Amebaの健全なサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為アクセスすることができません。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2014-10-08 14:42:03

追悼・八木猛 正論と行動と献身の人、俺にSFの楽しさを教えてくれた人。

テーマ:ブログ
【訃報】桃山学院高校漫画研究会の懐かしい先輩八木猛さんが亡くなりました。渓流釣りに出掛けての事故とのこと。情報が届かず告別式にも出られず。「ファイアークラッカー」監督。「宵闇探偵」脚本。ペンネームは浅死苦楽。俺にSFの楽しさを教えた人。合掌。

「けだし正論ヤギケダシ」というのが、桃山学院高校漫画研究会の先輩八木猛さんに、失礼にも生意気にも不肖の後輩であるところの俺が考えたアダ名というか、キャッチフレーズであった。
 まさに正論の人であった。びっくりするぐらいの知識量と何でもこなす器用さを持ち、常に正しくあろうとした。間違いを認めない狭量さはあったが、馬鹿馬鹿しさを愛する遊び心も当然知っていた。そして何より特筆すべきは、献身的とも言うべき度を超えた面倒見の良さであった。
 間違えている物を正す、間違えている者を指導するというあの謎の使命感はどこから湧いて出たものであろうか。
「お前、これ知ってるか?」あるいは「お前、これ知らんやろ?」の前置きに続いて披露されるのは、今読むべき本や漫画、観るべき映画の紹介であったり、知るべき科学知識であったり、トンデモ雑学であったり、はたまた取るべき道というか人生指南であったりもするのだが、あの特徴的な半笑いとともに繰り出される面白話は常に示唆に富み刺激に満ちていて、俺などはもう八木さんの「お前、これ知ってるか?」の前置きだけでわくわくしてしまう情報乞食ぶりを発揮したものだ。

 八木さんの同期にして親友であった広崎さんに聞くところによると、おふたりが高校一年生でクラスメイトとして知り合った頃は、非常に「トンガって」いて、休み時間は誰とも会話せずにひとり漫画か文庫小説を読んでいたという。他のクラスメイトが「その漫画は面白いのか?」「読み終わったら俺にも貸してくれ」などと声を掛けても完全に無視して、本を貸すどころか返事さえ返さなかったという。
 そのようにヒネていた頃の八木さんを俺は知らない。俺が桃山学院に入学して漫画研究会の部室を訪ねた時はすでに面倒見のいい先輩であった。広崎部長に八木副部長。このふたりは俺の中では常にセット販売であり、そろって身近なカリスマであった。それは俺の同期部員である高安、中野、郡司、平岡、大畑にとっても同じであったのではないかと思う。
「お前ら、どんなSFが好きやねん?」
 入部試験というわけでもないのだろうが、そんなことを聞かれた。俺は確か「銀河鉄道999」とか答えたのではなかったか。「スターウォーズ」とか「時をかける少女」とか「機動戦士ガンダム」とか「うる星やつら」と答えたやつもいた。まあ1982年の漫画・アニメ・SF好きの高校一年生ならそう答えるだろうという答えが並んだわけだ。八木さんは一喝した。
「そんなもんSFと違うわい!」
 八木さん曰く、「ラムちゃんが宇宙人なのはバカボンのパパが馬鹿なのと同じ」であって、そんなものを「SFと呼んではいけないと」いうことであった。さらに宇宙で戦争すればいいというものでもなく、それは「スペース・ファンタジー」ではあっても、「サイエンス・フィクション」ではないとのことであった。
 まあそりゃ正論だが、そんなに目くじらを立てる程のこともあるまい。だがそこで目くじらを立てるのが八木さんの「けだし正論ヤギケダシ」たる所以なのだ。
「今から俺が朗読してやるから聞け」
 と取り出したのは、かんべむさしの「水素製造法」であった。今なら俺もそこで激しく突っ込むところである。それがSFかよ!
 まあ当時は俺も何も知らない十五歳であるから、何でも知ってる(ように見える)十六歳の八木さんが朗読する小説に素直に耳を傾けたものだったが。ご存知の向きもあろうがこの小説は、全く科学的知識のない文系学生が化学系会社の就職試験で「水素ガスの製造法を述べよ」という設問に対して参照用の国語辞典のみを使って無理やり答えをデッチ上げるというショートショートに近い短編小説で、爆笑ものの一遍である。まあ確かにサイエンスだしフィクションではあるのだが、これをザッツSFとするのはどうかしている。八木さん流のギャグでもあったのだろう。
 ちなみにこの新入部員へのイニシエーションとしてSF短編小説を朗読して聞かせるというのはその後慣習として定着し、翌年には俺が後輩たちに筒井康隆の「乗越駅の刑罰」を読んで聞かせた。それがSFかよ! とセルフ突っ込みしておきたい。

 もちろん八木さんのSFへの造詣の深さは本物でもあり、フィリップKディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」も、ロバートAハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」「夏への扉」も、ジェイムズ・ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」も、アーサーCクラークの「幼年期の終わり」「2001年宇宙の旅」も全部八木さんに教えられて読んだ。
 八木さんが部活同人誌MICで漫画を書く時のペンネームは「浅死苦楽」であり、これは言うまでもなくアーサーCクラークをもじったものであった。

