【サラリーマン】その後の転職先とサラリーマン卒業へ ~その壱~ | 唯一無二の生きた”一筆龍”をあなたに

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こんにちは、永田です。

 

 

 

その後の転職先についてですが、古物商の仕事をしました。

 

金券や切手、JR券などを買い取り、販売する販売員に従事しました。

 

 

 

コールセンターでは、電話での顧客対応でしたが、

 

学生時代のアルバイト以来の対面業務です。

 

 

まったく抵抗なくできましたし、

 

多額のお金を直接取り扱う仕事でしたので、

 

買い取り→販売という手数料販売を行うことで、

 

「商売」というものをリアルに感じられた仕事でした。

 

 

ごく少人数のスタッフでシフト制で動いていましたから、

 

良くも悪くも距離感も近かったです。

 

 

この仕事はとにかく給料が安く、2年近くで退職しました。

 

 

 

 

というのも、

 

1社目でとてもお世話になった上司からの

 

お誘いがあったのです。

苦楽を共にしたお兄さん的存在の方でした。

 

 

その上司は別の会社に転職しており、

 

自分が管理している部署に来ないか?というお誘いでした。

 

 

そちらもコールセンターを主とする会社でしたので、

 

多少の抵抗はあったのですが、

このままでは生活が苦しくなることが目に見えていましたので、

う一度挑戦してみよう!という表向きと生活を立て直そう、という本音を胸に

 

最後の転職をしました。

 

 

2009年11月に管理者として入社し、

 

2017年4月3日までお世話になりました。

 

 

最初に配属された部署は、

 

管理者を入れると100名近くおり、

 

入社した時点でそれなりに大きな部署でした。

 

 

インバウンド(受電)で

問い合わせ対応を行うコールセンターでは、大抵「応対品質評価」をします。

 

 

いくつかの評価項目をベースとして評価点を割り出し、

 

個別に改善点や伸ばしてほしい部分を

 

直接オペレータさんにフィードバックします。

ひと月で70名近くのフィードバックを一人で行うこともありました。

 

 

当初は、QCチーム(クオリティコントロール)として

 

新人研修、現場運用を含め従事していました。

 

 

前職でもQC業務を行っていましたが、

 

個別のフィードバックをする機会が多くありました。

 

 

 

私は「聴き上手」だそうで、業務のことだけではなく、

 

 

・職場の人間関係に悩んでいる

 

・あの上司が気に入らない、首にして

 

・○○さんからパワハラ・セクハラを受けた

 

・○○さんから執拗に飲みに誘われて困っている

 

・○○さんからマルチ商法に誘われた

 

 

 

 

・・・まだまだありますよ(笑)

 

 

 

 

・毎日に充実感がないんです・・・

 

・時給をもっと上げて欲しい

 

・話が途中から変わって家庭内の悩み相談

 

・永田さんは彼女いるんですか?連絡先を教えてください!

(ここまでくると笑うしかない)

 

 

果ては、無断欠勤者など、勤怠悪化者の個別面談もなども数々行いました。

 

 

それも仕事の一つでしたし、

 

オペレータさんの目線に立って話をすることで、

 

センター内にどういう偏りや問題点があるのかが

 

見えやすかったと思います。

 

 

 

そういった声を汲み取りながら、

 

マニュアル類の整備や運用面の改善、

 

伝え方の工夫も普通の人よりは密にできたと思います。

当然、全てのことではなく、私にできる範囲でです・・・

 

 

 

時には解決に繋げることもできたので、いつしか、センター内の

 

リーサルウウェポン、

ちょっと攻撃的な表現ですね・・・

 

「最後の砦」のような存在だったようです。

あくまで人から言われた表現です。

 

 

 

思い返すと、カウンセリングかじりのようなことを

 

当時から行っていたんだな~と

 

振り返って気付きました。(*⌒∇⌒*)

 

 

 

 

少しずつサービス品質も上がっていき、

 

一番大きい時は、月に4千万円の売り上げを超え、

 

スタッフも200名近くまでになりました。

当たり前ですが、私はそこに至る一つの歯車にすぎません。

 

 

 

 

そして、当時の私は管理職の一歩手前の役職でした。

 

この会社を誘ってくれた上司より、私がさらにステップアップできるよう、

 

東京本社へ転勤し、営業職に従事して欲しい

 

と打診がありました。

 

 

 

実は、その打診を受ける3ヶ月前の2012年12月に私の父親が急に亡くなりました。

いずれ、父親との関係性について書きますね!

 

 

あんなに喧嘩ばかりしていた母親は、

 

憔悴しきっており、毎日泣いてばかりいました。

 

 

 

なんだかんだで、

 

「愛していて、心の支え」だったんだな~と

 

夫婦としての絆の深さを初めて知りました。

 

 

 

母親はまだ実家の三笠市におり、一人暮らしをしていたのですが、、、

 

 

ある日、自宅の屋根に上って作業している時に

 

強風で2階の屋根から落ち、庭にあった鉄柵に脇腹を強打しました。

 

 

すぐに意識を取り戻し、雪の中、何とか這いつくばって

 

自力で家に入り救急車を呼んだそうです。

意識が戻らなかったり、救急車を呼べなかったら

死んでいたと母は言っていました。

 

 

勤務中だった私は搬送先の病院から連絡を受け、

 

すぐに実家に向かいました。

 

 

 

意識はありましたが、

 

肋骨はばらばらに折れ、数本が肺に突き刺さり、

 

肺の中に血が溜まっていたため、管を腹から通してしばらく血を抜いていました。

 

命には問題ありませんでしたが、重症でしたので、

 

私が休みの日は毎日様子を見に病院に通っていました。

 

 

 

そういう時期であることも上司は理解した上で転勤の打診があった訳です。

 

 

 

これには正直かなり悩まされました。

 

 

母が退院したとしても、心が病んでいましたから、

 

できるだけ近くで生活していたい気持ちと、

私は7人兄弟ですが、皆道外にいましたので・・・

 

 

ステップアップしたい気持ちがないわけではありませんでしたが、

 

 

管理職になるためには、

 

本社転勤による営業職の経験が条件という

 

社内規定には無いグレーなルールがこの会社にはあり、

 

それに対する疑問もありました。

 

 

 

結論としてはその打診を断り、

 

会社とは札幌近郊以外では勤務しないという

 

「地域限定職」の手続きも行いました。

 

 

こうして、管理職への道は閉ざされたことになります。

この判断に対して後悔は一切ありません。

 

 

その後は、センター内業務の第一線からは退き、

 

労務・人事関連の業務に従事していました。

 

 

 

そして2014年2月、

 

別部署にて新規業務の立ち上げメンバーとして異動打診があり、それを受けました。

 

 

別クライアントの受電業務でしたが、

 

競合他社業務でしたから、それなりのノウハウもあり

 

特に抵抗もなく関わることができました。

 

 

 

個性豊かなメンバーが多く、

 

いろいろと苦労することもありましたが、

 

同じクライアントから別業務も任されるなど、

 

順調に拡大へと繋がっていきました。

 

 

 

 

 

 

サラリーマンを卒業しようと決意したのは、

 

この部署での仕事がきっかけになります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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