Japan☆奈良発・Roadsterのブログ

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奈良に住んでいるデザイナーです。地元、奈良のことや出先でのこと、日々、思いついたことなどを綴っています。

Amebaでブログを始めよう!

梅雨の雨に濡れる紫陽花。


 

そして。

 

万葉集にも詠まれている二上山(にじょうざん)。

昔は「ふたかみやま」と呼ばれていました。


うつみその人にあるわれや

 明日よりは二上山(ふたかみやま)を

  弟背(いろせ)と我が見ぬ

 

 ~大伯皇女(おおくのひめみこ)~

 

この世に生きる人である私は、

明日より、二上山を弟の姿として眺めよう。



 

若くしてその才能を認められ、人望を集めていた大津皇子は、

それゆえに危険視され、

謀反の罪をかぶせられ死罪となりました。

大伯皇女(おおくのひめみこ)は、大津皇子の姉。

二上山に弟の姿を見たんでしょう。

これ、過去に何度か書いてはいますが、

どう書いても、終わりがないんですよね。

 

新しい発見や、それに伴う発表があったりと…。

 

 

ま、どうなるのか、書いてみましょう。

ひょっとしたら、そこから、新しい「終末論」に行きつけるかも?しれない。

 

この手の「終末論」では1999年にもあって、

それは「ノストラダムスの予言」、というヤツでした。

当時、一斉にたくさんの関連本が出ていたのを覚えてます。


 

しかし・・・

個人的にroadsterは、そういった書籍(予言、占い関係)を、

じっくり読んだことがありません。

 

何故かと言うと、そういうものは共通して科学的根拠がなく、

また、言い回しの曖昧さがあり、

どうとでも解釈できるため、胡散臭いな、と感じるからです。

 

 

ただ、その曖昧さゆえ、信じる人は、

「これは××を指している、でたらめならこんなに的中するはずがない!」

と言い、

信じない人は、

「単にこじつけただけだろう~?w」

となるわけです。

 

その辺りが、この手の話しについての

昔から変わらず論じられ続けているテーマなんだと思います。

 


 

ま、でも結論から言えば・・・

終末は必ずありますね。

身も蓋もない言い方だけどw

 

個人的レベルで言えば、その人が死んだとき。生物はすべからず死にます。

それは個人としての終末。

人に限らず生物は誕生と同時に死へのカウントダウンが始まっています。

病気、けが、事故、犯罪、自殺、老衰などなど、いろいろ原因はあるだろうけど、

これはもう、どうしようもない。


また、

太陽だっていずれ寿命を迎え、赤色巨星となり、地球を飲み込んでしまいます。

それまでに、熱で大気も海も無くなって死の星、となってはいますがね。


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説明しますと…
地球の公転軌道(※)を越え、

火星の公転軌道さえ飲み込むほど巨大化すると思われます。

・・・つまり地球は宇宙から「消滅」します。

でも、これは40億年先のお話し。

それまで人類が存在しているかどうか、という問題はあるけれど、

これは地球レベルでの終末です。

 

また、

この宇宙だっていずれ「終末」はやってきそうな気配です。

今の宇宙物理学では、宇宙はビッグバン以降、膨張し続けている。

これは銀河の赤色変異(※)により観測、確認されていて間違いありません。

ビッグバンについても1秒の何百分の一、というレベルで解明されてきている。

「始まり」があるなら、「終わり」があるわけで、

宇宙は最終的に収縮に転じるのか、その後、「無」になるのかどうか、

その辺りの結論は紆余曲折していますが、

少なくともroadsterは終わりのない始まり、「永遠」など信じられません。

 

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※:

公転:改めて書くほどのことではないが、、

 地球などの惑星が太陽の周囲を一年かけて回ること。

 ちなみに、一日、地球が回転するのは自転です。 

 あ、「惑星」とは太陽のような「恒星」の周囲を周回する星のこと。

 しかし、周回しているものが全て惑星ではなく、

 直径(大きさ)などの条件を満たしたものを惑星と呼びます。

 近年、冥王星が惑星から外されたのがその例です。

 

