長塚智広オフィシャルブログ「ダッシュ長塚のsave the earth 」Powered by Ameba
いつも応援をありがとうございます!
2009年、2010年と茨城県の方にはいろいろとご指導いただきまして有難うございました。
自分を鍛えなおすべく、2011年から院生になりました。
勉学は難しいですが、競技との両立を目指して頑張ります!





1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

御礼 引退のご報告

応援をしていただいている皆様へ

自転車競技者としまして、競技生活を引退するご報告をここにさせていただきます。

茨城県取手市に生まれ、自転車競技が好きで15歳、高校一年生から続けてまいりました。

アトランタオリンピックのメダリストである十文字貴信先輩の背中を追いかけ続けて、地元の茨城から福島、東京、また茨城県内をすみずみまで走るような自転車少年でした。一カ月に自転車で5000キロ乗ったり、筑波山はトレーニングのために500回は以上は登ったと思います。

その後に2000年から3度のオリンピックにも出場し2004年では運よく銀メダルをとることができました。

その際には日本国民、またメディア関係者の皆様に大変お世話になり、心から感謝しております。あらためて御礼申し上げます。

メダルをとった際に、ファンの方からある一通の手紙が届きました。
「いままで自分の夢をあきらめていましたが、長塚さん達の走りを見て、自分の夢に再チャレンジしています」
その後もう一通の手紙がまた届き、
「夢をかなえることができました、有難うございました」という手紙をいただきました。

最初にスポーツの力を感じたのは25歳か26歳の頃で、自分が走るだけではなく、逆に力をもらう事を実感しました。

引退理由は、36歳になった今、自転車競技者としてすべての事をやりきったという気持ちからです。

自転車競技生活を振り返りますと、競輪選手としても何とか国内のG1を優勝することができました。

2011年には不幸にも東日本大震災が発生し、支援といってはおこがましいですが、日本代表級のトップアスリート共に、福島にも継続的に支援に入っています。また同時に、早稲田大学大学院では野球の桑田真澄さんの担当教員でもある、平田竹男先生にご指導をいただきながら、被災地の子供たちがスポーツを通じて、メンタルを回復し、さらに上を目指し、困難なことにチャレンジするという論文、「トップアスリートによる被災地における継続的スポーツ教室の効果」を発表する事ができました。これは支援を受ける方だけではなく、日本代表級のアスリートもメンタルがさらに上を向くという事がわかり、メダルをとった時のスポーツの力の可能性について確信に変わった出来事でした。
被災された皆様と一緒に、スポーツや被災地の力をまとめ上げることができ、関係者の皆様には心から感謝申し上げます。これにより、スポーツの力が本当に凄いんだというような、自分の中で確固たる自信ができた次第です。

今後は2020年の東京オリンピックにむけて、オリンピックメダリストとして、日本の社会に今までの御恩と経験を還元できるような活動をしていきたいと思います。


これをもちまして、引退のご報告とさせていただきます。
現役17年間応援をしていただきまして、本当に有難うございました!

どうかこれからも宜しくお願いいたします!

36歳になりました

36歳になりました。

お祝いメッセージを、たくさんたくさん、有難う御座います!

36歳の誓い。
東京オリンピックが近づく今、メダリストとしての経験を生かし、東アジアの国との民間交流、国家や地域社会のお役に立てる活動をしていきます。

まだまだ勉強不足な私ですが、今後とも皆様からのご指導、ご支援を宜しくお願いいたします。

長塚智広

謹賀新年

皆様 明けましておめでとうございます。

年末のグランプリでは数多くのご声援を有難うございました。
叱咤激励を多く頂戴しますことにも深く感謝申し上げます。

本年も、競輪、社会貢献に精一杯チャレンジしていきたいと思います。

これからもどうかよろしくお願いします。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>