 堀晃の「梅田地下オデッセイ」も印象深い。1981年に発表されたこの小説をNHKがラジオドラマ化したものを、広崎さんが連続放送の全話をカセットテープに録音してラジカセとともに部室に持ち込んだのだ。
 ある日突然、大阪梅田の地下街(ウメチカ)のシャッターが降り、中に閉じ込められた者たちはうろたえながらもサバイバルを余儀なくされる。最近の映画「キューブ」もかくやといった不条理展開である。外の世界がどうなっているか、誰が何のためにウメチカを閉ざしたかは一切わからず(シャッターは空調や通電とともに「チカコン」と呼ばれる自立型の統括コンピューターに制御されている)、無理やり脱出しようとする試みは全て失敗し、首謀者は死の報復を受ける。水と食料は定期的に外部に続く二重の防火シャッターが交互に昇降することで「差し入れ」られる。主人公「おれ」を含む百余名は集落を作って生活するが、派閥が生まれ争いが起こる。力関係が安定するとそれを見越したかのように地下街各所の防火シャッターが上がったり降りたり、つまり地下街迷宮の地図を完全に書き換えてその均衡を崩しに掛かり、また争いが起こる。月日は流れ、疲弊しつつも適応して何とか生き残る「おれ」は行き掛かりで助けた女と愛を交わし、その女が子供を産む。それは異常に大きな頭部を持つ異形の赤ん坊であった。このウメチカ迷宮は、超人類であるところの異形の赤ん坊を産み出すための巨大な子宮であり、赤ん坊は混迷する世界を未来に導くための救世主であったのだ。
 この刺激的なストーリーに大阪在住の高校生がハマらないわけがない。正論の人であるとともに行動と検証の人でもある八木さんが先頭を切って、我々部員たちはフィールドワークに出掛けた。梅田の地下街を原作本片手に「おれ」の行動を追って歩いてみようというわけだが、これは土曜日の午後を丸々費やす想像以上に大変な労力であった。「その時、階段に続く防火戸が」八木さんが原作を読み上げ、頭上を見上げた。だがそこにシャッターの設備はなかった。
「シャッターなんかない!」
 八木さんが大声を上げ、一同は爆笑した。「堀晃、嘘を書くな!」というわけだが、いや、八木さん、これは小説だから。基本全部嘘だから。その爆笑は日曜日をまたいで月曜の朝まで続いた。今でもたまに思い出し笑いをしてしまうのは俺だけだろうか。

 また、「地下鉄車輌の最後部は発車の瞬間に真空になるから気をつけなくてはならない」というトンデモ話を真顔で聞かせてくれたこともあった。信じる方もどうかしているが八木さんを盲信する俺は頭から信じて、友人や家族にその馬鹿知識を披露して呆れられたものであった。しかしあれはどういうつもりだったのだろうか。単なる冗談か、馬鹿な後輩が自分の嘘をどこまでなら信じるかを試そうとしたのであったか。まさか八木さん自身がそれを信じていたというわけでもないと思うのだが。

 さておき、その年の我らが漫画研究会は文化祭で部活同人誌の販売とともに、自作アニメ(+特撮)映画を上映することとなっていた。脚本・監督を八木さんが務めた「ファイアークラッカー」である。木星アステロイドベルトに駐屯する宇宙ステーションでの冒険活劇で、「スター・トレック」のテレビ版と「さよならジュピター」を足して二で割ったような内容であった。キャラクターはアニメで描き、宇宙空間と宇宙船を特撮で表現した。
 主人公ダンを西野先輩こと「あらきあきら」が描き、ヒロインのミシェールを阪口先輩が描いた。入手困難なセルは使用せず、コピー用紙に描かれた動画に直接水彩絵具で彩色し、広崎さんが8ミリフィルムカメラのひとコマ撮りで撮影した。口パクなどの部分的な動きは、その部分をハサミで切り抜いたものを元の絵の上に乗せてガラス板で押さえて撮影した。
 特撮パートは、一年生ながら高安と中野が中心になって、ボール紙とプラモデル部品をつなぎ合わせて作った宇宙船をタコ糸で吊って操演した。宇宙空間は黒く塗ったベニア板に千枚通しで無数の穴を空け、それを部室の大窓に貼って表現した。窓外からの外光で無数の穴が星々になるという寸法だ。一本の映画を自分たちの手で作り上げるのは何と楽しいことであったか。
 当時の桃山学院には我らが漫画研究会の他に、アニメ研究会とSF研究会がそれぞれ別のクラブとして存在し、それなりに仲良く交流していたし活動内容も似たようなものであったのだが、クラブ選択の指運というか何というか、入ってしまえばその部活に肩入れするし対抗意識もあったりする。八木猛監督作品「ファイアークラッカー」はアニメ研よりアニメでSF研よりSFであった。素晴らしい。我らの誇りであろう。
 そう言えば映画研究会もあったようだが、連中は等身大高校生映画(つまりSFも冒険も活劇も関係ないタイプのやつ)を撮るような感じで、我々とは交流もなく興味もなかったし上映を見た記憶もない。
 ちなみに翌年の俺の年代には、西野さんや阪口さんのように絵のうまい部員がいなかったので最初からアニメは考えず、完全実写で馬鹿短編を撮りまくり、長編は宇宙生命体に身体を乗っ取られてゾンビ化する「地球SOS」を撮った。「ボディスナッチャー」というか「遊星からの物体X」というか、まあ当然ロメロ「ゾンビ」へのリスペクトは忘れずに。俺の脚本監督であり、今日まで延々と続く俺のエログロナンセンス映画人生の始まりでもあった。

 八木さんは高校を卒業後一浪を経て東京電気通信大学に進み、同じく一浪で都立大学に進んだ広崎さんとともに、おふたりともそれぞれ大学では映研に入っていた。広崎さん曰く「漫画より映画の方が面白いことに気づいたんだろうなあ」とのことであった。
 俺はと言えば大阪芸大映像学部を受験して落ちたり、桃山学院大学に進学してすぐに中退したり、親の家業を手伝ったり、まあ進路を定められずに迷走していたわけだが、思い立って東京の八木広崎両先輩を訪ねることにした。50CCのスクーターで一号線を走って大阪から東京まで行くという、行き当たりばったりのツーリングとも言えない道行きであった。今にして思えばあの時の上京は、自分が何者なのか、何をすればいいのかわからなくて、両先輩にご教示いただこうという魂胆であったのだろう。まあ単に甘えたかっただけかもしれない。
 このおふたりは何故か俺に優しく、俺の才能を評価する発言をよくしてくれていたのだ。同期の連中はライバル意識もあるのだろうが、誰も俺の才能を認めていなくて、無茶な撮影に付き合わされて一番被害を受けるのは彼らであるのだからそれも当然だが、卒業して文化祭がなくなれば「もうオマエの映画に付き合わされるのはゴメン」とばかりに距離を置くようになってしまった。その点八木広崎両先輩は同期の対抗心もなく、尻尾を振って懐いてくる馬鹿な後輩を無下にもできず、あのように根気よく俺に付き合ってくれたのではないかと推察する。
 漫画でも映画でもいいから早くプロになれ。コイツは俺の後輩なんだと周囲に自慢する日を楽しみにしているんだ。というようなことを十八歳の俺に吹き込んでくれる八木広崎両先輩の存在を、当時の俺は切実に求めていたのだと思う。