赤色変異光のドップラー効果のことです。

 例えば救急車のサイレン。

 近づくときと遠ざかるときの音が違いますよね。

 あれが音のドップラー効果です。

 音は波で伝わるワケですが、

 近づく時と遠ざかる時とで見掛けの波長が変わるため、

 近づく時は高く、遠ざかる時は低い音として、

 聞こえるわけです。

 同じことが光でも起こります。

 近づくときは青っぽく、遠ざかるものは赤っぽく見えます。

 つまり光の波長が変わるため、そう見える。

 ・・・うまく説明できませんが、

 詳しく知りたい人はネットで調べてみてくださいw

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また、それまで人類が存在しているか、と書いたけれど、

今、深刻化している自然破壊が更に加速し、

それが原因で人類が滅ぶ可能性は大いにある。

 

また、戦争や一部の国の暴走で人類絶滅、なんてことも。

…コロナもその出目が胡散臭いですしね。

 

上記したように、

宇宙や地球レベルでの終末と言うならそれは、単に時間の問題でしかありません。

でもそれ遥か先の先の、そのまた未来のことなので、

現代に生きる自分たちが心配するのは馬鹿馬鹿しすぎる。

 

もし、危機感を持つなら、

自然破壊や戦争、または技術の暴走などといった人類そのものが原因となる、

つまり動物、人類レベルでの終末です。

ノストラダムスさんの言う、「空から恐怖の大王が降りてくる」ではなく、ね。


 

戦争で、と書いたけれど、

「渚にて」というネビル・シュートの映画では、核戦争で北半球が崩壊し、

僅かに生き残った人類が、

徐々に迫ってくる放射能に怯えながらオーストラリアで束の間の時間を過ごす、

というストーリーが描かれている。

その他にも似たような映画は幾つもある。

 

そういった話しがリアルに感じるということは、

取りも直さず、

わざわざノストラダムスさんやマヤの人たちに言ってもらわなくても、

人類の感覚は常に「人類レベルの終末」と隣り合わせにいる、

ということなんだと思います。


 

また、動物レベルとしての終末は・・・。

これは絶対に避けなければならない。

(人類だけが滅びるのは自業自得感があるけどねw)

 

過去、地球は大絶滅を繰り返してきたことが調査から分かっている。

6500万年前の恐竜絶滅が有名ですが、

それ以前にも三葉虫やアンモナイトなどが地球規模で絶滅しています。

~調査によって、

 当時の生物の実に85%が絶滅した場合もあったことが分かっている~
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~恐竜絶滅については、地球そのものの環境激変により、

 種の衰退が始まっていたところに

 ユカタン半島に落ちた巨大隕石がとどめを刺した、

 とも言われている~

 

それはおそらく、自然が原因となっているものでした。

(おそらく、というのは原因が解明できていないため)

しかし今は、というと・・・。

 

人類は既に巨大化しすぎています。

それは知性をもったゆえのことですが、

例えば、

「ちょっと寝返りを打つ」だけで、

他の生物に多大な影響を与える存在になっている。

人間は既に好き勝手するにはその影響が多きすぎる存在になってしまっている、

ということです。

 

むか~しから繰り返し言われていることだけど、

地球は人間だけのものではない。

忌み嫌われているゴキブリにしても、

そういった彼らが生きていけない環境になれば人類も生きていけないのだから。

もう、そういった他の動物、環境についてじっくり考える時期にきている、

とも言えそうです。

・・・ま、既に遅い気もするけど・・・。

 

ま、その辺りに「終末」を避けるヒントがあるように思います。



 

そうそう、人類滅亡論のひとつに

「宇宙人侵略」というのもありますが・・・w。

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こいつは一番、可能性が低い。

 

残念なことに今のところ、

太陽系には知的生命体が生存できうる惑星は地球しかなく、

もし生命体が存在したとしてもそれは・・・、

バクテリア程度のものではないか、と思われます。


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もし宇宙人がいるなら、彼らは太陽系外からやってくる必要があり、

そのためには航路の開拓や補給路の開拓、

そして何より、莫大な時間と予算を掛け、

空間と時間を克服する技術を開発しなければいけない。

そこまでして遠い辺境のこの「地球」にやってくるのは効率が悪すぎる。

地球人的目線ですが、

そこまでして得るものが地球にあると思えない。

資源だ、と仮定しても、

そんな危険を冒さずとも他の星でも手に入るものばかりでしょう。

ましてや「地球侵略」などムダもいいところ。

 

