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松帆の浦。
来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ 藤原定家
神戸製鋼の保養所の私有地内にある歌碑は、初代社長の揮毫だとか。恵美須神社が浦を見守る。


 京都の繁華街、新京極通と六角通が交わるところに誓願寺というお寺があります。また、少し南に下ると誠心院というお寺があります。ふたつとも、平安時代の歌人である和泉式部にゆかりの深いお寺です。
 和泉式部は恋多き女として知られ、道長からは「浮かれ女」とからかわれ、同僚の紫式部からも「けしからぬかたこそあれ」(『紫式部日記』)と評されています。夫ある身でいながらの為尊親王、続く弟宮敦道親王との恋愛は、京の都をだいぶ騒がせたようです。とりわけ、敦道親王との恋愛は『和泉式部日記』に詳細に描かれ、私たちは二人の恋がどのように始まったのかを知ることができます。それはまるで恋の作法のお手本のような、女と男のやりとりです。『和泉式部日記』から学ぶ、恋の作法を見ていきましょう。
 
 
 その一 恋はあきらめから。
 「夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば」は日記の冒頭になります。この前の年の六月、恋人であった為尊親王は病のため亡くなっています。夏の終わりに最愛の人を失った式部は悲嘆に暮れて日を過ごし、季節は巡り、また夏がきたのです。夏になって草木は再び生い茂り生命力を漲らせるけれども、亡きあの人は帰って来ない。女の眼は草木の陰が広く濃くなっていくほうに向き、自らの暗い心を眺めています。男女の仲のはかなさを痛感した女の喪失感。日記を通して、女はどこか恋に対してのあきらめの態度を見せながら、だからこそ相手を強く求め、また受け入れています。「もう恋愛はいいや」と思った時ほど、男の人が近づいてくることってありませんか?それは女が無意識に醸しだす人恋しさや、相手への寛容さがあるからです。
 
 その二 恋は共感から。
 そんな女のもとに敦道親王から橘の花が届けられます。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(『古今和歌集』)を踏まえ、敦道親王もまた、夏になって亡き兄為尊親王を思い出しているというメッセージです。あなたもまだ兄の死を悲しんでいるのではありませんか?そうした思いやりもみえます。一年近くの月日を孤独に嘆き悲しんでいた女にとって、同じ悲しみを共有する人がいてくれたことがどれほど救いに感じられ、慰められたか知れません。二人の心が近づくために一番必要なものはこの「共感」ではないでしょうか。誰にも分からない、でもこの人なら分かってくれるかもしれない。そう思ったときに恋は始まるのです。
 
 その三 恋は勘違いから。
 女は男に心を開き、歌を詠みます。「薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると」——「お兄さまと同じお声か、あなたの声を聞いてみたい」というものです。大胆とも、誘惑的ともいえます。この歌は敦道親王の声ではなく、亡き為尊親王の去年と変わらぬ声を聞きたいといっているとする解釈もありますが、歌をもらった敦道親王からしてみれば、「女は自分と会いたいと思っているのだ」と受け取れます。女のことばはちょっとした勘違いを引き起こさせるぐらいがちょうどいい。和歌と同じように、メールも短いことばで相手に思いを伝えます。ひょっとして気がある?と思わせるようなことを書いて、相手にされなかったとしても、別にそんなつもりじゃなかったと自分に言い訳もできる。今でも充分に有効なテクニックです。
 
 その四 恋は加減から。
 女から歌をもらった男は喜んですぐに歌を返してきます。「おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや」——私が兄と同じ声だということをあなたは知っているのでしょう?とからかうような、女の恋心を確信して調子に乗っている感じの歌です。変わらないのは声だけではなく、女への自分の思いも変わらない、といった気持ちも含んだ詠みぶりで、すっかりと恋歌の風情になっています。男は橘の花を送ってから返事が来るのをずっと邸の端で待っていて、かなり女の反応が気になっていたのだと分かります。そこで先程の歌が届いたので浮かれたのでしょう。自分の恋心も訴えて、そしてきっとまた女がすぐに歌を返してくれると思ってる。でも、来ない。女は「つねはとて御返り聞こえさせず」と冷静です。男は焦れて、告白したことを悔やむような歌を続けて送る。女ははぐらかした歌を返す。しばらく「しばしばのたまはする、御返りもときどき聞こえさす」といったやりとりが続きます。男は「しばしば」女は「ときどき」。このペースで男の気持ちは次第に高まり、ついには「まことにものおそろしきまでこそおぼゆれ」——自分でも怖くなるくらいにあなたのことが好きでたまらない、なんて告白をしてきます。
 
