ゲーム業界、第6の時代 | N2GAMES社長ブログ

ゲーム業界、第6の時代


$横浜のソーシャルゲーム会社社長ブログ


スマフォ用ゲーム開発モジュールとして注目されている「Unity」のデモを見て連想したのは、

「この先、なにを作りたいのか」

ということだった。

デモでは、よくあるような3Dのゲームのさまざまなシーンが延々と繰り返されている。
開発ライブラリとしては非常によくできた印象。

しかし、ゲーム自体はありふれたものばかりで、別にこれを作りたくて3Dをやったりはしないな、しかもこれだけの重厚でクオリティの高いゲームを作るには相当なコストがかかると思った。

昔、プレステ2などの開発にプログラムや企画で関わり、デスマーチをこなしてきた身としては、クオリティの高いゲームが動いているさまを見ると、仕事だけでなく人間関係でも高密度だった毎日が思い出されて、懐かしい感じがする。

ゲーム開発は決してつらかったわけではなく、どちらかというと楽しくて成長の余地をどんどん埋めていくのが楽しかった。
まあ徹夜はいやでたまらなかったけど。自分の時間を大事にするタイプなので。

ちょうど僕がコンシューマゲームに関わり始めたのはプレステの初期からで、ほどなくプレステ2にゲーム業界は移行していった。スキルがそれなりになったとき、プレステ2のゲーム全盛期にちょうどぶつかった感じだ。

そのころ目に見えて多かったのは、プロジェクトの中止だった。
要するにゲーム業界自体が、あまりに高コスト体質になってしまい、採算が取れなくなってきていた。
今でこそコンシューマゲームの低調は誰の目にも明らかだが、そのころからすでに兆候が出ていた。

開発に高いコストがかかれば、費用対効果をプラスにするために、なんとしてもゲームを成功させねばならない。金が多くかかればかかるほど、成功すれば大きく儲かるが、逆に失敗すれば損も莫大だ。

だからお金を出すクライアントはゲームに安定を求めるし、無難な線で面白いゲームを作れと圧力をかけてくる。しかし逆説的に言えば、クライアントが知っているような、今まと同じようなものを作って群を抜いた面白さが作れるはずがない。

お客が求めているのは既知であり、未知だからだ。

「なにか新しいものが出たらしいぞ」という感覚がなければ、話題にすらならない。

その新しい要素をクライアントはつぶしにかかる。
つまり強いディレクターのいる会社か、自社開発ができるメーカー、老舗のシリーズもののプロモーターが生き残っていく時代だった。
案の定今はそういう会社だけが残った。

ちょっと話がそれたけど、別にコストがかかるゲームが嫌なわけではない。
僕は結果が出ないゲームがいやなのだ。

結果とはなにか?
それは評価であり、対価だ。

僕は決して、作っていて楽しければよい、ゲームに開発にかかわれればよい、と満足する人間ではなく、長い時間をかけて作るものなら、それ相応の結果が欲しい。
それでこそ、かけた時間が報われるからだ。

いや、結果を出すためにこの仕事をしていると言っていい。

こんなことをおおっぴらに言うと慎ましさがないと言われるかもしれないが、公私共に成功し満足する日々を送るには、自己満足に加えて高い社会的評価が必要だと思っている。


で、Unityの「ありきたり3Dゲームのデモ」を観てもうひとつ思ったのは、

「今はこういうゲームの時代じゃない」

ということ。

時代の流れを大きく考えると、

1・複数人数が集まって遊ぶ時代
2・一人遊びゲームの時代
3・ネットで楽しさを共有する時代
4・数人で通信でゲームプレイを共有する時代
5・マスが通信でゲームプレイを共有する時代

という流れがあり、今は「5」の時代の導入期にあたる。
つまり大人数がゲームをプレイするためのゲームデザインが求められている時期に入っている。

そして現在は導入期に見られる「チープな開発、大きな成果」という濡れ手に粟の時代だ。

そこでこのUnityの3D表現だが、中から大規模のMMOを作る体力のある会社ならまだしも、ベンチャーや中小のゲーム企業には、まだまだ必要のないものだ。
逆にこれを使っていたら、時間ばかりかかって導入期のブームを逃してしまいかねない。

ガラパゴスケータイのゲームブームはあと1年持てばいいほうで、どんどんスマフォに移行していくから、それに合わせてソーシャルゲームのクオリティは上げていくにしろ、現在の時期にUnityはまだ早い。

さらに、3D表現はライトユーザーに対して、そこまでリッチにしなくても十分、という傾向もある。彼ら、彼女らはゲームにそこまでを求めていない。スキマ時間をそれなりに密度の高い経験で埋めてくれればそれでよいと思っている。

マスでプレイするゲームは自然とライトユーザーの比率が高くなる。
参加人数が多くなればなるほど、ゲームにそれほど比重を置かない人の比率が上がるのは当然だからだ。

ということで、Unityのデモを観て、なんか違うなと思ったのは、まとめるとそういうことだった。

「この先、なにを作るのか?」

ということの答えだけど、「6」の時代は、マスが参加するが、その中で細分化されたグループが、リアルでも会うようなコミュニティを作る時代、と予想している。

今、ネットに足りないのは、圧倒的に「感情」だ。
メールやブログの記事では感情が伝わらない。

メラビアンの法則によると、人は言葉から7%、聴覚情報から38%、視覚情報から55%の影響を受ける。
つまりネットは7%の情報がほとんどで、人が真に感情を豊かにするには視覚と聴覚が必要。
それには、リアルで会うしかない。
リアルで会ってこそ、真に満足のいくコミュニケーションを味わえるし、充実する。
ゲームに対する「思い出」が、コミュニケーションによって最大化する。

だから声や映像が見れる動画サイトやライブ動画サイトが、今最も伸びている。
これらは離れていてもリアルっぽくコミュニケーションできるツールだからだ。

ゲームも、マスがプレイする時代になり、この流れに乗ってくるだろう。

ゲームを媒介にしてリアルの関係が発展していくという流れは、例えばRTSやFPSのゲーム大会、「BlizzCon」などの大規模なカンファレンスなど、ファンの集いとして盛り上がっている。

ゲーム会社には、今後こうしたファンサービスの拡充が求められるはず。
それでこそゲームプレイヤーの満足いく「ライフスタイル」を創りだすことができるからだ。