時々TVでやってますが、

呪文のようなものを唱えたらやってきてくれて、写真を撮られただけで

満足して帰っていく・・・。

もっとありえませんw

逆に考えれば、地球人が上記したように莫大な予算と技術をかけ、

ようやくたどり着いたら、そこではその星の住人達が

「いらっしゃい、いらっしゃい♪」

で、写真を撮られて終わり。

う~ん、アホらしい話しですw


 

・・・・話しが脱線しましたがw

 

どちらにしろ、

もし地球侵略を画策している宇宙人さんがいるなら、

大変な労力を犠牲にして地球に来ていただく必要がありそうですね。

今日は古代は古代でも日本人創世の物語です。

 

「日本人は何処から来たのか」。

 

これは人類学を学ぶ研究者なら、必ずぶつかる、永遠の研究テーマでもあります。

 

日本は絶海の孤島であり、大陸のように陸続きではありません。

純粋な日本人でも西洋人のような顔やスタイルをした人や、

モンゴル人のような人など、その容姿は千差万別です。

 

DNAの検査、ミトコンドリアから辿る、

それらを含め研究方法から導き出されたものは、諸説ありますが…。

現在のところ、日本列島の北と南、アイヌと琉球人との共通点が指摘されています。

なぜ、北と南なのか、これもナゾですが、

 

 

それにはまず、日本列島の成り立ちから見ていいかなければなりません。

 

まずは地質学から見た、「日本列島の成り立ち」について。

 


地質学的に見ると日本列島は、昔から今のような形をしていたワケではなく、
恐竜がいた時代、

中生代白亜紀辺りに今の日本の骨格が形成されたらしい。

つまり、大陸の海岸線沿いの土地だったワケですね。

恐竜たちが後の日本列島から大洋を眺めていたのかもしれません。

 

この時代は今のユーラシア大陸と繋がっていた、というより、
その一部でした。

 

それから新生代に入り、時代が進む中で弓状に張り出し、
今の日本列島「らしい」形状に形成されました。

 

この頃は火山活動が活発だった時期で、溶岩が噴出して積り、
大きく成長していくこととなる。

 

それから更に時代が流れ、約10万年くらい前、大陸から独立しました。

 

で、どの段階でヒトが住んでいたのか、ということですが。


 

大陸との陸続きだった時代、

旧石器時代にはヒトが生活していたことは、はっきり分かっている。

 

その証拠として石器時代の遺跡が見つかっていて石器も発掘されています。
「岩宿遺跡」などはその代表ですね。

 

沖縄の港川でも旧石器時代の石器が発見されていて、
ここからは同時に人骨も発見されていることから、
当時、陸続きだった台湾から沖縄のルート、
つまり、東シナルートから流入してきた証拠となっています。


 

ここで面白いのは、
同じ旧石器なのに、東日本、西日本と発見される石器に違いがある、
ということ。

 

つまり、その時代に既に文化の違いがあったという証拠であり、
それがヒトの流入経路に、東シナルートだけではなく、

北方ルートも存在した、という説を後押ししています。

 

時代が下り、縄文時代となると。
気候が一度、寒冷化し、そして温暖化に転じている。

 

必然的に海水面が一気に上昇し、

この頃、日本列島は完全に大陸から孤立化します。

 

 

縄文時代と、続く、弥生時代の人骨には、

決定的な違いがあるのは知っての通りですが・・・

~現時点では、「卑弥呼の墓」の有力墓。

 邪馬台国、卑弥呼が生きたのは約1800年前、弥生時代。

 邪馬台国の候補地はたくさんあれど、今のところ、主に北九州説と、

  ここ奈良県桜井市の纏向遺跡に分かれています。

 

                         ~これはサイトより~

 

 

CIAにも協力していた、

というリモートビューイングの権威、マクモニーグル氏によれば、

墓は未盗掘で、強力な結界がある。

それは死んで1800年経ってもなお残る彼女のカリスマで強力な「力」によるもので、

卑弥呼の遺骨は頭蓋骨、背骨の一部がまだ存存しており、

埋葬時には絹の着物を着、女性には珍しく、剣を持って埋葬されているそうです。

石室の四隅には彼女の日常品が納められた土器があるそうなw

 

話しが少し脱線しましたがw

 

 

それ以前から、細かく見ていくと、

それぞれの時代、どうも違った特徴を持つ人々が居たようなんです。

 