 八木さんは俺の50CC一号線道行きを面白がりながらも、なぜ京都に寄らないんだと指摘した。どうせなら東海道を走破しろという、まあ正論でしょうけど。
 さらに範を示すというつもりだろうか、実際次の帰省の際に八木さんは自転車で東海道を京都経由で大阪まで帰ってきた。そこで対抗しますか。俺は笑ってしまったが、今度は広崎さんが徒歩で行くと言い出し、じゃあその次は俺が逆立ちで行くという話になった。
 とは言いつつも広崎さんの東海道踏破が実行されなかったので俺も逆立ちの練習はせずにすんだのであったが。

 自主映画を撮ろうじゃないかという話になり、広崎さんが脚本を書き、「くるくる」という猫が変身した少女に逆ナンされるラブコメファンタジーを撮った。俺が監督して、八木さんは制作兼助監督を務めてくれた。アフレコには八木さんのコネで電気通信大学のアフレコルームを使わせてもらったりもした。続く「宵闇探偵」では八木さんがシナリオを書いてくれた。「東京道化師」では完成前に郷里に帰ってしまった主人公役の代わりに、声をアテレコしてくれた。どこまで面倒見がいいんだか。ありがたいことである。

 その後、八木さんは大学を卒業して時事通信社に就職するも数年で休職、青年海外協力隊でホンジュラスに赴任した。正論の人にして行動の人である八木さんらしい人生選択であった。壊れたテレビを目の前に置かれてその故障原因を調べて修理するという試験があったという話を面白そうに語ってくれたのを思い出す。八木さんはその献身的な面倒見の良さを国際レベルで発揮するつもりなのだなあと感慨深く思ったものであった。
 俺はと言えば上京して漫画家内田春菊のアシスタントを務めたけど務まらなかったり、広崎さんが都立大映研時代にアルバイトしたことがあったアダルトビデオの制作会社を紹介してもらって潜り込み、そこで知り合った監督がピンク映画を撮るというというので勝手に書いたシナリオが採用されて脚本家デビューしたり、その縁で翌年にはホモの成人映画を監督して商業映画監督としてなし崩しのままデビューしたりしていた。

 ホンジュラスの八木さんからは一度絵葉書をもらった。「友松は俺が知ってる日本人の中ではもっとも南米人に近い!」との謎の一文が添えられていた。享楽的で刹那的という意味だろうか。まあ特に反論はしませんが。
 だが広崎さんに宛てては、ホンジュラスで目的を見失って欝状態にあることが長文の手紙に綴られていたという。八木さんは任期を繰り上げて帰国し、提出を義務付けられていたレポートにも否定的な意見を書いたらしい。「優秀な人材はみんなアメリカに行き、地元に残る人間のほとんどに向上心は皆無であり、日本の技術を伝えるにもそれを受け取る者はいない。海外協力隊は無意味である」といった趣旨であったらしい。その上申を受けてホンジュラスへの青年海外協力隊はその後取りやめになったとも聞くが、真偽のほどはわからない。

 だが八木さんのホンジュラス時代にまったく得るものがなかったかというとそんなことはなく、現地で知り合った海外協力隊仲間の縁者と知己を得てその後結婚したのだから、しっかりしているというかうまくやったというか、そこは仲間内でもからかいのネタになったものである。
 結婚式は我らが漫研の活躍の場であった桃山学院高校のチャペルで行われた(卒業生は無料で結婚式を挙げられるという特典付きなのがミッションスクールのいいところである)が、残念ながら俺は出席できなかった。その失礼をわびる目的もあって、ご結婚一年目くらいであろうか、西船橋の新婚宅におじゃました。当時の俺の新作にして渾身作「コギャル喰い大阪テレクラ篇」のビデオテープを持参して、その場で押し掛け鑑賞会をやらかしたのであった。新婚家庭に押し掛けてピンク映画を強制鑑賞させる非常識についてはご勘弁願うとして、夫婦そろって観てくれたのは感謝すべきだろう。付き合いのいいことである。
 奥さんは非常に物腰の柔らかい可愛い人で、ああ、まさに八木さんが選びそうな人だと思ったものである。奥さんは八木さんに心酔しているように見えた。当然愛情たっぷりではあるのだが、夫婦というより教師と生徒というか、教祖と信者は言い過ぎだが、リスペクトが半端ない印象があった。妻に尊敬されるのは夫の、男の理想ではないか。うらやましいことであった。
 先日、八木さんの弔問に訪れた際にお会いしたのが二度目であったのだが、二十年近く経っても物腰の柔らかい可愛い印象はまったく変わらなかった。一度お邪魔しただけの俺のことを奥さんはよく覚えてくれていて、俺が言った言葉も記憶していた。
「完璧超人に見えても、八木さんは脇が甘いから揚げ足を取るのも実は簡単ですよ。理想的正論については適当に聞き流して何の問題ありません」
 こら、二十年前の俺。先輩に対して何と失礼なことを言うか。俺は自分がそんなことを言った記憶は全然ないのだが、まあいかにも俺の言いそうなことではある。「そもそも彼は『けだし正論ヤギケダシ』とその過剰な正論ぶりが揶揄されておりまして」などと適当なことを言い散らかしたに違いないのだ。それにしても仲良し夫婦の新婚生活に水を差してどうするか。炊事も掃除も洗濯も家事全般を完璧にこなす八木さんに「いろいろと教えてもらっているんです」という奥さん発言を受けての俺発言のようだが、あるいは妻に尊敬される夫を演じる八木さんの幸福に嫉妬してのやっかみ発言だったのか。まったく汗顔の至りである。
 とは言うものの、「あの時そう言ってもらって、その後の夫婦生活が楽になったんです」とのことであったので、ご勘弁いただくことにしよう。

