私は語学は達者ではありませんが、大学受験をしたので英語の文法と、進学した後に選択した中国語のことは、おぼろげながらよくわかります。
日本語は皆さんよくお分かりでしょうから、述べるまでもありません。
ここで取り上げたいのが、
【動詞】の位置です。
それは即ち
『動機を考える時の判断のタイミング』
と言えます。
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10710130183.html
かつて、私のブログでも、
『論が先か?後か?』と論じましたが、
結論を先に述べる【演繹法】と、
結論を後に述べる【帰納法】とがある。
欧米語や中国語は、主語の次に動詞が来ますから【演繹法的】で対象や目的、考察を後に上げていく。
日本語は、主語の次に対象や目的、考察や論拠を上げ行動に至る過程を述べる【帰納法的】言語である。
ここからが主観なのですが…。
動機を先に述べるということは、後からいろいろ付随して時間の経過とともに論拠が変化しやすいのではないかと思う。
これは、良くいえば柔軟性であり臨機応変であるが、悪くは自己主張偏重型と言える。
『言い切ってしまう』
『後に引けない』
動機を後に述べるということは、動機に至った過程を時間の経過とともに論じ、論拠を重要視しているのではないかと思う。
これは、良くいえば慎重かつ考察を重要視している一方、動作に至る対応が遅く緩慢といえる。
『優柔不断』を招きやすく
『はっきりしない』
良い面、悪い面、それぞれある。
これが、行動にも民族性にも現れているのではないかと思うことがある。
よく『日本人は怜悧だが、対応が遅い』と考えられるが、考察や過程を大切にするのは良い点である。
しかし、災害緊急時や外交問題では、そう暢気でいられない。
即応能力に欠け、自己主張に遅れが生じる点で、いわゆる『外交下手』なのではないかと思う。この点は欧米化せねばいけませんね。
しかし、考察や過程を大切にする行動性があるのなら、やはり『世界2位じゃダメなんですか?』などど言わず科学研究立国を目指すべきだし、
日教組に寄って歪曲された歴史認識を正し、これまでの過程を正確に把握し、それを後世に活かすことが日本人に取って重要だと思います。
世界2位じゃダメです。
政権交代しましょう。
歴史の歪曲では支障が大きい。
日教組を解体しましょう。
そして我が国を誇れるように、
古ぼけた押し着せの
憲法は改正せねばいけません。