それは東シナルートや北方ルート(カムチャッカ半島より)だけでなく、

意味から(ポリネシア等)のルートも考えられる
幾つものルートから人がやってきていたことを示す、

決定的な証拠ではないか、と言われています。

 

日本人は他のアジア人、

身近な比較では、モンゴル人、中国人、朝鮮人と違って、
いろんな顔、スタイルの人の比率が大きい。

韓国人は整形率が高いのでイマイチ分からないかもしれませんが、

ヒラメ顔で顔面が大きく、まぁ、エラが張っているのが特徴です。
例えば、ぼってり一重の人もいれば、二重(または奥二重)の人もいる。
上記したように更に欧米人のような人も居たり、

バリエーションに富んでいることからも、
単純に単一民族として片づけられる存在ではないことが分かります。

 

文化の面から見ると、
日本神話とギリシャ神話にまったく共通するお話があったりして、
それらは、今の我々が思っているより、
古代の人々の往来は活発だったことを裏付ける証拠なのでは?
などと思うワケです。

 

・・・まぁ、人の創造力には限界があり、

結果、似通ってくるものだ、という見方もできますがw



 

縄文人、弥生人という単純なものではなく、
それ以前の人種などが複雑に交じりあったのが今の日本人、
ということなんでしょうが、

結局のところ、未だ、日本人のルーツは解明されてはいません。

海外の人類学者も研究してますが、ナゾですね。

分かっている事は、我々は「特殊な存在である」、ということです。


近年、科学の発達により、

免疫タンパク質や、持っているウィルスから、

その起源に迫る試みもされているようですが、出てくる答えに共通性がなく、
決定打となる答えは出ていない。


 

ただ、文化(国民性)の面で見れば、
我々、日本人が特殊な環境で育まれてきたのは事実です。

 

それは人種の交わり、ということだけでなく、

島国という自然環境の上での孤立化、
その後、「鎖国」という人為的な上での孤立化が影響したものでしょう。

 

閉鎖された環境で暮らすには我を押し通してケンカするより、

協調性を持つことが重要だった、ということです。

 

そういった中で、良いものは受け入れ、そして改良していく、という、
日本人特有の資質が生まれてきたのだと思います。

モラルも然り、です。

 

それは悪い面では個性を押し殺す方向性を持つ危険性もあるんですが・・・。


 

戦後の急速な復興は海外が驚愕するものですが、それがいい例でしょう。

 

それを学ぼうとしている国もありますが、

残念ながら、海外のどの国だって真似できないものだと思います。


 

そして、これからの日本人は、ということになると・・・。

 

こんな時代だからこそ、日本人のアイデンティティを失うことなく、
国際的に活躍できる人材が求められる。

 

今までは国際社会に追いつけ追い越せの一念で突っ走ってきたが、
今や周囲を見渡すと・・・
既に上はなく、肩を並べるどころか追い抜いている部分も多々ある、
という状況です。

 

つまり、もう「お手本」はないワケです。

 

グローバル化、という言葉はキライなんですが、
国際社会の中でリーダーシップを取れる国となり、

これからはそういった人材を育てる必要があるのかもしれません。

それが真の国際化、ではないでしょうか。

コミュニケーションが苦手=外交が苦手、というのも日本人ならでは、

ですしw

 

まぁ今の日本の受験システムでは、

そういう人材が育つかどうかは甚だ疑問ですが・・・(^_^.)

仮に一部の人物のみがそうなっても意味はなく、

日本人そのものの、意識の底上げが必要ということだと思います。

Roadsterの個人的考えではありますが。
 

ナゾだらけの我々、「日本人のルーツ」ですが、
それを絶やすことなく、

未来へ繋げるのも現在に生きる我々の務めのような気がします。


 

と、言うことで・・・

最後は「「これからの日本人の展望」、という話になっちゃいましたがw

 

これで、この話の締めとします。

Roadsterの大っ嫌いな夏が近づいてきたので、

 

ブランクを破り・・・

 

気分的にも涼しく、ということで、この時期ならではの、

オカルト、ではないか。

 

まぁ、「え~~~!」と思う真実をば、書いてみたいと思います。

 

 

それは、現在もヨーロッパの病院で普通に行われていることで、

もし、

この拙いブログを偶然、見た人の中で、ヨーロッパで

看護学習を受けた人がいるならば、

確実に「貴女」に接触しているはずです。

 

