。大学院のころ台湾人の同僚がパレスの近くに住んでいて、「グレードII に登録された建物だよ、是非行ってみなよ」と言っていた。丘の上にそびえ立つ宮殿 (写真0) の用途は何?という疑問は現地で容易に解けた。実はホールが幾つかあって、いろんなイべントを開催する催物会場だった。パブやカフェ、スケートリンクもあるし。歴史を辿ると、この宮殿の設計はジョン・ジョンソンとアルフレッド・ミーソンでロンドン南部にかつて建っていたクリスタル・パレス(水晶宮)と一対をなす役割を担っていたらしい。クリスタル・パレスは1851年のロンドン万博用にジョゼフ・パクストンが設計したものだが、1936年に火事で全焼。アレクサンドラ・パレスも1863年から築10年で火事で外壁を残して消失。1980年にも火災で外壁以外の西半分が焼けたという。

 

 現地で初めて知ったのだが、パレスの東半分はBBCのテレビ放送記念博物館だった (写真1)。テレビの黎明期である1935年からBBCに貸し出され、アンテナ塔も設置されて、1956年まで主要なトランスミットセンターだったらしい。平面図(写真2)をみると小さいながらも、出演者の控室やメイクアップ室、スタジオなど最小限の設備が整っていたのが分かる。ロンドン全体を見渡すことができる高台に位置するので、このパレスが選ばれたのだろう。英国は近代化に関係する様々な事象の発祥の地なので、あらゆる事象が日本より随分前であることに驚く。NHKのテレビ放送開始は第二次大戦後の1953年で20年近く後。戦後とモダニズム建築の隆盛が一気にやってきた日本とは違い、英国ではずっと前から近代化が起こっているので、ビクトリア朝の装飾過多な建物と近代的なアンテナ塔のような妙な折衷*があちこちで見られる。授業でも使っているけれど、ビクトリア時代に建設された下水ポンプ施設が宮殿のようなデコレーションで飾られているのは、当時はそういうインフラ設備の建物がどういう形であるべきか、という概念がまとまっていなかったからだ、とか。

 

  また、英国の建物は長く存在し続けるので用途が時代によって変わるのが当たり前。アレクサンドラ・パレスも例外ではなく、BBCと平行して第二次大戦中はドイツ兵の収容所、第一次大戦中はベルギー人の避難所として使われたそうだ。

 

 現在も使われている温室のようなガラス天井のパームコート(写真3) は当時流行りで、今でもヤシの木が生い茂り、エジプト風のピラミッドを模した装飾が施されている。ロンドンのエジプト風デザインは珍妙な物が多いのも事実。このコートはマシな方だ。パームコートよりずっと「がっかり」だったのは、背面に位置するBoating Lake (ボート湖?)。ハイドパークのような洒落たカフェを期待して、丘陵を降りていったところ、カフェは普通の小屋だった(写真4)が、狭い湖にひしめく変なボート(写真5)にはショックを受けた。パリにはこういうボートはないだろう・・・ドイツのノイシュバインシュタイン城だって白鳥がシンボルでもこんなボートは無かったと思う。やはり英国はヨーロッパではないらしい。残念。

 

*Hvattum, M. (2001) "A complete and universal collection: Gottfried Semper and Great Exhibition" in Tracing Modernity: Manifestations of the Modern in Architecture and the City, London: Routledge, p. 132.

写真0: 丘の上にそびえ立つアレクサンドラ・パレス
 

写真1: BBCによる世界初のテレビ放送開始を記念(自慢)するブルー・プラーク

写真2: BBC 時代の平面図


写真3: パームコートはエジプト風デザイン。シロップだけのベルギーワッフル4.5ポンドは高い!
 

写真4: レイクサイドカフェ
 

写真5: ダメだ、こりゃ~、ヨーロッパ失格
 

丘の上で風が強いのは確かだが、BGMもなくただ風の音だけというこの動画は一体…