 掃除と言えば、大学時代の八木さんのアパートに泊めてもらっていた際、八木さんが掃除をはじめたことがあった。台所からはじまって、床、窓、壁といつまでも掃除を続けている。泊めてもらっている以上俺も手伝わないわけにはいかないのだが、面倒なので手伝わずに眺めていた。いや、手伝おうとしても手際の悪さを指摘されるので腐って投げ出したのであったか。ドアの雑巾がけで、ああ、これでやっと終わるかと思いきや、共有部分の廊下の掃除をはじめ、さらには共同トイレまで掃除しはじめたのには呆れた。タイルの目地の黄ばみは漂白剤と歯ブラシで落ちるが、この陶器のくすみはどうしてもきれいにならない。どんな洗剤を使ってもどんな掃除器具をつかっても駄目なんだが、「何かいい方法を知らんか?」などと言われても、そんなもん俺が知るわけないのである。
 それにしてもトイレは共有部分なのだから何も八木さんが掃除することはない。それは管理人というか大家さんの仕事ではないのか。あるいは住人全員で当番制にするとか。俺の指摘に対しては「俺が自分でやったほうが話が早い」とのことであった。正論に行動、そして献身。まさに八木さんらしいエピソードであった。

 二十代の終わる頃には疎遠となり、それぞれの人生が忙しくて連絡を取り合うことさえなくなった。学生時代の友人とはそういうものであろう。三十代四十代と言えば人生の一番忙しく充実する時期でもある。
 友情は社会性動物であるヒトの本能で、マンモス狩りのチームワークを可能にするものであろう。現代人にとっては仕事を通して同僚や得意先取引相手に対して持つ仲間意識がこれに相当しよう。草野球チームや麻雀やサークル活動の趣味でもない限り、プライベートで誰かと友情関係を作ろうとは思わないのが大人である。孤独を好むのはテストステロンの影響らしいから、これは男の特徴ということになるかもしれない。我が身を振り返っても、仕事かセックス以外で他人と時間を共有しようとは思わない。まあこれは俺が酒を飲まないということも関係しているのかもしれないが。
 桃山学院高校漫画研究会は俺の原点でありルーツであり、今の人生にも直結している。現在も日々文化祭前夜を繰り返しているような俺である。その最初期の仲間である部活仲間に対しては、今ももちろん特別な友情を感じている。それでもやはり、またそのうち会う機会もあるだろうと、実際に会おうとはしない。
 だからこそ、このような寝耳に水の訃報に衝撃を受け、なぜ会っておかなかったんだろうと後悔することになるのだが。

 それでもつい三年前、久し振りに連絡を取り合い、八木広崎両先輩と俺の三人で会おうという話になった。その頃俺はプロになってから二十年目にして映画を撮り続けることに限界を感じるというか、いや、ぶっちゃけある女優との恋愛をこじらせて何もかも嫌になり、周囲に対して廃業宣言したりしていたのであった。だからこそ彼らと会おうと思ったわけでもないだろうが、もしかすると意識下では、また三十年前のように両先輩に甘えたかったのかもしれない。
 だがこの会合は実現しなかった。約束していたのは3月11日であり、ご存知のように東日本大震災が起きて都内交通機関が完全麻痺したのであった。十年単位で会ってなかった旧友との再会の日に地震が起きるって、どんだけピンポイントなんだか。
 キャンセルとなったその夜に、俺は童貞卒業の瞬間に地震が起こるというエロ馬鹿話を思いつき、久しぶりに徹夜で一気にシナリオを書き上げた。完成作品では地震は不謹慎であるというメーカー判断で単なる電車事故による都内交通麻痺に書き直した「ヤラせる女教師」であるが、そのようになし崩しで廃業宣言はたったの二週間で撤回されて、俺はまた映画製作の日々に戻ることになる。

 一方八木さんは、東日本大震災の惨状を知るや会社を休んで単身バイクで現地に乗り込み、ボランティアとして避難所のパソコンをネットにアクセスできるようにするという作業に従事していたという。ガソリンが入手できなくて帰京の際は難儀したという話であった。
 どこまでも八木さんは八木さんらしく正論と行動と献身の人であった。会社とはそんなに簡単に休めるのかという疑問もあるが、青年海外協力隊から帰国後に復職した時事通信社において、「この年齢で平社員なのは自分だけ」と語っていたというから、それが八木さんの仕事へのスタンスでもあったのだろう。投資家向けの株式相場ニュースを担当していたというが、限られた小金持ち限定の情報発信に必要性を感じられないとこぼしていたこともあるようだから、社会的意義という意味において被災地へのボランティアの方が、八木さんにとってはずっと価値のある「仕事」だったのだろう。

 キャンセルになった再会の約束を復活させることはなかった。俺がそのまま「レイプゾンビ」シリーズの製作に入ったこともあり、それどころではなかったという事情もある。
 その代わりというわけでもないが、八木さんとは「レイプゾンビ」の宣伝のためにはじめたツイッター上で会うことになる。
 俺の宣伝戦略は、タイトルを呟いた人を即座にフォローしてユーチューブアップした予告編や販売するネットショップのURLを貼り付けるという通り魔的なものであるが、そこに「レイプゾンビと一言呟くと監督がやって来てフォロー&宣伝リプされるという都市伝説は本当」とふざけた一文をつけるのを常とした。
 これが八木さんには許せなかったらしい。「『本当』ならそれは『事実』であって『都市伝説』ではない!」というリプが届いたのだ。
 俺は爆笑した。ああ、そりゃまあ正論でしょうけど。そこ突っ込むのか。そんなことを八木さん以外の誰が気にするというのだ。
 他にも、赤頭巾少女が狼男軍団を銀製日本刀で斬りまくる「本当はエロいグリム童話レッド・スウォード」について、「SWORDのカタカナ表記がスウォードなのはおかしい!」というリプもあった。だからさあ、これほど突っ込みどころ満載の俺のエログロナンセンス馬鹿映画や俺の数ある馬鹿発言について、何であえてそこを突っ込むのか。まあ正論なんでしょうけど。どうでもいいところばっかりじゃないか。

