子供に宿題をやらせるか否か | 友松直之のブログ

子供に宿題をやらせるか否か

 宿題の学習効果については諸説あるようだけど、そんなもんあるわけねえよ! という俺実感はさておき、何より問題視されるべきは「家庭指導」の名で、親が(家庭が)学校の(社会の)同調圧力になって吊し上げて、子供から逃げ道を奪うことだと思うんだよな。

 もう何度も話したことだから、ざっくりとだけ再説明すると、
 サラリーマンが会社で仕事の不出来をなじられて家に帰ってまた同じ価値基準で仕事の不出来をなじられたら、もうそんな家には帰らないし鬱にもなるし自殺もする、って話な。
 仕事の出来不出来や給料や社会的評価に関係なくアナタ愛してるパパ世界一と受け入れてくれる家庭だけが社会からのシェルターになり得るし、家庭にそれ以外の意味はない。
 電通の鬱自殺OLが会社の(上司の)過重労働命令に逆らえず、退職もできず、結局自殺した労災事件で、
 親が「命より大切な仕事なんかない」とかコメントしてたけど、あれ大笑いだよな。
 他でもない彼女の両親こそが彼女をそういうイビツな人間に育て上げた張本人であることは想像に難くないわけで。
 学校が(先生が)やれと言うんだから宿題やりなさい勉強やりなさいいい成績を取りなさい、の延長に、会社が(上司が)やれと言うんだから残業しなさい過重労働しなさい鬱自殺しなさい、があるのは火を見るより明らかだよな。
 社会が提示する価値観以外の価値観を、親が子供に示してやれなかった成れの果て、の好例じゃないか。
 稼ぐ金の金額だけで(あるいは学歴だけで)人の価値をはかるのがどれだけ視野狭窄か、というのと同じ話で、学校の成績や教師受けで、子供の価値をはかるべきじゃない。せめて親だけは、って話ね。
 社会が(世間が)わかりやすく財産や学歴で人の価値をはかったり、学校が(教師が)成績や宿題で生徒の(子供の)価値を判断するのは、これはもう仕方がない。優劣をつけて管理するには指標とか規準が必要だろうからね。

 でも、学校が示す指標なり価値規準を、親が真に受けて、我が子の価値をはかる規準にするのは、本当に馬鹿馬鹿しい。
 という。
 成績が悪かったり、宿題をやってなかったり、準備物を忘れたり、学校で気まずい思いをして、子供はもう充分な罰を(社会的制裁を)受けている。
 親が(家庭が)追い討ちをかけて叱る必要なんかどこにもないじゃないか。
 という。
 学校の(社会の)同調圧力になって、親が(家庭が)子供を責め立てるのは、間違っていると思う。
 君は宿題を真面目にやる子供だっただろうか?
 俺は全然そんなタイプじゃなかったし、学校(や教師)と一緒になって俺をなじり続けた親に対しては恨みつらみばかりで一ミリの感謝もない。愛情を疑うレベルの憎しみしかなかったよ。
 今や大人の俺は当時の親の心情も想像できるから、ああ本当に馬鹿で低俗な連中だったなあと、心安らかに親どもを軽蔑できるようになったけど、
 まだまだ確固たる自信を身につけているとは言い難い小学生の福吉にはちょっと難易度が高いんじゃないかな。
 学校に小突かれ親に小突かれ、宿題をやらないやりたくないできない自分に、自己否定の意識を持ってしまうんじゃないか?
 鬱自殺電通OLへの道、その第一歩だよ。
 だから、俺は福吉に、宿題をやるように「家庭指導」するつもりはないよ。
 君が、福吉に「家庭指導」することに、反対する気もないけどね。それは、親権者たる君がやることには一定の敬意を示すべき、と俺が考えるからだね。意見は言うけど「余計な口出し」はしない。
 でも、俺にまで学校の同調圧力になることを期待されても困るんだよ。
 俺は学校が期待する「家庭指導」はしません。
 だから君もそこは認識して「宿題やらせてください」などと、俺にまで同調圧力になることを、子供イジメ、あるいは毒親的虐待の共犯者になることを要求しないでほしい。そこ期待されても困るんだよ。
「やりたくないなら宿題なんてやらなくていいから、胸を張ってサボって、しっかり学校で叱られてきなさい」
 としか、俺は言わんよ。
 向学心に燃える子供なら、その勉強に水を差したり邪魔したりはしないけど、福吉は(俺と同じで)そういうタイプではないようだしな。無理にやりたくない宿題を彼にやらせる必要を全然感じないのさ。

