Amebaの健全なサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為アクセスすることができません。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2014-10-30 18:05:55

11/23(日)フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン in横濱HAPPY MUS!C映画祭

テーマ:ブログ
みなさま

「鉄ドン」の星野です。
一斉送信で失礼します。

いつも「鉄ドン」に参加、協力、応援ありがとうございます。

今回のご連絡は【横濱HAPPY MUS!C映画祭】上映決定のお知らせです。
「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」が【横濱HAPPY MUS!C映画祭】で「招待作品」として上映されることが決まりました。

11月23日 16:00
横浜シネマ・ジャック&ベティ
入場料1500円

映画祭スケジュールホームページ
http://www.happy-music.jp/y_movie/sch.html

「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」予告編


よろしければ、SNS、Twitter、ブログなどでのPRご協力を
いただければ助かります。

この上映がうまくいけば、関東圏映画館公開の可能性がグッと高まるかと思います。


今後ともよろしくお願いします。

●関連記事 http://ameblo.jp/n-tomomatu/entry-11300132389.html
AD
最近の画像つき記事
 もっと見る >>
2014-10-30 12:11:08

11/28(金)29(土)30(日)劇場版レイプゾンビ新たなる絶望 上映会 in京都

テーマ:ブログ
2014年11月28日(金)~30日(日)
レイプゾンビシリーズ(劇場版)京都上映会開催決定!
http://movieboo.org/special/

●会場 Green & Garden (グリーンアンドガーデン)
京都市中京区三条猪熊町645-1(2F)
Email: green_and_garden@ybb.ne.jp / Twetter: @greenandgarden

●11月28日(金)
劇場版レイプゾンビ LUST OF THE DEAD 新たなる絶望(完結編)
開場 18:00  上映 19:00 終了予定 20:35 / 前売  ¥1000 当日 ¥1300 学割 ¥600

●11月29日(土)
女性限定上映会!
劇場版レイプゾンビ LUST OF THE DEAD 新たなる絶望(完結編)
開場 18:00  上映 19:00 終了予定 20:35 / 前売  ¥1000 当日 ¥1300 学割 ¥600
※女性のみご参加いただけます。男性は入場出来ませんのでご注意ください。

●11月30日(日)
「レイプゾンビ」シリーズ一挙上映 + 友松直之監督をはじめ、特別ゲストによるトーク、イベント
開場 12:00  開始 13:00 終了予定 21:00 / 前売  ¥2000 当日 ¥2500 学割 なし
[ゲスト]
友松直之(映画監督)
中沢健(作家、レイプゾンビ主演)
ももは(女優)
衣緒菜(女優)
佐藤薫(EP-4)
細井尚登(Movie Boo)
アリスセイラー(歌手,レイプゾンビ出演)
※ ゲストやイベントの内容は変更される場合があります。





レイプゾンビが完結した。製作開始から足掛け五年。企画からは七年くらいか。さらにさかのぼって元々は高校時代の部活仲間との馬鹿話であったから実に構想三十年。部活自主映画からはじまり、商業映画を監督するようになって早二十余年、ピンク映画やVシネマなどを中心にシナリオ作品もあわせると軽く百本以上作ってきたが、これほど楽しんで作った作品も他にない。誰でも考えつくレイプするゾンビというわかりやすさが受けてヒット(と言ってもたかが知れているが)、続編に継ぐ続編で合計五本をも数えたのは僥倖である。今回の上映はアリスセイラー関連イベントということで地元京都での開催。アリスさんとの付き合いはそれこそ高校時代の(インディーズレコード楽曲を無断使用していた)部活映画までさかのぼり、こちらも三十年来ということになる。アリスセイラーの三十年前と変わらぬ楽曲とともにレイプゾンビ・シリーズをお楽しみいただきたい。

$友松直之のブログ

$友松直之のブログ
AD
2014-10-08 14:42:03

追悼・八木猛 正論と行動と献身の人、俺にSFの楽しさを教えてくれた人。

テーマ:ブログ
【訃報】桃山学院高校漫画研究会の懐かしい先輩八木猛さんが亡くなりました。渓流釣りに出掛けての事故とのこと。情報が届かず告別式にも出られず。「ファイアークラッカー」監督。「宵闇探偵」脚本。ペンネームは浅死苦楽。俺にSFの楽しさを教えた人。合掌。

「けだし正論ヤギケダシ」というのが、桃山学院高校漫画研究会の先輩八木猛さんに、失礼にも生意気にも不肖の後輩であるところの俺が考えたアダ名というか、キャッチフレーズであった。
 まさに正論の人であった。びっくりするぐらいの知識量と何でもこなす器用さを持ち、常に正しくあろうとした。間違いを認めない狭量さはあったが、馬鹿馬鹿しさを愛する遊び心も当然知っていた。そして何より特筆すべきは、献身的とも言うべき度を超えた面倒見の良さであった。
 間違えている物を正す、間違えている者を指導するというあの謎の使命感はどこから湧いて出たものであろうか。
「お前、これ知ってるか?」あるいは「お前、これ知らんやろ?」の前置きに続いて披露されるのは、今読むべき本や漫画、観るべき映画の紹介であったり、知るべき科学知識であったり、トンデモ雑学であったり、はたまた取るべき道というか人生指南であったりもするのだが、あの特徴的な半笑いとともに繰り出される面白話は常に示唆に富み刺激に満ちていて、俺などはもう八木さんの「お前、これ知ってるか?」の前置きだけでわくわくしてしまう情報乞食ぶりを発揮したものだ。

