794) 早春の奈良井で出会ったキハ91系急行「きそ」(S48年) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 779) の続きです。


 撮影日は別ですが、キハ91系季節DC急行「きそ」を。


 779) の記事で、後にとりあげます、と書いておきながらすっかり遅くなってしまいましたし、そもそも房総にちょっとゆかりのある車両でもあるので、今回とりあげたいと思います。


 それまでの国鉄標準形式のエンジン:DMH17形。

 キハ17系、同55系、同20系、同30・35系、同45系、同58・28系などで大増産、その信頼性ゆえに全国に普及しましたが、勾配線区でのさらなるスピードアップ、サービス電源追加などに対応するために昭和41年に次世代型システム(エンジン・変速機など)の試作が始まりました。


 その前にS35年製のキハ60形(DMF31系エンジン)で試作はしてはみたものの、水平シリンダーが原因という潤滑不足によるピストンの焼き付きやら直結2段変速の切り替え時に発生する衝動で、失敗昨といえる結果でした。試験当初には久留里線、S40年に改造されて付随車代用や準急用、さらにDMH17系エンジンに載換えられて急行として総武・成田・鹿島線で「水郷」等にS50年3月改正前まで使用されていました。急行が電化されたあとは久留里線に戻り細々と運用されていましたが、S53年までに全廃されてしまいました。


 キハ91系は、最初キハ90 1 とキハ91 1 の2両が房総西線で試験が始まりました。S41~42年ごろと思います。当時小学生だった私は見にゆくことはかないませんでしたが、試験で走っているらしい、といううわさは伝わってきました。


 2種あったうちのキハ90形はDMF15HZA形300PSエンジン(直列6気筒1500cc、Hは横置きHorizontal、ZAが付いているようにターボチャージャー、インタークーラー付き)を1基搭載、キハ91形はDML30HSA形500PSエンジン(180°水平対向V型12気筒3000cc ターボチャージャー付き)を1基搭載で両車の性能を比較する目的でした。


 S42年、房総西線での試験結果から、勾配線区では300PSでは2基搭載する必要があるので、コスト面と、将来の冷房用電源搭載スペースを考慮すると500PSの方が有利、と結論付けられ、DML30HSAが正式採用となりました。キハ90 1 はS46年にエンジン・変速機をキハ91と同じ仕様に載せ換えられて キハ91 9 となりました。


 また、長期耐久試験のため、急行列車1往復に試験的に運用されることになり、キハ91 2~キハ91 8 と キサロ90 1~3 の計10両がS42年7月に追加製造されました。そして季節急行「きそ」1往復にS42~S48年ごろまでの6年弱 限定運用されていました。


 ↓写真はそのころの6801D急行「きそ」です。


730324-38  1209 6801Dきそ3号。 804Dきそ2号を待

 S48(1973).3.24 12:09ごろ奈良井に到着した 6801D「きそ4号」

 名古屋9:30→木曽福島11:45→12:36塩尻12:41→12:53松本

 定期の「きそ」は夜行も含めて全て長野発着でしたが、この1往復のみは松本発着です。


 804D「きそ2号」を待避するため奈良井で5分ほど運転停車。最後部8号車にはキハ91 4。3枚折り戸や屋根上のラジエーターが目をひきます。

 8号車までありますが、1両欠の7連で運行されていました。  



730324-41 1号車塩尻方ヨリ キハ91 6・

 4号車にキハ91 9 を発見してメモしながら興奮していました。目をひくペイントの違う3枚折り戸、美しく埋め込まれたシールドヘッドランプ、優美なカーブを描く前面窓。

 この隣り5号車にはキサロ90 2。


 1号車塩尻方←キハ91 6・キハ91 3・キハ91 5・キハ91 9・キサロ90 2・キハ91 ?・キハ91 4(8号車)←名古屋方

 たった1両のキハ 90 1 を改造編入したキハ91 9。この季節急行は当時他の機会に1~2回見たと思いますが、いつも キハ91 9 は中間に組成されていて、もう1両の試作車キハ91 1 を含めてとうとう先頭に立つ姿は見ることができませんでした。



730324-39  1211  6801Dきそ3号 キサロ90

 5号車のキサロ90 2

 クーラーを駆動させる電源装置搭載のためキサロとなったグリーン車ですが、屋根上のクーラーは153系などで見られた初期の形態です。キハは非冷房でした。


 窓越しの向こうに旧型客車の屋根が見えています。調べてみると828レで、長野8:45→16:49名古屋。同区間を8時間以上もかかっていますが、当時の普通客車列車はこんなものでした。特急「しなの」なら名古屋~長野間を3時間52分~3時間57分で、その差はきわめて大きいです。

 828レはこの奈良井に12:04着。6801Dと交換とともに804D「きそ2号」を待避します。この804Dは6814D季節「つがいけ1号」(信濃大町10:21発)を松本で併結します。

 6814D「つがいけ1号」は春臨では期間中毎日運転でした。大糸線を含め当時の方がなにかと便が多かったですね。


 この年の夏、S48年7月には中津川~塩尻間の電化が完成。急行「きそ」はほぼ165系電車(神領電車区配置)に置き換えられ、キハ91系は高山本線「のりくら」に転じました。


 平坦な房総西線ではわからなかったのに、勾配線区である中央西線転向後に問題が発覚したことに、機関の冷却性能不足、というのがありました。

 とくに上り勾配で小断面の長いトンネル通過時に、自然通風式の屋根上ラジエーターでは冷却力が不足しオーバーヒートが頻発した、というのです。量産車では補助送風ファンを屋根上放熱器間に設置したりしましたが、本格的な強制冷却するにはエンジンの出力を食ってしまうので難しかったそうです。


 この問題は高山本線でも続き、残念ながら S51.9.3には急行「のりくら」でさよなら運転。車齢がたった10年未満と若かったので帳簿上すぐには廃車できずに、S53.8.31になってから名古屋工場で除籍・廃車されました。今年H28年は、キハ91系が「のりくら」を去ってからちょうど40年ということになります。


 これらキハ91系で試作開発されたさまざまな結果は、エンジンDML30形は性能(最高速度やブレーキ系統)を調整したうえでキハ65形、キハ66・67形、さらに大幅なデチューンのうえキハ40系などに継承されました。また制御系統や冷却システム(屋根上のラジエーターなど)はキハ181系へ継承されました。また、落選したエンジン キハ90のDMF15形は12系客車以降の床下電源セット用のエンジンとして制式採用となりました。


 ↓ おまけで、鳥居峠付近を散策していたときに通過した9828D。

 キハ26 300番台(元1等合造車キロハ25)+キハ17。

 826レと828レの間 3時間半をうめる臨時列車で、木曽福島行きだったかと思います。千葉県でも見られたキハ26の格下げ車ですが、こちらは400番台ではなく300番台。種車がキロか キロハかの違いだったかと思います。信州にもわずかに見られたキハ17、キハ10。勾配線区ではきつかったのかまもなく無くなりました。


730324-11  9828D。キハ26 300番台(