天日干し思考

天日干し思考

特別支援学校教諭。教育、育児、読書、考えていること、自分の精神状態について。

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森信三は言う。

 

大よそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として謹んでお受けするということがわれわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。
(修身教授録一日一言 1月1日 真の人間生活への出発)

 

 

 

昨年はどれだけ、僕は逃げ出していたか、である。
いや、そもそも仕事の動き方がわからなかった。だが、今は見えてきた。それは単に、自分からもっと関わりを求めよということ。

同僚に対して、地域の人に対しても。

 

 

 

絶対不可避なる事は即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。
(森信三一日一語 1月5日)

 

 

 

当たり前のことである。だが、今までやってこれたのが不思議というくらい、僕は同僚との関わりが苦手になってしまっていた。今後も教師として生きていくなら、これから関わりと向き合っていくことは、「天意」なのだろう。
これを書いている間でも、少なくない緊張を感じる。

 

 

今年はスイッチがキーワードになるかもしれない。つまり、切り替えだ。例えば帰宅してから小説を読む。仕事から趣味へのスイッチ。テーブルに座り、気に入った言葉をノートに書き出す。仕事から自己啓発へのスイッチ。
 

 

単身赴任の環境をもっと整えよう。単身赴任だからといって、読み書きする環境を遠慮しすぎた。もっと座っていられるイスをまずは買ってこよう。

 

 

何よりも、自分を許そう。

 

 

 

 

反省は後ろ向きの暗い反省ではなく、前向きの明るい努力と実行のある反省である。
(平澤興一日一言 1月20日 反省)

「理論的に構成されている」という言葉が頭の中にぐるぐるしている。

「科学の目で子供を見よ」と教えられて、行動分析の仕組み、人の発達の流れ、WISCやS-Mなどの検査による把握などを学んではきた。

じゃ、理論ってなんだ。

たとえば、生活単元学習の理論ってなんだ。

理論っていうのは、出発からゴールにいたる道のりを、先行研究や書籍等を通して学んだことをもとに、自己の実践を筋道立てて一本の道として作ることができることなのだろうか。

研究的な。

僕は昨年度、理論というより、感情と直感と行動で動いてしまっている感覚がある。

僕は自分の実践を筋道立てて追うことができるだろうか。

追うようにしていきたい。

 

 

「廃インクパッド交換せよ」というエプソンの魔法が起動したゆえ、新しいプリンタを購入せざるを得なくなった。いや、持ち込み修理に出せばいいんですけどね。1万円以上を出すべきかどうかって迷って、保留。今必要なんだもの。年賀状作りに。

PX-048が6000円程度だったので、買いましたがね。インク4000円。

毎度思うが、このインクが2000円程度だったら、どんなにありがたいか。

「廃インクパッド」だって、各自で交換できるようにしてほしいよ。まだ使えるプリンタを粗大ごみに出すのは嫌だ。

困ったもんだ。

 

発熱して布団の中に入った長女のために、りんごをすりおろして持っていた次女。

食べさせようとしたら長女にこぼしてしまって、涙顔。いいんだよ、お願いして、がんばってやってくれたもんね。僕が用意した、すりおろしを入れた容器が小さすぎたね。ごめんね。

涙を流す次女がいとおしくて、僕も涙が出てくる。

挑戦は失敗じゃない。

 

今日は8時半から13時までずっと三女と遊んだりし、13時半から16時まで、寝る三女を抱っこしていた。さすがに夕方にはつかれた…。

 

 

どんな風に行うのか、具体例はあるのかな?と思いきや、理論編が哲学的。

ミクロポリティクス?詩学?なんだそれ?

そもそも、ポストモダン、ポリフォニー、オートポイエーシス、ラカン理論と僕の中ではよくわからないものが出てきている。

繰り返し目に入るうちに、慣れてくるかな。

べてるの家の話が出てきた時、ほっと一息。うれしかった。

これからセイックラ教授の論文へうつる。

 

 

最後に、おさまりましたね。

伊坂幸太郎。僕は長編のほうが好きかなあ。

 

 

久々のライトノベル。

破局が目に見える話なのだろうけれど…とりあえず読んでみよう。

 

さて、いつ僕は、ドストエフスキーの「悪霊」「死の家の記録」を読むのかな?

地域の小学校での絵本の読み聞かせボラ。

僕自身、初めて6年生の読み聞かせ。反応が帰ってこない可能性を考える。反応が少なければ仕方ない。それはもしや、目に見える反応ではなく、目に見えない部分で、何かしら反応があるのかもしれないのだ。僕は好きで絵本を読んでいる。だから見返りを求めてはいけない。

 

だがしかし、彼らは笑った。

女子も笑っていた。

そうか。6年生でも笑うのだね。

いや、当たり前のことなのだけれど、何が笑顔につながるかそんなことはわからないものですね。

 

ただ言えることは、僕は、なるべく「あやしいおじさんじゃないよ。楽しもうよ」ということを表情や仕草で表現するように努めたこと。

でも、もしかしたら何よりも、三女同伴だから、そこで女子は心が溶けたのかもしれないなあ。「かわいい」と言っていたから…。

 

読んだ絵本は「ケチャップマン」

マクドナルドのチキンマックナゲットのソースの話から、「なぜ!ケチャップは無いのか!」という無理矢理の導入で、インパクトある表紙をドーン。笑顔を勝ち取りました。

 

楽しかったな。もっと話をしたいな。

 

 

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今日は、午後7時まで、休まず、育児や家事に取り組んだ日だったな。

午後8時になってやっと休憩だ。本を読みたいが、眠いなあ。

 