 その五 恋はやさしい嘘から。
 二人の恋は、この後紆余曲折していきますが、一番やっかいだったのは敦道親王の嫉妬心でした。もともと兄の恋人であり、また恋の噂も多かった女でもあり、自分が年下ということなどから、「さきざき見たまふらむ人のやうにはあらじ」——あなたが今まで付き合ってきた恋人たちとは違いますよ、とか、「恋と言へば世のつねのとや思ふらむ」——恋なんてあなたはよくあることだと思うでしょうが、とか、ちくちくと女に言ってくる。でも女は「さきざきはいつかは」——今までなんていつのことでしょう、とか、「はじめてものを思ふ朝(あした)」——今朝初めて恋の物思いを知りました、とか、あくまでも初めて恋をした女性のように答えています。少なくとも兄が恋人だったのですから、嘘としてはバレバレの下手な嘘ですが、こうした嘘が相手にとっては大事になります。自分を「一番の恋人」と思ってくれているのだ、と嘘が自分への愛情に受け取れるからです。知られている事実までとぼけるのは無理、というのなら、こういう言い方はどうでしょう。「こんなに好きになったのは初めて」いつの恋にも使える殺し文句です。
 

 和泉式部は情の深い人だな、と日記や歌を読むほどに思います。紫式部のような理性的な人には目に余る「けしからぬ」行動もありますが、それだけ人を愛することに一途で情熱的だったのでしょう。為尊親王に続き、敦道親王も四年後に亡くなります。可愛がっていた娘の小式部内侍にも29歳の若さで先立たれます。愛する人を失った時の和泉式部の歌は、多く残されていますが、その歌に湛えられた尽きせぬ悲しみが、和泉式部が深く強く人を愛したことを伝えてくれます。
 和泉式部の晩年はあまり知られていません。誠心院に伝わる『和泉式部縁起絵巻』によれば、晩年誓願寺に参籠した折に夢に現れた尼僧に告げられたとおり、南無阿弥陀仏の念仏を毎日唱え、出家してからは誠心院に籠り、遂に女人往生を遂げたそうです。平安時代、誓願寺は元誓願寺通小川西入、誠心院はもともと道長の法成寺の東北院内の一庵で、現在の京都御所の東側の荒神口のあたりにありました。鎌倉期になって誠心院が誓願寺の南に移転し、室町時代に豊臣秀吉の命でふたつとも現在の地に移されたそうです。誠心院境内には和泉式部のお墓があります。
 深く人を愛したい人、愛されたい人、罪深い恋をして救いをもとめている人。深く人を愛し、愛され、女人往生を遂げた和泉式部にあやかれるよう、このふたつのお寺にお詣りしてみてはいかがでしょうか。

梶井基次郎の『檸檬』の舞台を歩いてみました。

みやこしるべ~京都観光案内ブログ~-八百卯


檸檬を買った八百卯は、今年2009年1月に閉店!悲しい。


みやこしるべ~京都観光案内ブログ~-丸善跡


丸善跡。移転して河原町通りにあったお店もだいぶ前に閉店しています。寂しいですね。

祇園、四条通にある美術館。

便利なところにはあるけれども、今までなんとなく通り過ぎていた。


みやこしるべ~京都観光案内ブログ~-何必館


たまたま特別展をやっていて、展示作品はちょっといまいち。北大路魯山人の作品が地下に並んでいたのが良かった。常設展の時にまた行こうかな。

三条大橋のスタバも床が出ていた!さすが京都。


みやこしるべ~京都観光案内ブログ~-納涼床

高島屋横にあるカフェ。ビルの奥の階段を上って入る、隠れ家的な雰囲気。


みやこしるべ~京都観光案内ブログ~-timepeacecafe