名古屋ミセスの痛快ブログ<7足のわらじ> 
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川にいるものを作ろう!

両親の生活の手伝いをはじめ
1年と7ヶ月たちました。
いろんな事件は日々ありますが
なんとか私も親も同居のリズムが
できてきて
私も日曜は主人と出かけられるようになりました。
ので、昨日は朝イチから北に向かい
車の中でイベントを探す。
そしたら岐阜県美術館で
参加型のワークショップがあるのを
発見!
「大平由佳理」さんの
「川にいりものをつくろう!」と
いうイベントを目指し
初めてきました岐阜県美術館。
 
 
 
 
当日無料参加で
大きな川にみんなで
何かを作り泳がすというもの。
始めは置いてあった柄の紙の
インスピレーションで
金魚を作ってみようと
でもそこでも「マツイズム」発動!
 
 
人とは違うものを!と思い
立体に挑戦。切った廃廃材もつかい
三匹作り
 
 
 
最後に青い魚を作ろうと思ったけど
そうだ!アクア・トトにいる
大好きなアロワナを作ろうと
 
 
 
大きい紙をつなげ
30分くらいかけて完成!
 
 
 
 
超大作ですね!と先生にも
ほめていただきました。
なかなか満足なアロワナちゃんの
できあがりです。
 
 
大平由香理先生、スタッフの方々
楽しい時間をありがとうございました。
介護で自分の時間を十分とれない中
こうやって 何もかも忘れて没頭できる
ものづくりが一番楽しいし
さて、うちに帰ってまた頑張ろうと
思うことができました。
 
 

蛇池の桜

朝イチて耳鼻科に薬をもらいに行こうと思い
ちゃっちゃか、家事をすませ
両親もデイサービスに送り出し
植木の水やりもすませ
バイクで走ったら
まだ実家周辺のことがわからず
また道を間違え、ウロウロ。
やっとたどり着いたら
なんと水曜日休みでした。
仕事に行くには早すぎるので
また蛇池まできて桜見物。
なーんて素敵な風景。
ほとんど一人占め。
 
 
ここは娘が生まれる前の日に
大きなお腹を抱えて
花見にきた場所。
娘は蛇年。
神社の看板によると
「この池に大蛇がでるうわさがあり
信長さま、自らでて蛇を探したという。
しかし10日池の水を抜いたが
蛇はでて来なかったらしい」
それで蛇池という名前がついたとか。
あー、知らなかったし
また、私と信長さまがつながっていました。
娘が生まれて33年経ち
こんなことを知ることができました。
こんな穏やかな時間を過ごすことが
できることに感謝です。
ありがとう、ありがとう♥️

実家暮らし1年が経ちました

また事件が起こりました。

父のお兄さん(91歳)がなくなりました。
電車で一駅のとこに
お兄さんの家があるので、
父は駅まで歩き電車に乗って
行こうとしたようです。
しかしながら、父は、たぶん
300メートル先の歯医者に行くのが
精一杯ですから、
一キロ先の元駅があるところまで、
途中で二回転んだようで、
行きつけなかったようで
引き返してきたようです。
まあ、実は駅はもうないですし、
おじさんは、病院で亡くなっており
たぶんすぐ、葬儀場で
父の記憶では、家は探せなかったと
思います。
うちに帰ったら 父の額には
血のあと、足も傷だらけ。
その日、次の日はまだ動けたのですが
3日目、足と体が痛く 起き上がれないと。
仕方がないので、主人を呼んで
部屋から出して車に乗せるまで
お母さんが転んだ時はそんなに
大変ではありませんでしたが
男の人の体はかたく、体をこちらに
預けてくれないので 本当に大変でした。
外科に行きレントゲンをとってもらいましたが
骨折はなく、それでもかなり痛みがあるので
膝に注射器をさすと 二本分の血液がでました。
ので、MRIを撮ってきた方がいいと言われてしまいました。
なんとかまた うちに連れて帰り
痛み止めをもらったので 次の日の
お兄さんのお葬式には連れていくことができました。
久しぶりに兄弟や親戚にあうことができ
お兄さんとのお別れもちゃんとできたと思います。
さて、そしてその次の日
月曜日だったので 身内はみんな仕事があり
車を出してくれる人がいなかったので
介護タクシーを手配してもらいました。
すごく天気がいい日だったので
快適な介護タクシーにのせていただき
名古屋城の横を通り、次々と新しいビルに生まれ変わっている
栄までいきました。
検査の結果は 骨折はなく挫傷、全治1〜2ヶ月になり
ギブスをはめる生活になりました。
1週間はそんな生活に慣れるのに父も私も苦労しましたが
母が倒れた時に買っておいたポータブルトイレが役にたち
さすがに2階にはもうあがれないので
1階にベットを用意しました。
本当にうちの両親は骨が丈夫で
身体能力はあるので 痛みが少しひくと
いろいろ動いてしまうので それがすごく怖くて
仕方ありませんでした。
さすがにお風呂は私では入れられないので
母と一緒のデイサービスに行くことになりました。
二人一緒に行ってくれれば 私は安心して仕事にいけます。
と20日たち、そろそろギブスともお別れですが
そうすると 自分が怪我をしたことも
すぐ忘れてしまい、いろいろ動きだしてしまうけど
体はすっかりついていけなくなっているので
また2週間くらいは 様子をちゃんと見ていなくては
と思っています。
と、父が動けない間、仕事にいけず
私も家でじっとはできないので
不用品を探し出し処分したり、
自分がいる部屋の模様替えをしたり
体がクタクタになるくらい掃除したりしました。
そんな感じで 早1年が経ちました。
またとりあえず 1年頑張ってみようと思っています。
 
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