 八木さんの同期にして親友であった広崎さんに聞くところによると、おふたりが高校一年生でクラスメイトとして知り合った頃は、非常に「トンガって」いて、休み時間は誰とも会話せずにひとり漫画か文庫小説を読んでいたという。他のクラスメイトが「その漫画は面白いのか?」「読み終わったら俺にも貸してくれ」などと声を掛けても完全に無視して、本を貸すどころか返事さえ返さなかったという。
 そのようにヒネていた頃の八木さんを俺は知らない。俺が桃山学院に入学して漫画研究会の部室を訪ねた時はすでに面倒見のいい先輩であった。広崎部長に八木副部長。このふたりは俺の中では常にセット販売であり、そろって身近なカリスマであった。それは俺の同期部員である高安、中野、郡司、平岡、大畑にとっても同じであったのではないかと思う。
「お前ら、どんなSFが好きやねん?」
 入部試験というわけでもないのだろうが、そんなことを聞かれた。俺は確か「銀河鉄道999」とか答えたのではなかったか。「スターウォーズ」とか「時をかける少女」とか「機動戦士ガンダム」とか「うる星やつら」と答えたやつもいた。まあ1982年の漫画・アニメ・SF好きの高校一年生ならそう答えるだろうという答えが並んだわけだ。八木さんは一喝した。
「そんなもんSFと違うわい!」
 八木さん曰く、「ラムちゃんが宇宙人なのはバカボンのパパが馬鹿なのと同じ」であって、そんなものを「SFと呼んではいけないと」いうことであった。さらに宇宙で戦争すればいいというものでもなく、それは「スペース・ファンタジー」ではあっても、「サイエンス・フィクション」ではないとのことであった。
 まあそりゃ正論だが、そんなに目くじらを立てる程のこともあるまい。だがそこで目くじらを立てるのが八木さんの「けだし正論ヤギケダシ」たる所以なのだ。
「今から俺が朗読してやるから聞け」
 と取り出したのは、かんべむさしの「水素製造法」であった。今なら俺もそこで激しく突っ込むところである。それがSFかよ!
 まあ当時は俺も何も知らない十五歳であるから、何でも知ってる(ように見える)十六歳の八木さんが朗読する小説に素直に耳を傾けたものだったが。ご存知の向きもあろうがこの小説は、全く科学的知識のない文系学生が化学系会社の就職試験で「水素ガスの製造法を述べよ」という設問に対して参照用の国語辞典のみを使って無理やり答えをデッチ上げるというショートショートに近い短編小説で、爆笑ものの一遍である。まあ確かにサイエンスだしフィクションではあるのだが、これをザッツSFとするのはどうかしている。八木さん流のギャグでもあったのだろう。
 ちなみにこの新入部員へのイニシエーションとしてSF短編小説を朗読して聞かせるというのはその後慣習として定着し、翌年には俺が後輩たちに筒井康隆の「乗越駅の刑罰」を読んで聞かせた。それがSFかよ! とセルフ突っ込みしておきたい。

 もちろん八木さんのSFへの造詣の深さは本物でもあり、フィリップKディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」も、ロバートAハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」「夏への扉」も、ジェイムズ・ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」も、アーサーCクラークの「幼年期の終わり」「2001年宇宙の旅」も全部八木さんに教えられて読んだ。
 八木さんが部活同人誌MICで漫画を書く時のペンネームは「浅死苦楽」であり、これは言うまでもなくアーサーCクラークをもじったものであった。