「レイプゾンビ」は局地的ではあるがそれなりにヒットしてシリーズを重ね、今年2014年までの三年間で合計五本のDVDがリリースされ、再編集した三本の劇場版として公開もした。海外でも発売されてそれなりの売上があったようだが、中でもスペインでは好評だったらしく、ツイッター上でもスペイン語で感想が書かれたりしていた。スペイン語と言えばホンジュラスの公用語でもあり、そこは昔取った杵柄。八木さんの得意分野である。翻訳サイトの何ちゃって翻訳にわけがわからんとこぼす俺に対して、これはこれこれこういう意味のことを言っているから、返信する場合の例文はこれこれこうだろう、というようなアドバイスを懇切丁寧にしてくれたりもした。
 お礼も兼ねて久しぶりに電話したのはつい数ヶ月前の夏のはじめのことであった。ちょうど「レイプゾンビ」の完結編劇場公開を控えているタイミングだったのだが、「招待券を出すから観に来てくださいよ」という俺の誘いに対しては、「観なくても友松の映画は全部予想できるから観るまでもない」というつれない返事であった。そんなことを言うならまた自宅まで押し掛けて強制鑑賞会をやりますぜという俺の脅しに対して、高校一年生と小学六年生の息子がいる八木さんは、それはかなわんとばかりに映画館に出向くことを検討してくれたが、池袋の映画館でのレイトショー上映からでは終電でも船橋の自宅に帰りつけないということが判明し、結局来てはもらえなかった。朝まで始発待ちすればいいじゃないですか。俺も付き合いますよと食い下がる俺に対しては、もう最近は徹夜はつらいし、酒もやめたんだと言う。最近は山登りと渓流釣りをやっているという話もその時に聞かされた。

 八木さんが酒をやめたという話は意外であった。レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」や、八十年代アメリカン・ハードボイルドの名作、ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」を俺にすすめたのは八木さんだったか広崎さんだったか。
 アル中探偵マットスカダーは格好良かった。ずっと自分がアル中であることを認めず「いつでもやめられる」とうそぶきアル中自主治療集会を冷やかすことを趣味にしているような世をすねた探偵が(元警官であり、強盗犯を撃った銃弾が跳弾してゆきずりの少女を殺し、それがきっかけで警官をやめ離婚して世捨て人のように無免許探偵をやっている)、売春婦連続殺人事件を解決した後、飲む気もないのに飲もうとしている自分に気づいて、自主治療集会に出向き「私はアル中です」と、告白と同時に男泣きに泣き出すラスト場面は衝撃的であると同時に感動的であった。もともと酒を飲まない俺でさえハマったものだ。
 いつだったか歌舞伎町のバーでアルバイトしていた俺が期限切れキープボトルを店からくすねて両先輩に献上したこともあった。安アパート(失礼)の一角に並ぶ高級酒に「ここだけ異空間」と喜んでいただけたものであった。
 ともかく、酔生夢死ではないが、厭世ロマンというか、八木さんはそういうものを理解する人だったはずだが、山登りや渓流釣りとはまた健康的なことである。そう言えばマットスカダーシリーズも、今は禁酒して健康的に隠居生活する主人公の回想語りというていではあったか。

 健康のための禁酒と同時にはじめた山登りと渓流釣り。その健康的趣味での事故死。人生の皮肉を感じずにはいられないが、山登りは健康的という言葉では片付けられない危険なスポーツでもある。「人は命に危険にさらす娯楽に惹かれる。飲酒にしてもあれは毒を飲んでいるのであって危険だからこそ楽しい。禁酒した八木は飲酒に代わる『命を危険にさらす機会』を求めたのかもしれない」穿ち過ぎであり考え過ぎではあるがとの前置き付きで、広崎さんはそう言った。

 事故は奥多摩の渓流であり、八木さんは三階分くらいの高さの崖から足をすべらせて転落している。崖下の河原には割れたヘルメットと、完璧主義の八木さんらしい過剰に完璧な装備のリュックサックが置き捨てられていた。そして八木さんの遺体は少し下流の川で見つかっている。死因は入水による低体温症であった。転落の際の頭部の傷はけして軽いものではなくクモ膜下出血を起こしてはいるが死因になるほどの重症ではない。川の中で見つかった割には肺に水はなく、溺死でもなかった。
 死に顔は安らかで微笑みさえ浮かべているように見えたと語る奥さんは、八木さんは自殺したのではないかと考えてらっしゃるようだった。
 俺は仰天した。いや、厭世ロマンを理解する人ではあったが、自殺というのはそれはまた全然別の話であり、それは俺が知る八木さん像とは結びつかないものであった。

 八木さんの訃報を俺はツイッターで知らされた。八木さんと相互フォローのご友人が、八木さんのアカウントと会話しているアカウントに対して片端から訃報を送信してくださったのであった。葬儀のすんだ三日後のことであったが、それでも桃山学院漫画研究会の仲間内では一番早い情報だった。にわかには信じられなくて、まず広崎さんなら何か知っているはずだと電話したら、まだ広崎さんも知らなかった。そんな広崎さんの第一声がやはり「自殺か?」だったのだ。
 何か生前の八木さんに、それを匂わすような発言があったのだろうか。

 広崎さんによると、酒の上の与太話無駄話の類ではあるが、人生の幕引きについて語り合う機会があったようだ。酒の上というからには少なくとも八木さんが禁酒した一年前よりさらに前ということになる。
 人生でやるべきことはひと通りすませたし、生命保険もあるし住宅ローンも契約者の死亡と同時に支払い義務がなくなるという契約内容であるから残された家族の生活を心配する必要もない。いっそあっさり死んでしまったほうがいいくらいだ。ということで構想された何ちゃって自殺計画は、バイクで崖から飛び降りるというものであったようだ。まず確実に死ぬためにあらかじめヘルメットは外れるようにしておかなくてはならない。それにあからさまな自殺は保険金の支払いが滞ることもあり、何より外聞も悪い。家族を悲しませることにもなるだろう。だからここは事故に見せかけなければならない。そのためには一年くらい前から危険な山道を走る習慣を作って、周囲を欺かなくてはならないだろう。
 八木さんの訃報に対して「自殺か?」と応えた広崎さんにしてみれば、酒をやめて山登りをはじめてちょうど一年目の事故には、与太話とのあまりの符合に、ぞっとするものがあったのだという。

 まあでもそこまでは考え過ぎだろう、と広崎さんは言う。俺もそう思う。転落事故はやはりあくまでも事故だったのだろう。
 不慮の事故に際して、転落した八木さんは割れたヘルメットを脱ぎ、自分の怪我を確認しただろう。だが、リュックの中にあったという痛み止めは服用しなかった。痛みから逃れようとは思わなかったのだろうか。痛みを引き受け、その時点で自分の死を受け入れたのだろうか。頭部挫傷で耳からも出血していたというから、意識も混濁していたかもしれない。もちろん、単に痛み止めの存在を忘れていて思いつかなかっただけかもしれない。
 だが、かもしれない話をするならば、八木さんは後遺症のことを考えたかもしれない。身体に障害が残った場合の家族にかかる負担のことも頭をよぎったかもしれない。
 入水は、登れない崖とは別の生還経路として、登りやすい下流まで泳ぐつもりであったのか、それとも格好の何ちゃって自殺計画実行の機会であったのか。

