2017年3月7日(火)の連続ツイートになります。

 

 

 

松下幸之助 一日一話「大西郷の遺訓」①西郷隆盛が次のような遺訓を残している。「国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからといって地位を与えてはならない。地位を与えるには、おのずと地位を与えるにふさわしい見識がなければならない。功労があるからといって、...
posted at 23:00:27

 

 

松下幸之助 一日一話「大西郷の遺訓」②...、見識のないものに地位を与えるということは国家崩御のもととなる」と。これは国のことであるが、事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある、だから重役にしようとなりがちであるが、...
posted at 23:01:10

 

 

松下幸之助 一日一話「大西郷の遺訓」③...、この点は充分に注意しなければいけない。あくまでも、功労ある人には賞をもって報い、その見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。
posted at 23:01:28

 

 

人の上に立つリーダーは私利私欲を捨てて正道を歩むことが求められますが、南洲翁遺訓の冒頭を飾る一条は、リーダーにとって羅針盤となるものであると言えます。
posted at 23:05:28

 

 

①廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道(てんどう)を行うものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)くその職に任(た)ゆる人を挙げて政柄(せいへい)を執らしむるは、即ち天意也。
posted at 23:06:14

 

 

②それゆえ真に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労(くんろう)ある共、その職に任(た)えぬ人を官職を似て賞するは善からぬことの第一也。官はその人を選びてこれを授け、功ある者は俸禄(ほうろく)を似て賞し、
posted at 23:06:40

 

 

③これを愛し置くものぞと申さるるに付き、然らば『尚書(しょうしょ)』(書経)仲虺(ちゅうき)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」とこれあり、徳と官と相配(あいはい)し、功と賞と相対するはこの義にて候いしやと請問(せいもん)せしに、
posted at 23:07:01

 

 

④翁欣然(きんぜん)として、その通りぞと申されき。(西郷南洲翁遺訓 遺訓一条)
posted at 23:07:39

 

 

(訳)政府にあって国の政(まつりごと)をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない。だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、
posted at 23:08:25

 

 

その職務に忠実にたえることのできる人に政権を執らせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである。従って、どんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職を与えてほめるのは善くないことの第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、
posted at 23:09:15

 

 

功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるで、それでは尚書(中国で最も古い経典、書経)仲虺(殷の湯王の賢相)の誥(こう)(官史の任命する辞令書)の中に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、
posted at 23:09:45

 

 

徳と官職とを適切に配合し、功績と褒賞がうまく対応するということはこの意味でしょうかとたずねたところ、翁はたいへん喜ばれて、まったくその通りだと答えられた、という意です。
posted at 23:10:19

 

 

稲盛和夫さんは、この一条に出会った際の衝撃を著書「人生の王道」にて次のように述べておられます。
posted at 23:12:53

 

 

①リーダーたる者、いささかの私心もはさんではならない、と徹底的に利己を否定する西郷に、私は身震いさえ覚えました。なぜなら、私も当時は、完全には割り切ることができていなかったからです。...(中略)...経営者である私は、創業時と何ら変わることなく、必死に仕事に励み、
posted at 23:15:58

 

 

②個人の時間など一切ありませんでした。昼夜分かたず、まさに四六時中、働きずくめであった私は、当時、次のように考え始めていました。組織とは、本来無生物だが、経営者の意志や意識が吹き込まれることによって、あたかも生物のように、ダイナミックに活動をし始める・・・
posted at 23:18:28

 

 

③そのように組織に命を吹き込むことこそが、トップである社長のつとめなのではないだろうか。ならば、社長である自分が京セラのことを考えている間は、京セラという組織は生きでいるはずだが、個人に戻り、私のことを考えているときには、組織も機能しなくなってしまうのではないだろうか。
posted at 23:19:55

 

 

④...(中略)....つまり、深く考えた末に、自分自身のことは犠牲にしてでも会社のことに集中する、それがトップたる者の努めなのだと思い始めた、ちょうどその頃に、先ほどの『南洲翁遺訓』の一節にであったわけです。
posted at 23:23:32

 

 

⑤...(中略)....トップに立つ人間には、いささかの私心も許されないのです。基本的に個人という立場はあり得ないのです。トップの「私心」が露(あら)わになったとき、組織はダメになってしまうのです。常に会社に思いを馳せることができるような人、
posted at 23:26:33

 

 

⑥いわば自己犠牲を厭わないでできるような人でなければ、トップになってはならないということを、西郷の教えにより、私は確信するようになりました....(後略)(稲盛和夫さん著「人生の王道」より)
posted at 23:27:25

 

 

私心とは、野心とも言い換えて良いものです。自らのちっぽけな野心を満たさんがために経営者になったリーダーが率いた組織が疲弊していくことは明らかな事です。稀に、一時は偶然の繁栄を見せるかもしれませんが、時間の経過と共に必ず衰退していくということを歴史が証明しています。
posted at 23:31:58

 

 

具体的な例としては、世襲制のある企業で甘やかされて育った3代目であったり、自らの私腹を満たさんがために作られた企業において、従業員からの搾取などが当たり前のように行われている企業などが挙げられます。
posted at 23:35:56

 

 

野心の大局にあるのが、志です。志とは、自らを犠牲にしてでも、社会のため、人のために行動することであると言えます。志がなく、人の上に立つ人格すら持たないものが、能力だけで無理して人の上に立つと、下の者が苦しむだけではなく、自らの無能さや徳の低さで、自らを苦しめることになるだけです。
posted at 23:41:38

 

 

現代において問題視されているブラック企業も、元を辿ればリーダーに相応しくない人間が、なまじ小手先の能力や知識があるが故にリーダーになってしまっているのが原因であるとも言えます。しかしながら、労働人口の減少によって、この先はブラック企業は生き残ることが難しくなると言われています。
posted at 23:44:30

 

 

正当な方法で利益を得、正当な報酬を従業員に支給できるホワイト企業のみが生き残ることになり、ブラック企業を淘汰していくとされています。働く側の立場で考えれば当然のことであると言えます。ブラックとホワイトの両方から求人が出ていれば、皆ホワイトを選びます。
posted at 23:46:25

 

 

働く側としては、ブラック企業が淘汰されてしまうと、働ける企業が減ってしまい給与が減ってしまうのではないかと心配にもなりますが、逆に給与水準は上がるだろうと言われています。
posted at 23:49:18

 

 

ホワイト企業にとっては、ブラック企業という競合他社がなくなることで、利益を得やすくなります。ホワイト企業は、正当な方法で、正当な利益を得て、正当な給与を支払いますので、企業の利益が上がれば、当然給与も上がります。
posted at 23:51:39

 

 

加えて、同じ産業におけるブラック企業が消えることで、産業全体に対する消費者のイメージも向上し、その産業を利用する消費者が増えることになります。
posted at 23:52:52

 

 

ブラック企業やブラック経営者など、国民一丸となって叩き潰しましょう!!
posted at 23:54:34

 

 

以上、本日の連ツイでした。(おわり) 後ほどタイトルをつけて、ブログにアップ致します。 ※この連ツイは即興で書いているため、誤字・脱字はご了承ください。
posted at 23:55:13