【1945年8月20日、内蒙古の日本人4万人を助けた軍旗無き響兵団の物語】 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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1945年8月20日、内蒙古張家口郊外27kmの丸一陣地で駐蒙軍独立混成第二旅団・響兵団2500名と、その10倍以上のソビエト軍との戦闘が開始された。


ソビエト軍に投降すれば、婦女子は陵辱され略奪の限りを尽くされることは満州からの情報で既に知られていた。



張家口近郊の4万人の邦人を天津にまで脱出させるべく駐蒙軍司令官・根本博中将
(✳︎記事末注釈へ)は敢然と命令を下した。


それは「理由の如何を問わず陣地に侵入するソ連軍は断固これを撃滅すべく、これに対する責任は一切司令官が負う」というものであった。


ポツダム宣言を受諾して5日後の事である




2日間の激戦の後、4万人邦人の脱出を確認して響兵団は撤退する。

この戦いで響兵団80名余名が戦死することになる。

この邦人4万人と兵団は蒋介石率いる国民党軍に投降し一人残らず帰還を果たす。




響兵団生き残り兵士の言葉。


「あの状況ならみんな命がけで戦うんじゃないですか?だって同胞じゃないですか。」

「わたしの平凡な人生で唯一誇れるものがあるとすれば、それは内蒙古で1人の残留孤児も残さなかったことです。



1946年8月、根本中将は最高責任者として、在留邦人の内地帰還はもちろん、北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、最後の船で帰国した。




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詳しくはこの本で。



左翼の言う「軍人は国民を守らない」というのは根拠のないプロパガンダです。


日本軍は世界一の軍紀を誇る皇軍です。



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✳︎根本 博(ねもと ひろし、1891年6月6日~1966年5月24日)

大日本帝國陸軍及び中華民国陸軍の軍人。最終階級は共に陸軍中将。

栄典は勲一等・功三級。陸士23期。陸大34期。

終戦時にモンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソ連軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在する邦人4万人を救った。

復員後1949年、中華民国台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮し、中共政府の中国人民解放軍を撃破。中共政府は台湾奪取による統一を断念せざるを得なくなり、今日に至る台湾の存立が決定的となった。