 奥さんと、親友であった広崎さんのおふたりがそろって八木さんの最期を自殺と考えるのであれば、それが正しいのかもしれない。
 真実はわからないし、わかったところで今さら八木さんが帰ってくるわけでもない。だが残された近しい者にとっては、心の落としどころというか、最期にまつわる物語が必要でもある。
 出発前に八木さんは帰宅前の家族のためにトンカツを揚げたという。テントは電波の入るところに張る予定だから電話をくれれば繋がるはず、という内容のメモが添えられていたらしい。普段はそんなメモなど残したことなどなかったので「お父さん淋しいのかな?」と家族で軽口を交わしながらの食事だったという。そこで思い立って電話をかけていれば事故はなかっただろうか。もちろんそんなことはない。計画的自殺であったならそういうこともあったかもしれないが、カレンダーには来週の予定も書き込まれていたので、それはやはり考え過ぎなのだろう。

 八木さんの墓は、生家に近い大阪瓜破に作られるという。千葉船橋のご自宅への弔問には俺と広崎さんと大阪から駆けつけた阪口さんの三人でうかがったのだが、正月に帰省して、その時は大阪在住の桃山学院漫画研究会の仲間を集めてみんなで墓参りに行くつもりである。
 広崎さんは東京のリサーチ会社に勤続中。
 西野さんは現在も「あらきあきら」のペンネームで漫画家として活躍中。
 阪口さんは家業のガソリンスタンドを継いでいる。
 同期の高安はたぶん今もオートバックス勤続中。
 平岡はイベント会社で会場設営の仕事に従事。
 郡司はコンピュータープログラム関係の仕事をしている。
 大畑は東京でサラリーマンのはず。
 中野は消息不明。大阪天王寺の近鉄百貨店に勤務していたはずだが、不倫でリストラされたという噂を聞いた。離婚したとも聞いたが娘がいたはずで名前は菊花ちゃん。「みんなに菊花賞からつけたと誤解されるが、実はカツレツキッカの菊花」だと言っていた。すでに実家も引っ越しており、連絡がつかない。どなたか中野元起の消息をご存知の方はご一報を。

 千葉船橋の自宅への弔問に際して、八木さんの自室というか書斎を見せてもらった。そこは笑ってしまうくらい八木さんらしい部屋であった。廊下のように細長く狭苦しい部屋の突き当たりにパソコンが置かれ、両壁際の天井に届く背の高い本棚にはぎっしりと蔵書が並べられていた。
 フィリップKディックも、ロバートAハインラインも、アーサーCクラークも、ローレンス・ブロックもレイモンド・チャンドラーも堀晃もかんべむさしもそこにはちゃんとあった。本物の廊下にまではみ出した高校一年生の息子さんと共用と思われる本棚には「じゃりん子チエ」「ふたり鷹」などの明らかに八木さんのものと思える漫画もあった。
 貼ってあった「魔法少女まどかマギカ」のポスターは息子さんのものだろう。高校でクラスに馴染めず友達も少なく「トンガって」いるという息子さんは、俺の知らない高校一年生の頃の八木さんと同じような心境にあるのだろうか。漫画研究会に入部したという息子さんは、外見的にも当時の八木さんに瓜ふたつだという。

 八木さんの蔵書は、他に山登りや釣りの本も多かった。これは実用的なものだろう。そして古代マヤ文明に関する本が一角を占領していた。八木さんがマヤ文明に傾倒しているという話は聞いたことがなかったが、ホンジュラス赴任の前のことだろうか、後のことだろうか。SFとハードボイルドの次はマヤ文明でしたか。これはこれでずぶずぶと情報の海に溺れそうなジャンルではある。面白そうだ。
 八木さんを悼んで何かマヤ文明について読んでみようかと思っている。それというのも、「お前、これ知ってるか?」あるいは「お前、これ知らんやろ?」の前置きに続いて、八木さんが古代マヤ文明についての知識を披露してくれる機会はもう永遠に訪れないからだ。知りたければ自分で読むしかない。淋しいことだが、そろそろ俺も高校時代の先輩に甘えるのは卒業しなくてはなるまい。

 ロンググッドバイ。2014年、浅死苦楽は宇宙の旅に旅立った。
AD
2014-09-01 12:51:03

Twitter拾い読み☆第六回電撃映画祭「レイプゾンビ完結記念耐久イベント」関連ツイート 其の四

テーマ:ブログ
内田春菊 ‏@uchidashungicu
誰、レイプゾンビ終わったから明日からタイムラインが普通になりますねって言った人。
『東京電撃映画祭にて』http://ameblo.jp/shinshungicu/entry-11915585141.html
私は何故友松直之に癒されるのか(その1)http://ameblo.jp/shinshungicu/entry-11915005194.html
私は何故友松直之に癒されるのか(その2)http://ameblo.jp/shinshungicu/entry-11915848905.html
「ヤ●せない女は~!」などと言ってる友松を見て、「100パーセントこういう人なんだな…」(「可哀相に馬鹿なのだな」でも可)と思えるこの感じに私は癒される。嘘言って近づこうとはしないので、嫌なら離れればいいのです。

中沢健 ‏@nakazawatakeshi
昨日のイベントのこと、ブログの方でも書いたけど、イベント終了後に撮ったみんなとの集合写真とかも加えて再編集はするつもり。
レイプゾンビ関連の写真に関しては、自分も友松監督ルールを採用して自由に使わせてもらいまくろうと考えてます・笑。
レイプゾンビとの3年間(体感6年間)http://ameblo.jp/takeshifuroufushi/entry-11914721948.html

gonnosuke ‏@SakaGonnosuke
昨日の阿佐ヶ谷ロフト「レイプゾンビ十時間一挙上映」。
オールナイトのトークライブが朝までしっかり面白かったためしは無かったが、東京電撃映画祭だけは特別。しかも今回は10時間!朝5時になっても新たなゲスト来るんじゃないかとさえ思ったぞ!
俺の中のMVPは中沢健さん。友松さんとは真逆のキャラながら、控え目口調から繰り出す絶妙なカウンターで、あの友松直之を何度か舞台で沈めた!彼の作品はレイプゾンビ以外全く知らないし興味も無かったが、今、メッチャ気になってるわ!

