八月中旬の話になるが、学会で友人が日本から来る機会を利用して、十数年ぶりに夏休みを取ってドイツに住む友人とともにベルリンに集合した。そして、たまたま私たちが解散する数日後にロシア人ピアニストのドミトリー・マスレエフ君のコンサートがベルリンで開催されると聞き、滞在を若干延長して建築見学にも励むことにした(コンサートと建築、一体どっちが大切なんだか?)。

 

 コンサート会場のBerlin Konzerthausはドイツを代表する新古典主義の建築家カール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)の設計。ベルリンはシンケルの街である。ベルリンに来たとたん、どこでもかしこでもシンケルの名前が出てくる。旧ナショナル・ギャラリー(Alte Nationalgalerie)では風景及び建築画家でもあったシンケルの絵を多数鑑賞し、油絵らしからぬ建物の描写の緻密さや構図の巧みさに感銘を受けた。多才なシンケルは舞台デザインも手がけ、モーツァルトの「魔笛」で夜の女王が歌う場面の星空の背景も彼のデザイン。オペラ好きの友人も感激していた。ベルリンのミュージアム島では連続するイオニア式円柱ファサードが印象的なAltes Museum及びMitte地区と島を結ぶ橋Schlossbrückeが彼のデザイン。

 

 ところで、Altes Museum前の庭園Lustgarten (pleasure garden)には直径6.9メートル70トンを超える巨大な花崗岩のボウルが設置してある(写真)。人呼んで「ベルリン・スープボウル」。王室ご指名の石工Christian Gottlieb Cantianのデザインで7年もかけて1828年完成し、当時世界最大を誇った。用途は「権力の誇示」なので、世界最大ということ(だけ)に意味がある。プロイセン王Friedrich WilhelmⅢ世に対してCantianは「バチカン美術館にある皇帝ネロが造らせたボウルより大きい」という触れ込みで製作したという。一方、シンケルが設計した美術館内にはローマのパンテオンを基にしたドーム付のロトンダ(写真)と呼ばれる部屋がこのボウル専用にデザインされていたのに、出来上がったボウルが当初の予想を大幅に上回る大きさ。さすがのシンケルでも相当困ったらしい(笑)。部屋と巨大ボウルのバランスが悪いことを証明するために、彼は何回もレクチャーをしてプロイセン王を説得。最終的には美術館外部に設置することで話を収めたという。結局このロトンダは無駄な空間となり、現在はエジプトの小さな像が展示してある(写真)。ただこの像も小さすぎてドーム付きロトンダとバランスが取れているとは言い難い。また、ナチス時代には美術館前の空間を兵隊の行進を披露する場所として使うために、ボウルは庭園の北隅に追いやられたとか。おまけに、1981年に元の位置に戻す際、手違いで二つに割れたという。今はセメントで修復してあるけれど。

 

 このボウルの逸話は6月に参加した学会で美術史家の発表で知った。「ベルリンに行くなら是非見てらっしゃい。お勧めですよ。」と言われた。スライドで紹介されたボウル製作時の絵(図1)もボウル設置時の絵(図2)も旧ナショナル・ギャラリーで見つけたが、スライドを見た時は製作時の磨きあげられた絵は写真だと勘違いしていた。時代を考えたら、写真であるはずがないのに、緻密に描かれていて分からなかった。やはり実物を見ないとダメだ。多面的な才能溢れる天才シンケルの失敗談は、彼を身近な存在にしてくれた。現地にはボウルに関する説明が全くないので、この発表を聞いていなかったら、気付かずに通り過ぎていただろう。Berlin Konzerthausでのコンサートの話は後日まとめる予定。

 

  

シンケル胸像    「ベルリン・スープボウル」            ロトンダ

 

 

図1 ボウル製作時(Wikipediaより)      図2 ボウル設置時(Wikipediaより)