琉球国の武士たち | 本部御殿手  如是我聞 如是我見

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琉球王家の一つだった本部家に秘かに伝承された本部御殿手 多聞館のブログです。
ブログは”私はかくの如く聞き、かくの如く見ました”という内容です。


今年は台風が全くやってこないので雨が少なくメッチャ暑くて、

しかもワタクシ持病の腰痛でダウン気味に過ごしています。 ダウン



そんな中読み進んでいる”御冠船夜話”の本に幾つか興味をひく記述がありました。


その一つに最後の琉球国王の尚泰王が聞得大君の宣徳様の85歳の祝宴の時に国王自ら

「かぎやで風」を踊られたというヶ所です。

国王さえも踊りを舞われるほど首里王府では琉球舞踊が武士の素養の一つだったのでしょう。


この「かぎやで風 (御前風 ぐじんふぅ)」はめでたい席で踊る踊りの代表的なもので

上原先生も朝勇先生の遺歌をこの踊りの曲にのせてよく踊っていました。


朝勇先生の遺歌のこの歌詞を御前風の曲に載せて「武の舞」を踊ります。

    

    按司方の舞方 ただうむて見るな 技に技する奥手やりば




又組踊の役者の富原盛勇さんと云う人が朝基先生と一緒に武者修行をした”武士”だった

と云う記述もありました。


武士という表現は沖縄では腕っ節が強いとか武術家をさす言葉なので女形を演じる人が

武術の心得があったと云うのは面白いですね



そして、この本の中に安室親雲上の正装の様子が描かれていましたが、当時の首里王府では城内での正装は朝衣(ちょうぢん)に大帯(うふ ううび)で頭には冠の「はちまち」を被り履物は駒下駄で足袋がはける人は王のほかには按司・親方までだったそうです。


上原先生のお話では朝勇先生が首里城の演武会の時は足袋を履いておられた、と仰っており

それで本部御殿手では演武をする時は素足で行わないのだと先生から聞きましたので

(なるほどな・・)と改めて納得しました。



これは義村朝義按司の朝衣を着た正装です。足袋をはいていらっしゃいますね。
義村朝義氏は一説によると朝勇先生と従兄弟にあたるそうですが裏付けできる文献は

未だ見つかっていないようです。  写真はお借りしました。


本部御殿手  如是我聞 如是我見


威厳があって御殿の方らしい誇り高いようすが伺えます。


義村御殿の当主(父親)と朝義さんの御兄さんは親中派だったらしく中国に亡命したそうで、

廃藩置県直後は様々なことがあったようです。