 堀晃の「梅田地下オデッセイ」も印象深い。1981年に発表されたこの小説をNHKがラジオドラマ化したものを、広崎さんが連続放送の全話をカセットテープに録音してラジカセとともに部室に持ち込んだのだ。
 ある日突然、大阪梅田の地下街(ウメチカ)のシャッターが降り、中に閉じ込められた者たちはうろたえながらもサバイバルを余儀なくされる。最近の映画「キューブ」もかくやといった不条理展開である。外の世界がどうなっているか、誰が何のためにウメチカを閉ざしたかは一切わからず(シャッターは空調や通電とともに「チカコン」と呼ばれる自立型の統括コンピューターに制御されている)、無理やり脱出しようとする試みは全て失敗し、首謀者は死の報復を受ける。水と食料は定期的に外部に続く二重の防火シャッターが交互に昇降することで「差し入れ」られる。主人公「おれ」を含む百余名は集落を作って生活するが、派閥が生まれ争いが起こる。力関係が安定するとそれを見越したかのように地下街各所の防火シャッターが上がったり降りたり、つまり地下街迷宮の地図を完全に書き換えてその均衡を崩しに掛かり、また争いが起こる。月日は流れ、疲弊しつつも適応して何とか生き残る「おれ」は行き掛かりで助けた女と愛を交わし、その女が子供を産む。それは異常に大きな頭部を持つ異形の赤ん坊であった。このウメチカ迷宮は、超人類であるところの異形の赤ん坊を産み出すための巨大な子宮であり、赤ん坊は混迷する世界を未来に導くための救世主であったのだ。
 この刺激的なストーリーに大阪在住の高校生がハマらないわけがない。正論の人であるとともに行動と検証の人でもある八木さんが先頭を切って、我々部員たちはフィールドワークに出掛けた。梅田の地下街を原作本片手に「おれ」の行動を追って歩いてみようというわけだが、これは土曜日の午後を丸々費やす想像以上に大変な労力であった。「その時、階段に続く防火戸が」八木さんが原作を読み上げ、頭上を見上げた。だがそこにシャッターの設備はなかった。
「シャッターなんかない!」
 八木さんが大声を上げ、一同は爆笑した。「堀晃、嘘を書くな!」というわけだが、いや、八木さん、これは小説だから。基本全部嘘だから。その爆笑は日曜日をまたいで月曜の朝まで続いた。今でもたまに思い出し笑いをしてしまうのは俺だけだろうか。

 また、「地下鉄車輌の最後部は発車の瞬間に真空になるから気をつけなくてはならない」というトンデモ話を真顔で聞かせてくれたこともあった。信じる方もどうかしているが八木さんを盲信する俺は頭から信じて、友人や家族にその馬鹿知識を披露して呆れられたものであった。しかしあれはどういうつもりだったのだろうか。単なる冗談か、馬鹿な後輩が自分の嘘をどこまでなら信じるかを試そうとしたのであったか。まさか八木さん自身がそれを信じていたというわけでもないと思うのだが。

 さておき、その年の我らが漫画研究会は文化祭で部活同人誌の販売とともに、自作アニメ(+特撮)映画を上映することとなっていた。脚本・監督を八木さんが務めた「ファイアークラッカー」である。木星アステロイドベルトに駐屯する宇宙ステーションでの冒険活劇で、「スター・トレック」のテレビ版と「さよならジュピター」を足して二で割ったような内容であった。キャラクターはアニメで描き、宇宙空間と宇宙船を特撮で表現した。
 主人公ダンを西野先輩こと「あらきあきら」が描き、ヒロインのミシェールを阪口先輩が描いた。入手困難なセルは使用せず、コピー用紙に描かれた動画に直接水彩絵具で彩色し、広崎さんが8ミリフィルムカメラのひとコマ撮りで撮影した。口パクなどの部分的な動きは、その部分をハサミで切り抜いたものを元の絵の上に乗せてガラス板で押さえて撮影した。
 特撮パートは、一年生ながら高安と中野が中心になって、ボール紙とプラモデル部品をつなぎ合わせて作った宇宙船をタコ糸で吊って操演した。宇宙空間は黒く塗ったベニア板に千枚通しで無数の穴を空け、それを部室の大窓に貼って表現した。窓外からの外光で無数の穴が星々になるという寸法だ。一本の映画を自分たちの手で作り上げるのは何と楽しいことであったか。
 当時の桃山学院には我らが漫画研究会の他に、アニメ研究会とSF研究会がそれぞれ別のクラブとして存在し、それなりに仲良く交流していたし活動内容も似たようなものであったのだが、クラブ選択の指運というか何というか、入ってしまえばその部活に肩入れするし対抗意識もあったりする。八木猛監督作品「ファイアークラッカー」はアニメ研よりアニメでSF研よりSFであった。素晴らしい。我らの誇りであろう。
 そう言えば映画研究会もあったようだが、連中は等身大高校生映画(つまりSFも冒険も活劇も関係ないタイプのやつ)を撮るような感じで、我々とは交流もなく興味もなかったし上映を見た記憶もない。
 ちなみに翌年の俺の年代には、西野さんや阪口さんのように絵のうまい部員がいなかったので最初からアニメは考えず、完全実写で馬鹿短編を撮りまくり、長編は宇宙生命体に身体を乗っ取られてゾンビ化する「地球SOS」を撮った。「ボディスナッチャー」というか「遊星からの物体X」というか、まあ当然ロメロ「ゾンビ」へのリスペクトは忘れずに。俺の脚本監督であり、今日まで延々と続く俺のエログロナンセンス映画人生の始まりでもあった。