中沢健 ‏@nakazawatakeshi
ありがとうございます、嬉しいです!
友松監督を舞台で沈め……なんてこと出来ていましたっけ? 自分ではあんまり自覚ないのですが、内田春菊先生すらも「この人に何を言っても無駄」と言う友松さんを沈めることが出来ていたのだとしたら、非常に光栄なことですね!

gonnosuke ‏@SakaGonnosuke
中沢さんの反論コメントに客席大爆笑で友松さん何度か苦笑いしてましたから。その後春菊さんがそのコメント残し帰る。ドラえもんが未来に帰る直前、のび太がボロボロになりながらジャイアン撃退したエピソードを思いだしました。

ギガ男爵 ‏@exbaron
情熱のスプラター。
2014年8月23日の屁理屈アネックス|第六回東京電撃映画祭~レイプゾンビ祭り~ http://ex.b-area.org/monologue/2014-08-23_6th_TTFF.html

入深かごめ@ランページフィルムズ・チーフ ‏@irumi_K
第六回東京電撃映画祭「レイプゾンビ一上映耐久イベント.阿佐ヶ谷ロフトA」最後の夏に、最高の10時間を本当に、ありがとうございました!!!
今は、友松監督が「燃え尽き症候群」に陥らず、元気にガンガン次回作を撮られるのを祈るばかりであります…( ̄^ ̄)ゞ
参加された皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした!!半裸女給萌えた!新人類にも萌えた!友松ファミリー勢ぞろいにも萌えた!女優陣も団長も天使だった!あとは皆様、萌えに萌え尽きず、新たなスタートを切っていきまっしょい!( ^ω^ )b
昨夜の…東京電撃映画祭「レイプゾンビ」イベント…討論会?の女性登壇者によって「女にヤラせて欲しけりゃ男は努力すべし!」という結論に落ち着いたけれど、友松監督の「レイプ肯定論」の真意は「人間は生きてるだけで尊いんだよ!何で有りの儘を肯定しない!?」という魂の叫びに聞こえた。

【エイナっちTV】宣伝優待⇒復興支援へ↑ ‏@GIDgal22elin
うちは、風俗に行けばいいじゃない。と、いうのは全然、違うと思う。単に、抜ければヨシという話では断じてない ヤリたいから、やる。ただそれだけ ヤレないなら、レイプするとは、そういうこと 情動こそが性愛のすべて❤風俗に、それはナイ。←『レイプゾンビ』考

高橋祐太@崖っぷち脚本家 ‏@toiletman10
レイプゾンビ5部作in東京電撃映画祭 http://toiletman10.blog.fc2.com/blog-entry-3185.html
便所男~崖っぷち脚本家の崖っぷちな日々~

スッキリしたエルちゃん(なかむ~でも可)‏@eldritch8
東京電撃映画祭で久々に生の小司あんさん見ました。マイちゃんが楽しみで仕方なくなりました。(^O^)/

氏賀Y太 ‏@UZ10
氏賀Y太原作・実写映画「まいちゃんの日常」完成間近な感じです。予告編も近日公開予定!
http://t.co/v7wBMYBUM2

ブログ「ある人間のエッセイ記録」管理人 ‏@mnmomikosuruga
一昨日、行われた東京電撃映画祭に関する色々な方々のツイートを拝見する。
過去最高の動員を記録したようで、関係者の方々にとっては「何よりも素晴らしい事ではないか」と個人的には思う。
映画のイベントにせよ、美術の展覧会にせよ、運営関係者の方々の御苦労は並大抵な事ではない、という事を色々な方々から伺う事があった。
画家さんが個展を開きたくても諸事情で開けない、という話を何度も聞いた。
1年間に6回もイベントを開催した東京電撃映画祭の関係者に敬意を表したいと思う。
東京電撃映画祭には、私が存じ上げている常連のピンク映画ファンの方々も運営に関わっておられる。
「真の映画ファン」とは、こうした方々のためにある言葉ではないか、と個人的には思う。
第6回東京電撃映画祭に行かれた「ギガ男爵」氏なる方のブログと作家で脚本家という中沢健さんのブログを拝見する。
ギガ男爵さんのブログの文章は読みやすく、また写真も「賑やかな会場の雰囲気が伝わってきそうな写真」で良かった。
第6回東京電撃映画祭に関する作家で脚本家の中沢健さんのブログは短めだった。
それから素朴な疑問なのですが、この方は、何の意味があって頭に被り物を被っておられるのでしょうか?

三上昭芸 ‏@akimikami
第六回東京電撃映画祭、あいかわ優衣さんも来られたらしい。残念で仕方ない。欠席されると聞いてたのに。日を追う毎に、途中棄権が悔やまれるイベントであった。
第六回東京電撃映画祭でも田代尚也最新が自ら制作費の提供をお願いされていた『鼻目玉幸太郎の恋!』だが、まだ「85,000円」しか集まってないようだ。目標は「3,000,000円」らしいのだが、圧倒的に無理だ。何とか応援せねばと悩んでいる。
第六回東京電撃映画祭の時は、撮影する契約はしてしまっている、というようなことをおっしゃっていたような気がするが、スポンサーは自分で探さねばならないということなのだろうか。そういう契約はしない方がいいのでは?と思いながらも、田代監督のおっぱいへの真直ぐさには共感するので応援したい。

田代尚也☆Naoya Tashiro ‏@TSR_ZOMBI
おかげさまで現時点で「鼻目玉幸太郎の恋!」応援プロジェクトなんと支援金が20万円も集まりました!目標まで、あと280万円です・・・。すいません、皆様、是非ご協力を宜しくお願い致します!面白い映画が撮れそうなんです!宜しくお願いします!
https://motion-gallery.net/projects/hanamedama