 

 

1880年、パリの川で謎の女性死体があがったんです。

それだけなら、古今東西、新聞やTVなどで、

犯罪被害者、または自殺された方、原因は分かりませんが、

珍しくない、と言えば不謹慎ですけど、時折見聞きする事件でしょう。

                                 ~サイトより~

 

もちろん、当時、警察がすぐに引き上げ、

検死官に渡し、身元を特定するため、

所持品検査やその他の検査が検死官によって、行われたわけです。

当時のヨーロッパでは、それでも判明しない場合、

今では信じられませんが、身元不明者の場合、

その顔の石膏型を作って、公表することがありました。

しかし、この石膏型を見た人が何故かその顔を気に入ってしまい、

石膏型職人に手渡され、大量生産されることとなります。

 

そしてヨーロッパ全土へと広がった彼女の顔は数十年後、

由来を知らないある玩具メーカーの目に留まり、

彼女の顔は心肺蘇生法に使われるダミー人形となり、さらに広まっていき現在へと至っています。

この辺りは日本と違い、土葬が当たり前となっていた、

(現在は欧米でも火葬はあります)死体に関する、死生観の違い

でしょうか。

 

もしヨーロッパで心肺蘇生法の授業を受けたことのある人は、

130年前の彼女と接吻を交わしていた事になる訳です。

ちなみに、彼女は死亡当時16歳だったと鑑定されていますが、

彼女が「誰」だったのかは何故か、謎のまま、誰も名乗り出なかったそうです。

 

まぁ今だったら、検査の進歩は目を見張るものがありますから、

簡単に身元が分かったかもしれませんけどね。

Roadsterの素人考えですが、

誰も名乗りでなかった、という時点で家族など親族が関係した、

事件性が疑われる気がしますけどね・・・。

 

 

なんにせよ、ご冥福をお祈りいたします。

 

世の中には古代史だけでなく、意外に身近なところに、

皆が知らないちょっと首筋がヒヤリとするミステリーもあるんだ、という一例でした。

 

邪馬台国について触れる、と予告したものの、

邪馬台国や卑弥呼については過去に幾度も書いているので、

 

前回、「金印」の話を出したので、

未だに付きまとう、「金印ねつ造説」について、

書いてみたいと思います。

 

 

↑邪馬台国、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳

 日本最古の神社、大神神社の(おおみわじんじゃ)のふもと、

 纏向遺跡(まきむくいせき)の一端を成す、とも言っていい。

今だ、畿内大和説、北九州説と侃々諤々(かんかんがくがく)と、
ほとんど病的ともいえる、
論争になっている、邪馬台国の場所だけど、


もうひとつ、
「金印」も今だ解けないナゾ。

「漢委奴国王」と書かれたこの「金印」、
ちょっと興味ある人なら
聞き覚えがあるはずですよね。

教科書でもおなじみ、か。

~サイト参照~

 

この金印がなぜ、重要な位置付けにあるのか、
その由来は、前回からの復習ですが、
卑弥呼の時代より更に前の西暦57年、
中国の「後漢書」に当時の後漢の光武帝が、
謁見に訪れた「倭の奴国の使者」に印綬を与えた、
と書かれていることによる。


これが見つかったのは江戸時代1784年のこと。

場所は、今の福岡県の志賀島。


でも、金って化石みたく、

それだけで時代が分かる代物ではありません。

年代測定法は日進月歩、新しく、より近しいものに近づいているんでしょうが、「この鉱物がいつできたか」なんてわかるわけないです。

いいとこ、この彫刻はいつの時代のものか、

くらいしか判断する材料がなく、

ぶっちゃけて言えば、なんとでも言えるんです。

この金印については、

 

それなりに古いものだろう

 

それが正しい答えになります。


このてのものはだいたい、デザイン、

見つかった地層や一緒に見つかる遺物などから年代を特定する場合が一般的ですね。



これが見つかった当時、
実は、一種の古代史ブームがあり、
中国と繋がりがある証拠を探そうとしていた、
まさにその時でもあったことは意外と知る人の少ない事実です。

また、見つかった場所も問題。

大袈裟にいえば海沿いの突端。
そこで農民が「単体」で掘り出したという触れ込みのみ。


口上書程度のもがある程度で、
正式にはいつ、誰が掘り出したのか記録がない。
(甚兵衛という農民が田んぼの溝を掘っていて、
石の隙間から見つけた、とあるが…)