 八木さんは高校を卒業後一浪を経て東京電気通信大学に進み、同じく一浪で都立大学に進んだ広崎さんとともに、おふたりともそれぞれ大学では映研に入っていた。広崎さん曰く「漫画より映画の方が面白いことに気づいたんだろうなあ」とのことであった。
 俺はと言えば大阪芸大映像学部を受験して落ちたり、桃山学院大学に進学してすぐに中退したり、親の家業を手伝ったり、まあ進路を定められずに迷走していたわけだが、思い立って東京の八木広崎両先輩を訪ねることにした。50CCのスクーターで一号線を走って大阪から東京まで行くという、行き当たりばったりのツーリングとも言えない道行きであった。今にして思えばあの時の上京は、自分が何者なのか、何をすればいいのかわからなくて、両先輩にご教示いただこうという魂胆であったのだろう。まあ単に甘えたかっただけかもしれない。
 このおふたりは何故か俺に優しく、俺の才能を評価する発言をよくしてくれていたのだ。同期の連中はライバル意識もあるのだろうが、誰も俺の才能を認めていなくて、無茶な撮影に付き合わされて一番被害を受けるのは彼らであるのだからそれも当然だが、卒業して文化祭がなくなれば「もうオマエの映画に付き合わされるのはゴメン」とばかりに距離を置くようになってしまった。その点八木広崎両先輩は同期の対抗心もなく、尻尾を振って懐いてくる馬鹿な後輩を無下にもできず、あのように根気よく俺に付き合ってくれたのではないかと推察する。
 漫画でも映画でもいいから早くプロになれ。コイツは俺の後輩なんだと周囲に自慢する日を楽しみにしているんだ。というようなことを十八歳の俺に吹き込んでくれる八木広崎両先輩の存在を、当時の俺は切実に求めていたのだと思う。

 八木さんは俺の50CC一号線道行きを面白がりながらも、なぜ京都に寄らないんだと指摘した。どうせなら東海道を走破しろという、まあ正論でしょうけど。
 さらに範を示すというつもりだろうか、実際次の帰省の際に八木さんは自転車で東海道を京都経由で大阪まで帰ってきた。そこで対抗しますか。俺は笑ってしまったが、今度は広崎さんが徒歩で行くと言い出し、じゃあその次は俺が逆立ちで行くという話になった。
 とは言いつつも広崎さんの東海道踏破が実行されなかったので俺も逆立ちの練習はせずにすんだのであったが。

 自主映画を撮ろうじゃないかという話になり、広崎さんが脚本を書き、「くるくる」という猫が変身した少女に逆ナンされるラブコメファンタジーを撮った。俺が監督して、八木さんは制作兼助監督を務めてくれた。アフレコには八木さんのコネで電気通信大学のアフレコルームを使わせてもらったりもした。続く「宵闇探偵」では八木さんがシナリオを書いてくれた。「東京道化師」では完成前に郷里に帰ってしまった主人公役の代わりに、声をアテレコしてくれた。どこまで面倒見がいいんだか。ありがたいことである。

 その後、八木さんは大学を卒業して時事通信社に就職するも数年で休職、青年海外協力隊でホンジュラスに赴任した。正論の人にして行動の人である八木さんらしい人生選択であった。壊れたテレビを目の前に置かれてその故障原因を調べて修理するという試験があったという話を面白そうに語ってくれたのを思い出す。八木さんはその献身的な面倒見の良さを国際レベルで発揮するつもりなのだなあと感慨深く思ったものであった。
 俺はと言えば上京して漫画家内田春菊のアシスタントを務めたけど務まらなかったり、広崎さんが都立大映研時代にアルバイトしたことがあったアダルトビデオの制作会社を紹介してもらって潜り込み、そこで知り合った監督がピンク映画を撮るというというので勝手に書いたシナリオが採用されて脚本家デビューしたり、その縁で翌年にはホモの成人映画を監督して商業映画監督としてなし崩しのままデビューしたりしていた。

 ホンジュラスの八木さんからは一度絵葉書をもらった。「友松は俺が知ってる日本人の中ではもっとも南米人に近い!」との謎の一文が添えられていた。享楽的で刹那的という意味だろうか。まあ特に反論はしませんが。
 だが広崎さんに宛てては、ホンジュラスで目的を見失って欝状態にあることが長文の手紙に綴られていたという。八木さんは任期を繰り上げて帰国し、提出を義務付けられていたレポートにも否定的な意見を書いたらしい。「優秀な人材はみんなアメリカに行き、地元に残る人間のほとんどに向上心は皆無であり、日本の技術を伝えるにもそれを受け取る者はいない。海外協力隊は無意味である」といった趣旨であったらしい。その上申を受けてホンジュラスへの青年海外協力隊はその後取りやめになったとも聞くが、真偽のほどはわからない。