クリスマスツリーが壊れたので、ついに新調。

サンタと娘たちの駆け引きが始まる。

問題は、プレゼントを入手することができるか…だ。

希望と違うものになることは今までなかったが、今回は結構レア物を希望しているだけに、初動が大事だ…。

 

勤労感謝の日。

なぜかいつも以上に、家事をスイスイと。妻と一緒に。

僕が味噌汁を作っている隣で、明朝のパン作りを始めた妻。

「夫婦で台所に立つなんてねえ」と2人で微笑む。

もう15年くらい一緒にいるもんな。

それでも新鮮なことです。

 

 

オープンダイアローグってなんだ?と思ったときにまず手に入れたのがこの本。

買ってからずいぶんたつが、やっと開いてみたら、すいっと読み進めていた。

対話から生まれるもの。

学級経営や生徒指導にも生かせる姿勢だと考える。

もっと読み進めてみよう。

もっとオープンダイアローグの本を見てみよう。

 

 

たまには好きな鉄道ものを。

この本が出た頃は、北越急行も、智頭急行も、樽見鉄道もない。

地方の鉄道が衰退していく寂しさに、昔の鉄道の本を読む。お茶でも飲みながら、ふぅ。

今日も三女で自宅で過ごす。窓から鳥が見えて、カラスやらスズメやら、二人で観察。見ているだけだが、おもしろい。

三女抱っこで2時間寝る。僕の体は、特に腰が痛いけれど、安心して寝てくれているから、まあいいや。

 

 

ところで、僕は毎月、ジョジョリオンやバイオーグ・トリニティを目当てに、ウルトラジャンプを購入して読んでいる。今号はジョジョリオンがお休み。がっかり。

コネクトという漫画がある。

今号では、チームでプロジェクトに取り組んでいるということを再確認する話であった。

仕事バカの僕は、授業を一人で作り上げていると思っていた。違う。

授業は、僕の一人舞台ではない。僕と生徒たちで作り上げている。

いや、僕と、一緒に入る同僚と、生徒たちで作り上げている。目標達成へ向けて。

もちろん、授業に関わる準備、教材研究やら、授業の構成は、教師側があらかじめ行うけれども。

それでも、一人でやってはいないのだ。

 

そういや、今読んでいる伊坂幸太郎の「ジャイロスコープ」の中に、サンタの話があったな。一人で無理だという。

なんでも同じ。

 

 

僕は精神が様々なところに左右される。

先週は、久々に生徒に会うことに緊張していたのだろう。今週は精神状態が全く違う。少し「躁」である。

だから、家事もテキパキとできる。

 

次女は絵を書くのが好きなのだが、「目」の書き方がわからないという。

初音ミクを書きたいと。

いろいろな書き方があるが、一緒に書いてみる。

書き方を覚えた次女は、3回、4回と目を書きながら、「女の子」の絵をかいていた。

上手になったようだ、と喜んでいた。

 

 

特集に惹かれて購入。

書を持って、外で読む本は格別。

みんなどんな考えを持っているのか、と思って。

 

 

シリアスなのに、ノリノリです。

夕張の次は、月形ですか。

いやー、道民としてはたまらん。

これ、網走に、いつ着くんだ?

再び生徒と過ごす一日。

僕からなかなか声をかけられないのに、生徒が声をかけてくれる。

生徒と離れて8ヶ月。

育休を取らなければ、僕は目の前の生徒たちと過ごすことになっていた。

育休を取ることになって、泣きそうになった生徒もいた。

いまだに声をかけてくれる。

僕は、しっかりとした教師になろう。

 

 

下北沢について下北沢について
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図書館で借りていたが、読みきれなくて、買ってきました。

吉本ばななの本は読んだことがなかったのだけれど、この本は気になって仕方なかったので。

 

 

つい買ってしまったが、勢いとしては「恋文の技術」のようなバカバカしいけどグッとくる話なのかなあ。

五ヶ月ぶりに生徒と再会。
育休明けにはどんな世界が待っているのか。

久しぶりの一人の時間、アニメ「四月は君の嘘」を見る。原作を読んでいるからこそ、この序盤の展開が泣けてくる。

今しかできないと思ったら、宮園かをりみたいに、突撃してみる勇気を。

そして、この世の中にある、不思議な流れに身を任せる。


体調(というより精神面)がよろしくなく、浮き沈みの激しい日々。

それでも、朝8時前からかくれんぼをしたり、買い物に出かけたり、三女の笑顔をたくさん見ることはできたかな。

今日は次女と一騒動。僕の言い方は厳しすぎるのか。

生徒にも「先生、こわいよ」と言われるときがある。そもそも「こわいよ」と生徒が言ってくれる時点で、ありがたいことなのだが。

課題だな。

 

 

読み聞かせは僕の教師人生のひとつの柱にしていきたいだけに、読んでみる。

聞き手の表情から読むスピードや読み方を変えたりするが、アドリブが多い。

読んでいるのを録音するのは必要だな。

 

 

なにげに手に取ってしまった。

「子供を動かす法則

 最後の行動まで示してから、子供を動かせ」(p15)

意識はしている。簡単には指示は出せない。

僕の教師人生の最初は、「授業の腕を上げる法則」「子供を動かす法則」の影響がある。

 

 

「15分ほど、お父さんの読み聞かせをきいてくれる?」と長女と次女に。

全集の中にある「畑のへり」を読む。

聞きながら、笑ったり、ええっ!と言ったりする娘二人。

長女は特に、話の内容を理解しているようだ。

毎日聞かせて、長い話を読むというのもいいかもしれない。

ちなみにこの宮沢賢治全集、旧字体なので、読み間違うときが…。

 

 

買ったままほったらかし。明日から読みましょうか。

 

とにかくおつかれ、1週間。