そんな大事なものが、そんな場所で、
それだけ単体で見つかるなんて不自然窮まりない。
ましてやブームのさなか、探していたものがピタリと出てきた。

首を傾げる人間がいても不思議ではない状況なんです。

裏付けになるものはなにもない。

突っ込みどころ満載だけど、
これが本物なのか偽物なのか、知る手だてはないワケ。

ただ…中国で似たような印鑑が見つかってもいる。
また、中国の書物には、更に時代が下ってから卑弥呼に金印を渡した、
という記載もあったりする。



さぁ、真実はどこにあるのか、

それを見つけられるのは専門家だけではないと思います。

素人が道端で拾い上げたものが
長年の歴史のナゾを開く鍵になる可能性もあるのがこの世界。


挑戦してみてはいかが?(*⌒-⌒)

 

少し間が空きましたが、「我々日本人のルーツを探る」、

第三弾めです。

 

前回、歴史の中に「日本」が登場するのは、つまり記述された

記録が残るのが、まで書きました。

 

それが「後漢書」なわけですが、

そこで、倭の奴の国王の使いに光武帝が渡したのは、

あの有名な「金印」なわけですが、

これが見つかったのが江戸時代、福岡県の志賀島の農夫であった

という。

しかし、これ、見つかった状況、人名が上がってはいるのもの、

調べていくと、はっきりしないんです。

 

金印=ねつ造説は根強くありますが、いろんな説がありつつも、

本物とも贋作とも言い切れないのが現状です。

 

で、時代(とき)は流れ、紀元239年、-3世紀の半ばー ですが、

ここで再び今の中国の史書に日本が登場します。

これが有名な「魏志倭人伝」。

 

誤解されている人も多いか?と思いますので、改めて書きますが、

そういうタイトルの本は存在しません。

 

「三国志」の中の「魏志」の中に、

「東夷伝(とういでん)」というのがあって、その中のたった、

二千字あまりの「和人の条」が、当時の日本の描写した文献として、

唯一、今に残されているにすぎません。

 

それで、ここに日本史最大のミステリー、古くは江戸時代から、

幾多の学者がその存在、場所を研究、探索を行い、

未だに謎となっている「邪馬台国」、というわけです。

 

そこで、そこに記された内容から大きくは機内大和説と、

北九州説に別れ、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論議が

続いている、というわけです。

 

邪馬台国にについては過去の記事に何回もかいているので、

今回のタイトル。「日本人のルーツ」からそれるので割愛します

が・・・・。

 

なぜ、そうなるか、というとたった二千字あまりの記載ですから、

読み方次第で、非常に空想を織り込む必要があり、

邪馬台国の場所の記載もあるようですが、

ハッキリ言うと機内大和説とも、北九州説とも合致しません(笑)

 

ちょこちょこ邪馬台国についての記載はあるんですが、

卑弥呼が248年になくなり男王をたててもうまくいかず、

卑弥呼の宗女(そうじょ)、台与(とよ)をたて、ようやく収まった、

とあります。

しかし当時の中国の歴史書からここで、消えてしまいます。

 

次に登場した時には邪馬台国はなく、ヤマト政権の時代に

なっているわけですよ。

 

さぁ、こまったもんだ。

日本の空白地帯です。このあたりはまったく記録がないわけです。

 

とにかくそのあたりは過去のブログに何回も書いているので、

興味ある方はこのブログの左下の検索機能を使用して、

読んでみてください。

 

まぁ、北九州には吉野ケ里遺跡があり、機内大和(奈良県)には、

纏向遺跡があり、それぞれ、卑弥呼を邪馬台国を匂わす、

学者たちを惑わす要素を多分に持っていることも拍車をかけているようですね。

 

次回は邪馬台国から以降の、我々日本人の足跡を

辿ってみたいと思います。

 

こうして順序立てて書いていくと、新しい異説が、

何か見えてくるかもしれません(笑)

 

 

ではまた。

で、2回目です。

 

つまり続きなわけですが、前回、書き忘れましたが、

このテーマ、研究にはいろんな説や見方があって、

あくまでこれはRoadsterとしての、見解、としてください。

 

 

では。

 