 だが八木さんのホンジュラス時代にまったく得るものがなかったかというとそんなことはなく、現地で知り合った海外協力隊仲間の縁者と知己を得てその後結婚したのだから、しっかりしているというかうまくやったというか、そこは仲間内でもからかいのネタになったものである。
 結婚式は我らが漫研の活躍の場であった桃山学院高校のチャペルで行われた(卒業生は無料で結婚式を挙げられるという特典付きなのがミッションスクールのいいところである)が、残念ながら俺は出席できなかった。その失礼をわびる目的もあって、ご結婚一年目くらいであろうか、西船橋の新婚宅におじゃました。当時の俺の新作にして渾身作「コギャル喰い大阪テレクラ篇」のビデオテープを持参して、その場で押し掛け鑑賞会をやらかしたのであった。新婚家庭に押し掛けてピンク映画を強制鑑賞させる非常識についてはご勘弁願うとして、夫婦そろって観てくれたのは感謝すべきだろう。付き合いのいいことである。
 奥さんは非常に物腰の柔らかい可愛い人で、ああ、まさに八木さんが選びそうな人だと思ったものである。奥さんは八木さんに心酔しているように見えた。当然愛情たっぷりではあるのだが、夫婦というより教師と生徒というか、教祖と信者は言い過ぎだが、リスペクトが半端ない印象があった。妻に尊敬されるのは夫の、男の理想ではないか。うらやましいことであった。
 先日、八木さんの弔問に訪れた際にお会いしたのが二度目であったのだが、二十年近く経っても物腰の柔らかい可愛い印象はまったく変わらなかった。一度お邪魔しただけの俺のことを奥さんはよく覚えてくれていて、俺が言った言葉も記憶していた。
「完璧超人に見えても、八木さんは脇が甘いから揚げ足を取るのも実は簡単ですよ。理想的正論については適当に聞き流して何の問題ありません」
 こら、二十年前の俺。先輩に対して何と失礼なことを言うか。俺は自分がそんなことを言った記憶は全然ないのだが、まあいかにも俺の言いそうなことではある。「そもそも彼は『けだし正論ヤギケダシ』とその過剰な正論ぶりが揶揄されておりまして」などと適当なことを言い散らかしたに違いないのだ。それにしても仲良し夫婦の新婚生活に水を差してどうするか。炊事も掃除も洗濯も家事全般を完璧にこなす八木さんに「いろいろと教えてもらっているんです」という奥さん発言を受けての俺発言のようだが、あるいは妻に尊敬される夫を演じる八木さんの幸福に嫉妬してのやっかみ発言だったのか。まったく汗顔の至りである。
 とは言うものの、「あの時そう言ってもらって、その後の夫婦生活が楽になったんです」とのことであったので、ご勘弁いただくことにしよう。

 掃除と言えば、大学時代の八木さんのアパートに泊めてもらっていた際、八木さんが掃除をはじめたことがあった。台所からはじまって、床、窓、壁といつまでも掃除を続けている。泊めてもらっている以上俺も手伝わないわけにはいかないのだが、面倒なので手伝わずに眺めていた。いや、手伝おうとしても手際の悪さを指摘されるので腐って投げ出したのであったか。ドアの雑巾がけで、ああ、これでやっと終わるかと思いきや、共有部分の廊下の掃除をはじめ、さらには共同トイレまで掃除しはじめたのには呆れた。タイルの目地の黄ばみは漂白剤と歯ブラシで落ちるが、この陶器のくすみはどうしてもきれいにならない。どんな洗剤を使ってもどんな掃除器具をつかっても駄目なんだが、「何かいい方法を知らんか?」などと言われても、そんなもん俺が知るわけないのである。
 それにしてもトイレは共有部分なのだから何も八木さんが掃除することはない。それは管理人というか大家さんの仕事ではないのか。あるいは住人全員で当番制にするとか。俺の指摘に対しては「俺が自分でやったほうが話が早い」とのことであった。正論に行動、そして献身。まさに八木さんらしいエピソードであった。

 二十代の終わる頃には疎遠となり、それぞれの人生が忙しくて連絡を取り合うことさえなくなった。学生時代の友人とはそういうものであろう。三十代四十代と言えば人生の一番忙しく充実する時期でもある。
 友情は社会性動物であるヒトの本能で、マンモス狩りのチームワークを可能にするものであろう。現代人にとっては仕事を通して同僚や得意先取引相手に対して持つ仲間意識がこれに相当しよう。草野球チームや麻雀やサークル活動の趣味でもない限り、プライベートで誰かと友情関係を作ろうとは思わないのが大人である。孤独を好むのはテストステロンの影響らしいから、これは男の特徴ということになるかもしれない。我が身を振り返っても、仕事かセックス以外で他人と時間を共有しようとは思わない。まあこれは俺が酒を飲まないということも関係しているのかもしれないが。
 桃山学院高校漫画研究会は俺の原点でありルーツであり、今の人生にも直結している。現在も日々文化祭前夜を繰り返しているような俺である。その最初期の仲間である部活仲間に対しては、今ももちろん特別な友情を感じている。それでもやはり、またそのうち会う機会もあるだろうと、実際に会おうとはしない。
 だからこそ、このような寝耳に水の訃報に衝撃を受け、なぜ会っておかなかったんだろうと後悔することになるのだが。

