戦後の日本は警察の検挙率が高かった。しかし、その多くはむりやり犯人をでっちあげた冤罪例が多いのではないか? この間亡くなった勝又さんの力作「まんが 狭山事件」がどこの書店にもなかったので諦めかけていた時、新宿の紀伊国屋書店をうろついていると・・・あったあった。で、即、購入した。

 まんがの割には文字が多くてドキュメンタリー小説を読んでいるような気がする。なかなか先に進まないのだ。でも、これがいいのだ。作品はまだ未完のようで、勝又さんも心残りだったのではないか?
 
 最近は凶悪事件が増え、毎日人が死んでいる。罪もない人たちが亡くなっていくのを見るのは辛いが、中には“犯罪者集団の仲間割れ”で死んでもいいようなモノが結構多く死んでいる。街中で喧嘩して死んじゃう奴もそうだ。身勝手な運転による交通事故も増えるばかりで減る傾向がない。要は我慢できない輩がなにかしでかし、それが同じようなものに連動していくのだ。

 しかも最近の犯罪では犯人が自らベラベラしゃべりまくるのが特徴だ。だから犯人はすぐに判明する。今だ未解決の関西の女子高生殺人も母親がなにか関与しているに決まっているのに警察は何もできない。多分、母親が男と関係を持ち、娘が邪魔になったかなにかだろうさ。

 警察は弱体化したと思われている。しかしそれは違う。戦前から・・・否、実はこの世に日本人が誕生したときから何一つ変わっていないのだ。都合の悪い真実は隠し、そのために平気で冤罪をでっち上げて、関わりのない人間を殺してきた。その多くは「天下統一」なんて言葉に名を借りたヤクザの“縄張り争い”同様な権力争いのなかで行われたことなのだ。犯罪者同士での殺し合いに過ぎなかったのだ。争いに巻き込まれて死ぬ人間も多いのだが、実は巻き込まれた彼らも争いごとを止めようとしなかった責任があるので“死んでも当然”なのだ。極端だが・・・これまでの日本人はみな死んでもよいのだ。

 
 現在でも、毎日戦争のような状況であり、犯罪者同士の殺し合いに関係のない人間が巻き込まれるパターンは変わっていない。

だから・・・こうしてはどうだろう。

 最近の傾向だが一度犯罪を犯したものは再犯の可能性は高い。だからみな殺人者(現時点では交通事故を含む広い人殺しの場合だ)は終身刑にすべきだ。さらにその子供も同じ血が流れているので隔離だ。また母親は他人だが野放しにした責任があるので同様に隔離だ。どこか遠くの無人島に隔離して原爆を落としてもいい。

 こういう世の中を作った僕達にも責任がある。みななにか責任が問われるべきだ。戦後、日本人はやたらと権利ばかり自己主張するばかりでなにものにも強制されることを嫌った。そのため戦後日本人は“身勝手”で“無我慢”になった。それらは昭和で培養され、平成になって一気に爆発感染蔓延した。

 鬱病なる、ある意味「仮病」が蔓延しているのもその証だ。我慢できない自分が、あらゆる責任から逃れたいために病気になる。病気を認めろ、認めないなら死ぬぞと訴える。

 ここで中断。

 本日(日曜日)昼ごろに秋葉で通り魔事件。7人が亡くなったようだ。僕とナマコは津田沼駅から東京駅に向かっていた。東京駅オアゾ丸善で鉄道模型モデラー宮下洋一と諸星昭彦両氏と「とれいん」編集長なんこうさんたちの公開座談会を聞きに行ったのだ。同時に「エコーモデル展」が行われており、ついでに駅舎キットを購入した。オアゾの5階のつばめキッチンでツバメ風ハンブルグステーキを食って帰宅。テレビを点けたら秋葉事件のニュースが流れていた。驚いた。