タトゥーの近代化はいつなのか?
著書「タトゥー・エイジ」の中で、僕は、タトゥーの歴史は、人が人として自覚した頃、つまり、人間が生まれた時にさかのぼるのではないかということを書いた。
では、現代のタトゥーにつながる、タトゥーの近代化は、どこでおこなわれたのだろうか?
僕は、その舞台をポリネシアではないかと考えている。
そんなことを、僕はツバルへ行ってみて感じた。
特に、ニュージーランドからサモアまでのラインは、強力にそれを推し進めてきたと実感している。
ポリネシア地方がタトゥーと深い関わりがあうということは、トライバル・タトゥーの源流をたどれば、一目瞭然である。
しかし、この、ポリネシアのタトゥーは、それまでの時代のものとは、明らかに違うところがある。
それは、言ってみれば、意志を感じられるということだ。
それまでの文身(いれずみ・ぶんしん)は、一言で言うならば、神と一体化するための証だったと言っていいだろう。しかし、ポリネシアのそれには、自己というものが存在しているように感じられる。
己と家族、一族のために、命を懸けて、太平洋の荒波を、カヌーで航海してゆく時、人々は、己を見つめ、 神に語りかけ、そして、最後には、己の力で全てを乗りきって行ったのだろう。
ポリネシアに住む人々は、全てが、そんな勇者たちの末裔なのである。
己の証としての現代のタトゥーは、彼らが生き抜いたという証から始まったのだと、僕は考えている。