 それでもつい三年前、久し振りに連絡を取り合い、八木広崎両先輩と俺の三人で会おうという話になった。その頃俺はプロになってから二十年目にして映画を撮り続けることに限界を感じるというか、いや、ぶっちゃけある女優との恋愛をこじらせて何もかも嫌になり、周囲に対して廃業宣言したりしていたのであった。だからこそ彼らと会おうと思ったわけでもないだろうが、もしかすると意識下では、また三十年前のように両先輩に甘えたかったのかもしれない。
 だがこの会合は実現しなかった。約束していたのは3月11日であり、ご存知のように東日本大震災が起きて都内交通機関が完全麻痺したのであった。十年単位で会ってなかった旧友との再会の日に地震が起きるって、どんだけピンポイントなんだか。
 キャンセルとなったその夜に、俺は童貞卒業の瞬間に地震が起こるというエロ馬鹿話を思いつき、久しぶりに徹夜で一気にシナリオを書き上げた。完成作品では地震は不謹慎であるというメーカー判断で単なる電車事故による都内交通麻痺に書き直した「ヤラせる女教師」であるが、そのようになし崩しで廃業宣言はたったの二週間で撤回されて、俺はまた映画製作の日々に戻ることになる。

 一方八木さんは、東日本大震災の惨状を知るや会社を休んで単身バイクで現地に乗り込み、ボランティアとして避難所のパソコンをネットにアクセスできるようにするという作業に従事していたという。ガソリンが入手できなくて帰京の際は難儀したという話であった。
 どこまでも八木さんは八木さんらしく正論と行動と献身の人であった。会社とはそんなに簡単に休めるのかという疑問もあるが、青年海外協力隊から帰国後に復職した時事通信社において、「この年齢で平社員なのは自分だけ」と語っていたというから、それが八木さんの仕事へのスタンスでもあったのだろう。投資家向けの株式相場ニュースを担当していたというが、限られた小金持ち限定の情報発信に必要性を感じられないとこぼしていたこともあるようだから、社会的意義という意味において被災地へのボランティアの方が、八木さんにとってはずっと価値のある「仕事」だったのだろう。

 キャンセルになった再会の約束を復活させることはなかった。俺がそのまま「レイプゾンビ」シリーズの製作に入ったこともあり、それどころではなかったという事情もある。
 その代わりというわけでもないが、八木さんとは「レイプゾンビ」の宣伝のためにはじめたツイッター上で会うことになる。
 俺の宣伝戦略は、タイトルを呟いた人を即座にフォローしてユーチューブアップした予告編や販売するネットショップのURLを貼り付けるという通り魔的なものであるが、そこに「レイプゾンビと一言呟くと監督がやって来てフォロー&宣伝リプされるという都市伝説は本当」とふざけた一文をつけるのを常とした。
 これが八木さんには許せなかったらしい。「『本当』ならそれは『事実』であって『都市伝説』ではない!」というリプが届いたのだ。
 俺は爆笑した。ああ、そりゃまあ正論でしょうけど。そこ突っ込むのか。そんなことを八木さん以外の誰が気にするというのだ。
 他にも、赤頭巾少女が狼男軍団を銀製日本刀で斬りまくる「本当はエロいグリム童話レッド・スウォード」について、「SWORDのカタカナ表記がスウォードなのはおかしい!」というリプもあった。だからさあ、これほど突っ込みどころ満載の俺のエログロナンセンス馬鹿映画や俺の数ある馬鹿発言について、何であえてそこを突っ込むのか。まあ正論なんでしょうけど。どうでもいいところばっかりじゃないか。

「レイプゾンビ」は局地的ではあるがそれなりにヒットしてシリーズを重ね、今年2014年までの三年間で合計五本のDVDがリリースされ、再編集した三本の劇場版として公開もした。海外でも発売されてそれなりの売上があったようだが、中でもスペインでは好評だったらしく、ツイッター上でもスペイン語で感想が書かれたりしていた。スペイン語と言えばホンジュラスの公用語でもあり、そこは昔取った杵柄。八木さんの得意分野である。翻訳サイトの何ちゃって翻訳にわけがわからんとこぼす俺に対して、これはこれこれこういう意味のことを言っているから、返信する場合の例文はこれこれこうだろう、というようなアドバイスを懇切丁寧にしてくれたりもした。
 お礼も兼ねて久しぶりに電話したのはつい数ヶ月前の夏のはじめのことであった。ちょうど「レイプゾンビ」の完結編劇場公開を控えているタイミングだったのだが、「招待券を出すから観に来てくださいよ」という俺の誘いに対しては、「観なくても友松の映画は全部予想できるから観るまでもない」というつれない返事であった。そんなことを言うならまた自宅まで押し掛けて強制鑑賞会をやりますぜという俺の脅しに対して、高校一年生と小学六年生の息子がいる八木さんは、それはかなわんとばかりに映画館に出向くことを検討してくれたが、池袋の映画館でのレイトショー上映からでは終電でも船橋の自宅に帰りつけないということが判明し、結局来てはもらえなかった。朝まで始発待ちすればいいじゃないですか。俺も付き合いますよと食い下がる俺に対しては、もう最近は徹夜はつらいし、酒もやめたんだと言う。最近は山登りと渓流釣りをやっているという話もその時に聞かされた。