新しい発見もあるんですが、おおむね、

おそらく縄文人は南方系のモンゴロイだったのでは、と

言われています。

縄文時代8千年の後、続く弥生時代6百年。

この間に北方系のモンゴロイドがシベリアから流入してきた、

と言われています。

 

というのも、じだいによって、明らかにはっきりと

骨格の違いがある。

 

これには人種の交代劇があった、と言いう説。

つまり理由は分かりませんが、前人類種が滅んで、

あとから来た人々が住み着き、また滅んで・・・・という説。

 

そして、住んでいた人々と後から来た人々が混じって、

だんだんと今の日本人になったのだ、という説。

 

いやいや、骨格の違いは、混血などではなく、

元々住み着いた人々が進化して今の日本人になったのだ、

という説。

 

Roadsterとしては後のふたつが混同してきたものと考えるのが

自然だ、と思うんですが、ねぇw

 

ここで付け加えておきたいのはDNAで追う、という意見が

ありそうですが、DNAは1000年もその形を留められません。

DNAで追うのは無理、ということです。

 

細胞内のミトコンドリア(女性を遡る)をおっかけるのも

大変なラッキーがなければ無理、ということです。

 

ただ、「「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれる、全人類の

先祖(母親)が今のアフリカの大地溝帯に住んでいた、

という研究論文は有名です。

女性、といったのは、この場合、女性のミトコンドリアからでしか、

遡ることができない、ということなんです。

 

閑話休題。

 

 

縄文時代と弥生時代。

この大雑把な線引きは、農耕が始まったかどうかにあるんですが、

実は縄文時代後期の遺跡から「プラントオパール」という、

イネ科にしかない、硬い物質が大量に見つかっている、

ということです。

 

さて、こうなると、ややこしくなってくるんですが、

狩猟採取で獲物を求め、猟場を巡って定住しなかった、と

云われていた縄文人ですが、

三内丸山遺跡という立派な大型建築物を持つ定住型の

遺跡が発見されています。

 

それらの謎の落ち着く先の研究が今の課題なんでしょう。

 

農耕が始まった、というのは実は大変なことで、

これで、貯蓄、余剰生産ができるようになった、ということなんです。

つまり、貧富の差の誕生。

階級が生まれてくるわけですね。

 

まぁ、その原因はさまざまでしょうが。

 

そうなってくると、共同作業、というものも生まれてきますし、

大きな田畑や水路などの工事を行う必要性から、

それに通じたリーダーが生まれてきます。

 

で、戦争もそのころから始まります。

つまりはより良い条件の土地を手に入れよう、労働力(奴隷)

の確保など、です。

で、

弥生時代の遺跡には柵を巡らせた後や、堀、物見櫓の遺構も

セットで見つかってきます。

 

そこまできた日本ですが、歴史の中に初めて登場するのが、

紀元前57年、倭の奴の国王という人が後漢から金のハンコを

貰ったと記されています。

 

 

と、今日はここまで、

写真はまた追記します。

 

 

ではでは・・・

 

 

病気療養、そののちの鬱の併発もあり、

ブログなどとても更新する気持ちの余裕がなかった状態が、続いていた訳ですが、

 

徐々にかける書けるペースで、

相変わらず、古代史メインに自然科学、ミステリー、面白い世界のエピソード、というか「世界の現実」とやら、思いつくままに

書いていきたいと思います。

 

 

この一年で、、興福寺の中金堂の落慶や色々とあったわけですが、

それらの写真はまだまだ整理もしておらず、

今さら感がありつつも後に挙げたいと思います。

 

え~、2回目の?初回は、過去にも何度か掘り下げつつあった、

「我々、日本人とは何か?どこから来たのか?

そのルーツを探る旅」です。

 

時代は「平成」から「令和」となりました。

これからよくも悪くもいろんなことがあるでしょう。

 

外国人受け入れも始まった一方で、日本人そのものの、

1/4が契約&派遣社員で生活や収入が安定せず、

少子化、消費にブレーキをかけている事実。

今こそ、自分たちのルーツを考え、

日本人として、国際化に正しく舵をきれるようになってほしい。

そういう意味で、この題材を選びました。

 

 

ソクラテス曰く、「汝自身を知れ」。

然るに我々日本人は、

あまりにも自分自身を知らないでいるでいる。

日本人とは何か?

何処へ行くのか?