 

 さらに「毒親考察」を続けるならば、

 親たちの「子供のためを思えばこそ」「あなたのために言ってる」って例のあの決め台詞、胡散臭いよな。
 それ、全然子供のためじゃねえだろうよ! ってことがほとんど。
 親の見栄だったり世間体だったり、とにかく親側の事情だったり都合だったりするわけだけど、
 まあ、それについては、子供は親の都合に振り回されるのが宿命みたいなところがあって、振り回されたくなければ、早く独立するしかないわけで。
 それにしても、親が子供を所有物だかペットのように支配して思い通りにコントロールしたがるのは、いかがなものかと思わざるを得ない。
 しつけもいいけど、ドッグショーに出品する犬じゃないんだから、芸を仕込むのに、そこまで血眼になる必要はないわけで。
 毒親、という流行語の語源はスーザンフォワードというアメリカの心理学者の本「毒になる親」なんだけど、
 世間的に使われている、単にダメ親、馬鹿親という意味とは実はちょっと違っていて、
 この本で指摘される「毒親」は、「子供を支配したがる親」のことなんだよな。しかも自分が「毒親」であることに無自覚、という。
「子供のためを思えばこそ」「あなたのために言ってる」なんて例のあの決め台詞が出たら、自分の「毒親」ぶりを疑ったほうがいい。
 宿題も部屋の片付けも早寝も歯磨き習慣も食事マナーも動画の見過ぎゲームのやり過ぎも、
 それに対して指導することは、別に「子供のため」じゃない。
 見ていて腹が立つから感情的に怒ってるだけだよな。いや、それがいけないと言いたいわけじゃないよ。
 部屋の片付けはこの家のルールだから、片付けたくないなら独立して自活しろ(すなわち、出ていけ)というのは、まともな話だよな。
 あるいはその食事マナーは見苦しいからその食い方がしたいなら独立して自活しろ(自分の金でメシを食え、すなわち、出ていけ)というのは、まとも。
 そこに「子供のためを思えばこそ」「あなたのために言ってる」というおためごかし表現が介入することで無駄に胡散臭さが増すわけで。
 視力が落ちようが虫歯になろうが、犬食いぶりに誰も一緒に食事してくれなかろうが、学歴がなくて就職できずに路頭に迷おうが、困るのは本人であって、困るのも本人の人生選択の自由なんだ。
 親は、その情報だけを伝えてやればいい。「虫歯になるぞ」「眼が悪くなるぞ」「将来困るぞ」などなど。
 あくまでも有益で冷静な「情報伝達」なんだから、語気を荒げたり罰則を課したりする必要はどこにもない。
 感情的に怒鳴りはじめたら、それはもう「しつけ」じゃない。その場合、問題を抱えてるのは子供の行動じゃなくて親の精神だよ。
 子供はドッグショーの犬じゃない。
 相手が自分の思い通りにならないから怒り狂う、なんてのは、はっきり精神病の範疇だろうからね。

 すなわちこれが「毒親」ね。
 高校生対象のアンケートで「自分が価値のある人間だと思うか?」という問いに「思う」と答える割合は、アメリカ中国が半数なのに比べて、日本の子供はわずか7%なんだとか。
 つまり九割以上の高校生が自分を無価値だと思い込んでいる。そりゃ自殺大国にもなるわな。
 これがつまり毒親被害の結果なんだよ。
 暴力や性暴力はわかりやすく虐待だけど、わかりにくくしかしじわじわと確実に毒になるのが「毒親」なんだ。虐待認定が難しく、そのことがより問題の根を深くする。
 子供は親を嫌いになれないし軽蔑できない。子供は親が間違ってることに気づけない。親の期待に添えないとき、その期待が異常なんだと指摘できない。だから期待に添えない自分に問題があると思い込んでしまう。
 子供の自己否定的な意識はそうやって作られる。
 宿題にしろ生活習慣にしろ、親が血眼になって怒り続け怒鳴り続けて「家庭指導」して「しつけ」して、その結果として晴れて品行方正高学歴高収入で鬱自殺って。笑えないか?
 かなりズレた子供時代と思春期を経て苦しみ苦しまされそれでもたくましく生き抜いた君が、まさか福吉をそんなふうに育てたがってるとは思えないんだけど。どうなの?

「毒になる親」にこんな一説がある。

 どんなに甘やかして育てても、間違った厳しさでコントロールするよりも、子供の将来に与える悪影響は軽微である。

 なかなか含蓄ある言葉じゃないか?