 八木さんが酒をやめたという話は意外であった。レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」や、八十年代アメリカン・ハードボイルドの名作、ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」を俺にすすめたのは八木さんだったか広崎さんだったか。
 アル中探偵マットスカダーは格好良かった。ずっと自分がアル中であることを認めず「いつでもやめられる」とうそぶきアル中自主治療集会を冷やかすことを趣味にしているような世をすねた探偵が(元警官であり、強盗犯を撃った銃弾が跳弾してゆきずりの少女を殺し、それがきっかけで警官をやめ離婚して世捨て人のように無免許探偵をやっている)、売春婦連続殺人事件を解決した後、飲む気もないのに飲もうとしている自分に気づいて、自主治療集会に出向き「私はアル中です」と、告白と同時に男泣きに泣き出すラスト場面は衝撃的であると同時に感動的であった。もともと酒を飲まない俺でさえハマったものだ。
 いつだったか歌舞伎町のバーでアルバイトしていた俺が期限切れキープボトルを店からくすねて両先輩に献上したこともあった。安アパート(失礼)の一角に並ぶ高級酒に「ここだけ異空間」と喜んでいただけたものであった。
 ともかく、酔生夢死ではないが、厭世ロマンというか、八木さんはそういうものを理解する人だったはずだが、山登りや渓流釣りとはまた健康的なことである。そう言えばマットスカダーシリーズも、今は禁酒して健康的に隠居生活する主人公の回想語りというていではあったか。

 健康のための禁酒と同時にはじめた山登りと渓流釣り。その健康的趣味での事故死。人生の皮肉を感じずにはいられないが、山登りは健康的という言葉では片付けられない危険なスポーツでもある。「人は命に危険にさらす娯楽に惹かれる。飲酒にしてもあれは毒を飲んでいるのであって危険だからこそ楽しい。禁酒した八木は飲酒に代わる『命を危険にさらす機会』を求めたのかもしれない」穿ち過ぎであり考え過ぎではあるがとの前置き付きで、広崎さんはそう言った。

 事故は奥多摩の渓流であり、八木さんは三階分くらいの高さの崖から足をすべらせて転落している。崖下の河原には割れたヘルメットと、完璧主義の八木さんらしい過剰に完璧な装備のリュックサックが置き捨てられていた。そして八木さんの遺体は少し下流の川で見つかっている。死因は入水による低体温症であった。転落の際の頭部の傷はけして軽いものではなくクモ膜下出血を起こしてはいるが死因になるほどの重症ではない。川の中で見つかった割には肺に水はなく、溺死でもなかった。
 死に顔は安らかで微笑みさえ浮かべているように見えたと語る奥さんは、八木さんは自殺したのではないかと考えてらっしゃるようだった。
 俺は仰天した。いや、厭世ロマンを理解する人ではあったが、自殺というのはそれはまた全然別の話であり、それは俺が知る八木さん像とは結びつかないものであった。

 八木さんの訃報を俺はツイッターで知らされた。八木さんと相互フォローのご友人が、八木さんのアカウントと会話しているアカウントに対して片端から訃報を送信してくださったのであった。葬儀のすんだ三日後のことであったが、それでも桃山学院漫画研究会の仲間内では一番早い情報だった。にわかには信じられなくて、まず広崎さんなら何か知っているはずだと電話したら、まだ広崎さんも知らなかった。そんな広崎さんの第一声がやはり「自殺か?」だったのだ。
 何か生前の八木さんに、それを匂わすような発言があったのだろうか。

 広崎さんによると、酒の上の与太話無駄話の類ではあるが、人生の幕引きについて語り合う機会があったようだ。酒の上というからには少なくとも八木さんが禁酒した一年前よりさらに前ということになる。
 人生でやるべきことはひと通りすませたし、生命保険もあるし住宅ローンも契約者の死亡と同時に支払い義務がなくなるという契約内容であるから残された家族の生活を心配する必要もない。いっそあっさり死んでしまったほうがいいくらいだ。ということで構想された何ちゃって自殺計画は、バイクで崖から飛び降りるというものであったようだ。まず確実に死ぬためにあらかじめヘルメットは外れるようにしておかなくてはならない。それにあからさまな自殺は保険金の支払いが滞ることもあり、何より外聞も悪い。家族を悲しませることにもなるだろう。だからここは事故に見せかけなければならない。そのためには一年くらい前から危険な山道を走る習慣を作って、周囲を欺かなくてはならないだろう。
 八木さんの訃報に対して「自殺か?」と応えた広崎さんにしてみれば、酒をやめて山登りをはじめてちょうど一年目の事故には、与太話とのあまりの符合に、ぞっとするものがあったのだという。