 

 

日本人のルーツ、つまり僕たちのご先祖様たちのことについて、

なんですが、いろんな文献、論文を見れば見るほど、

分からなくなってくる、というイメージですね。

 

これは未だに変わらない。

まず、日本にいつから「人」がいたのか、ということですが、

この場合、「人」の定義があります。

一般的には、類人猿から猿人、原人、旧人、

そして新人ときているわけですが、

僕たち直系のご先祖様、となればクロマニヨン人に代表される、

新人から、とここでは定義したいと思います。

 

また地質学的には、日本は初めから今のような形をしていたワケ

ではありません。

だいたい白亜紀、恐竜のいた時代ですが、その辺りで、

今の日本列島の骨格のようなものができたようです。

 

この時期の日本はまだ大陸と繋がっていた、

というより、大陸の一部でした。

それから新生代に入ったころに太平洋側に弓型に張り出すという、

言うならば、日本列島の基礎工事が完成したワケです。

 

この頃の日本列島は火山活動が活発で拭き出した溶岩や、

火山灰などが次々と積もって丹沢地方では万メートルも

積もった、と云われています。

 

そして100万年~10万年、第四世紀の初めから半ばにかけて、

今の日本列島は大陸から離れ、今の形に完成した、

と、こうなります。

 

 

では肝心の人間がどの段階で入ってきたか、ということになりますね。

以前は日本には「旧石器時代はなかった」、

と考えられていましたが、1890年に岩宿で石器が発見され、

それ以来、日本のあちこちで発見されてきました。

 

一番古いのは40万年前まで遡る、とされていますが、

これまた考古学の面白いところで、新しい発見があると、

それだって明日にも変わってしまうかもしれませんw

 

ただ、この時代の遺跡は誰もが100%信じているわけではなくて、

それは時代測定法そのものが、正確になりつつはるものの、

幾種類もあって、開きがあったりもするからです。

 

と、いうわけで、一番、はっきりと分かっているものでは、

沖縄で発見された、縄文時代の人骨で、

「港川人」と呼ばれていますが、とにかく、それが今のところ、

はっきりした僕たちのご先祖、ということになります。

 

 

 

それで、旧石器時代にはシベリア系のものが東日本、

今の中国~ペルシャ(現:イラン/イラク)辺りが西日本と、

住みわけができていた、というんです。

 

と、いうことは北から来た人々、南から来た人々、

はたまた海からやってきた人々もいたかもしれません。

 

縄文時代は8千年ほど続いていたようですが、

最終氷期の2万年前で、それが1万3千年前に終わり、

温暖化に向かっていきます。

このころにかなりの民族の大移動があったようなのですが、

これはシベリアからも中国大陸からもまだ、地続きであったことが

大きいでしょう。

 

その後は温暖化によって海面が上昇し、日本列島、

という形に孤立するわけですが-。

 

そうなると民族の流入というのは、極端に減った、と思われます。

一部、上記したように、船で、やってきた人々もいたでしょうが、

大きなものではなかったはず。

 

 

とまぁ、初回はここまでw

 

写真を入れるのもまだしんどいので、

それはあとで追記します。

 

ではまたの続きをー

 

 

すんませんでした。

 

入院してました。。。。

 

 

 

仕事の方は何とか、肩をつけてきたので、

クライアントに迷惑はかけなかったんですが、

 

こういうとき、会社員=勤め人のありがたさが思い出されますw

 

独りとは、全ての責任を負うことですことですからね。

 

僕はたまたま、なんとか順調に、慎重にやってますが、

殆どはそうではないらしいです。

 

仕事とのバランスを取りつつ、

少しずつ、更新もしていきたいと思います。

 

 

ふと道端に・・・。

 

秋近しなのかな。

 

 

いや、今は明日の台風ですナ(^-^;

 

すいません、体調を崩し、仕事をこなすだけで精いっぱい。

 

ブログ更新する気力もなく、ベッドに崩れる毎日でした。

いや、です、ですね。

 

まだ復調してないので。

 

で、奈良公園では8/5~15日まで、奈良公園の夜を飾る、

光のペイブメント、「なら燈火会」が始まっています。

最終日には花火も上がります。

 

一部ですが。

 

 

今、奈良は台風の影響で気温が低めなんですが、

明日から暑く成っていきそうです。

 

夏の暑さを演出する、向日葵。

 

神鹿も水浴び。そしてクマゼミ。