数学はひらめきではない | naganomathblog

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永野数学塾塾長日記は
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皆さんは
「ひらめきのある人は数学ができる人 
 ひらめきのない人は数学ができない人」
と思っていませんか?実はこれは大きな誤解なんです。確かに数学の問題集の解答には、自分が思いもつかないような格好よいスマートな解答が載っていることがあります。そんな解答を見るたびに、
「こんなの思いつかないよ~」
と嘆いてこられたのではないでしょうか?そして、
「結局、私には数学の才能がないのね…」
と挫折感を味わいつつ諦めてしまったのではないでしょうか?

でも、決してこのような「ひらめき」=「数学の力」ではないのです。真の数学の力とは他の人が思いもよらない「ひらめき」によって、人より早く解答にたどり着く力ではなく、どんなに困難な問題であっても、一歩一歩論理的に解答に近づいていくことのできる力のことを言います。

ではなぜ数学の問題集の解答には、一見「ひらめき」に頼ったようなスマートな解答が載っているのでしょうか?この答えは単純です。印刷物にはいつも紙面の制約があるからです。私もこれまで何度か問題集や参考書の類の執筆をしてきましたが原稿の発注を受ける際には必ず、「○○ページでお願いします」あるいはもっと厳しい場合には「○○行でお願いします。」と制約がつきます。
そういう状況においてはどうしても解答の一部は端折るざるを得なくなってしまうのです。それでも、解答のエッセンスだけはできるだけ原稿に残すように努力はするのですが、そのエッセンスを繋ぎあわせた必要最低限の解答はその問題が分からない人からすると
「え?なんでこの行の次にこれが来るわけ?」
「こんな変形をどうして思いつくわけ?」
「この補助線はどうして引けるわけ?」
と?マークがたくさん浮かんでしまうことになります。

でも、一見ひらめきに満ちているように見えるその解答の「行間」には泥臭い地道な思考のプロセスがきちんとあって解答者は「必然的」にその答えにたどり着いているのです。皆さんは学校の先生や塾の講師や家庭教師に教科書や問題集の問題について
「ほら、こうすればできるでしょう?」
と格好の良い解答を見せられて終わりにされてしまった経験はありませんか?
そして
「なんだか分からないけれど
 ああやれば解けるみたいだからこれは覚えるしかないな…」
と無理やり自分を納得させてきたことはないでしょうか?でも、それでは数学の力はまったくつきません。数字を変えただけのような類題が出れば、解法のあてはめによって解けることもあるかもしれませんがそれは数学の力とは関係のないことです。

私は数学を教える際に最も大事なことはその解法に至る「行間」をどれだけ生徒さんに見せてあげることができるかだと思っています。
ひらめきではなく、ましてや決して暗記ではなく論理の上で必然的にその解法にたどり着いているその思考のプロセスを言葉を尽くして説明する ことこそ数学を教えることだと思っています。

実際に永野数学塾ではこのような信念のもとに解答の「行間」を出来るだけ教えるようにしています。一見ひらめきのように見えた解答にきちんとした地道なプロセスがあることを知ると生徒さんはみな安心したような笑顔をみせてくれます。そしてそんな生徒さんが「数学って楽しいですね!」と言ってくれるときはまさに教師冥利につきる喜びです。






永野数学塾-東大卒講師の個別指導-神奈川県大和市中央林間