 まあでもそこまでは考え過ぎだろう、と広崎さんは言う。俺もそう思う。転落事故はやはりあくまでも事故だったのだろう。
 不慮の事故に際して、転落した八木さんは割れたヘルメットを脱ぎ、自分の怪我を確認しただろう。だが、リュックの中にあったという痛み止めは服用しなかった。痛みから逃れようとは思わなかったのだろうか。痛みを引き受け、その時点で自分の死を受け入れたのだろうか。頭部挫傷で耳からも出血していたというから、意識も混濁していたかもしれない。もちろん、単に痛み止めの存在を忘れていて思いつかなかっただけかもしれない。
 だが、かもしれない話をするならば、八木さんは後遺症のことを考えたかもしれない。身体に障害が残った場合の家族にかかる負担のことも頭をよぎったかもしれない。
 入水は、登れない崖とは別の生還経路として、登りやすい下流まで泳ぐつもりであったのか、それとも格好の何ちゃって自殺計画実行の機会であったのか。

 奥さんと、親友であった広崎さんのおふたりがそろって八木さんの最期を自殺と考えるのであれば、それが正しいのかもしれない。
 真実はわからないし、わかったところで今さら八木さんが帰ってくるわけでもない。だが残された近しい者にとっては、心の落としどころというか、最期にまつわる物語が必要でもある。
 出発前に八木さんは帰宅前の家族のためにトンカツを揚げたという。テントは電波の入るところに張る予定だから電話をくれれば繋がるはず、という内容のメモが添えられていたらしい。普段はそんなメモなど残したことなどなかったので「お父さん淋しいのかな?」と家族で軽口を交わしながらの食事だったという。そこで思い立って電話をかけていれば事故はなかっただろうか。もちろんそんなことはない。計画的自殺であったならそういうこともあったかもしれないが、カレンダーには来週の予定も書き込まれていたので、それはやはり考え過ぎなのだろう。

 八木さんの墓は、生家に近い大阪瓜破に作られるという。千葉船橋のご自宅への弔問には俺と広崎さんと大阪から駆けつけた阪口さんの三人でうかがったのだが、正月に帰省して、その時は大阪在住の桃山学院漫画研究会の仲間を集めてみんなで墓参りに行くつもりである。
 広崎さんは東京のリサーチ会社に勤続中。
 西野さんは現在も「あらきあきら」のペンネームで漫画家として活躍中。
 阪口さんは家業のガソリンスタンドを継いでいる。
 同期の高安はたぶん今もオートバックス勤続中。
 平岡はイベント会社で会場設営の仕事に従事。
 郡司はコンピュータープログラム関係の仕事をしている。
 大畑は東京でサラリーマンのはず。
 中野は消息不明。大阪天王寺の近鉄百貨店に勤務していたはずだが、不倫でリストラされたという噂を聞いた。離婚したとも聞いたが娘がいたはずで名前は菊花ちゃん。「みんなに菊花賞からつけたと誤解されるが、実はカツレツキッカの菊花」だと言っていた。すでに実家も引っ越しており、連絡がつかない。どなたか中野元起の消息をご存知の方はご一報を。

 千葉船橋の自宅への弔問に際して、八木さんの自室というか書斎を見せてもらった。そこは笑ってしまうくらい八木さんらしい部屋であった。廊下のように細長く狭苦しい部屋の突き当たりにパソコンが置かれ、両壁際の天井に届く背の高い本棚にはぎっしりと蔵書が並べられていた。
 フィリップKディックも、ロバートAハインラインも、アーサーCクラークも、ローレンス・ブロックもレイモンド・チャンドラーも堀晃もかんべむさしもそこにはちゃんとあった。本物の廊下にまではみ出した高校一年生の息子さんと共用と思われる本棚には「じゃりん子チエ」「ふたり鷹」などの明らかに八木さんのものと思える漫画もあった。
 貼ってあった「魔法少女まどかマギカ」のポスターは息子さんのものだろう。高校でクラスに馴染めず友達も少なく「トンガって」いるという息子さんは、俺の知らない高校一年生の頃の八木さんと同じような心境にあるのだろうか。漫画研究会に入部したという息子さんは、外見的にも当時の八木さんに瓜ふたつだという。

 八木さんの蔵書は、他に山登りや釣りの本も多かった。これは実用的なものだろう。そして古代マヤ文明に関する本が一角を占領していた。八木さんがマヤ文明に傾倒しているという話は聞いたことがなかったが、ホンジュラス赴任の前のことだろうか、後のことだろうか。SFとハードボイルドの次はマヤ文明でしたか。これはこれでずぶずぶと情報の海に溺れそうなジャンルではある。面白そうだ。
 八木さんを悼んで何かマヤ文明について読んでみようかと思っている。それというのも、「お前、これ知ってるか?」あるいは「お前、これ知らんやろ?」の前置きに続いて、八木さんが古代マヤ文明についての知識を披露してくれる機会はもう永遠に訪れないからだ。知りたければ自分で読むしかない。淋しいことだが、そろそろ俺も高校時代の先輩に甘えるのは卒業しなくてはなるまい。

 ロンググッドバイ。2014年、浅死苦楽は宇宙の旅に旅立った。
AD

[PR]気になるキーワード

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>