宮本真友美 ‏@mayu0814natu
レイプゾンビ!終わっちゃいましたね~…耐久レース後少しで眠気に勝てずリタイア(--;)皆さん楽しい時間を有り難う♪

もっと ‏@motto1211
レイプゾンビという言葉からプンプンくるB級感にワクワクが止まらない

KAZZ ‏@kazz_crimson4
先日の東京電撃映画祭で販売させて頂いた音源が地味に売れ残ってる訳ですが、これ置いといても仕方無いし、折角だから通販とかしようか検討中。でも売れないんだろうなぁ…。
と言う訳で、改めて東京電撃映画祭で残った音源の通販です!お陰様で在庫は少ないですが、宜しくお願いします!
My First Kill E.P.【紙ジャケット仕様】 CRIMSON HORNET STORE
http://store.crimsonhornet.com/items/726523


Lapis Lazuli ‏@redbullet1217
「男の純愛は女のアクセサリーじゃねぇ!」
「ヤらせない女は女じゃない!」
数々の名言…
流石です、友松監督…!!!
監督がこれだけ名言を残してるってことは、レイプゾンビ本編ではどれほどの名言があるのか…
レイプゾンビなしではこの夏、終われないな!
遅ればせながら、レイプゾンビ2を鑑賞!
衣緒菜さんと軍曹のレズシーンがあるとは…!言葉が汚ないですが、というか私のボキャブラリーが貧しく他の表現が思いつかないのですが、とてもエロかったです。
ヤらせない女が悪い!
確かにそうかもしれません(笑)
かと言って簡単にヤらせてもらえるモノであれば、それはそれで有り難みや希少度は減るのではないでしょうか。
なかなかヤらせてもらえないからこそ面白いんでしょうね(笑)
色々と考えさせられる作品でした!
とってもエロかったです(笑)
モモコを想い自慰にふけるシーンも、こちらもなんともいえずエロかったです。
レイプゾンビを観ている時は、開いた口が塞がらない状態でした(笑)
ゾンビのクオリティだったり、女優さんのエッチなシーンであったり…
とにかく、この夏観るべき作品だと思います!(^^)

友松直之 9/3発売レイプゾンビ4&5 ‏@ntomomatu
お楽しみいただけて何よりです。「この夏観るべき作品だと思います!」は言い過ぎで俺でもそんな大きく出られませんが(笑)そう言っていただけるのは大変に光栄です。何より他人に言わせておけば自分で言わなくていいと言うのが…(笑

「レイプゾンビ LUST OF THE DEAD」作品解説と関連情報のまとめ


「レイプゾンビ続編2&3(アキバ帝国の逆襲)」作品解説と関連情報のまとめ


レイプゾンビ完結編「クローン巫女大戦」&「新たなる絶望」作品解説と関連情報のまとめ


$友松直之のブログ
AD
2014-09-01 09:41:01

Twitter拾い読み☆第六回電撃映画祭「レイプゾンビ完結記念耐久イベント」関連ツイート 其の三

テーマ:ブログ
タロきち @kujira_za
「男の性欲はコントロール不能」「だから誰もが痴漢になる可能性がある」←これは呪いやな。この嘘、刷り込みのせいで、男性は冤罪に脅え、女性はずたずたにされても何も言えず、性犯罪者や女衒だけが調子に乗っとる。ほんまはコントロールは可能やし、世の大多数の男性がそれを証明してるがな。
アナ雪の「ありのまま」に対して違和感を訴える人にとっての「ありのまま」の内容って、「ありのまま」やなくて「なすがまま」のニュアンスがある。レリゴーやなくてレリビー。「自分の思いに従って」やなくて「みんなが言うとおりに」。
いつまでもレリビーな人は、自分の欲望をコントロールする機会がないんで、いつ暴発するかわからんし責任も取れん。でもいったんレリゴーを引き受けた人は失敗とか喪失とか責任も引き受けながら欲望をコントロールする力を身につけていくんとちゃうやろか。
レリビーって楽っちゃ楽なんやけど、慢性的な不満ためこんで病んでまうやん。そして弱い者から特攻行かされたり子ども崖から放り投げさせられたり強姦されたり玉砕させられたり。弱者はさらに攻撃者との同一化(所謂肉屋を支持する豚)で苦痛を麻痺させようとするから今のうちにレリゴーしといたほうが

タロきちさんがリツイート
ちらいむ @chilime
私が学生だった頃、電車で座席に座っていた時隣に座ってきた男がおもむろに自分の性器を取り出ししごき出した事がありました。最初私は読んでいた本に夢中で気づかなかったのですが、すぐに気づいて混乱しました。その車両…周りにびっしり男の人がいたのです。その誰もが、見て見ぬ振りだったのです。
すし詰めの、誰が何をしているかわからない満員電車ではありませんでした。立っている人の方が少ないくらいの、どちらかといえば空いている電車でした。結局、次の駅から乗ってきたおばさまがその痴漢(訳変質者)を追い払ってくれたのですが、あの絶望感…一人でどうこう出来る気はしませんでしたね。

タロきち @kujira_za
変質者をつけあがらせてるのは周りの「見て見ぬ振り」な。許した覚えはなくても「許されてる」と思て調子こいとるねん。はっきり「許されへん」(お前のせいでこっちは冤罪にビクつかなあかんねん)という宣言しとかんと、変質者は勝手に自分の味方やと勘違いしてますます調子に乗ると思う。
一般男性が変質者を見て見ぬふりをしたり冤罪にビクついたりするのは「性欲はコントロール不能」という呪いをかけられて身動きとられへんレリビーな状態にあるからやないかなあ。呪いかけられた人はまず攻撃者への同一化(=肉屋を支持する豚化)で表面上の平安を求めながら泥沼にはまってく
レイプゾンビも「攻撃者への同一化」して見たらきっとすごく面白いと思う(エンタメって基本そこやし)。監督自身も「男は男に攻撃しようとは思わない」みたいなことどこかで言うてるの見たし。興味深いのは、そこまで退行してでも見せたい絶望の理由で、「ヤらせてくれへん絶望」は違う気がする。
言葉を奪われてきた女が男の言葉を借りてくるしかなかったみたいに、言葉を持たない子どもも成人男性の言葉を借りてくるしかないみたいな。ただ成人男性が作ってるから未分化なんがややこしい。実際見てみな何も言えんなあ。

友松直之 9/3発売レイプゾンビ4&5 ‏@ntomomatu
なるほど「レリビー」理論。面白いですね。「自分の思いに従って」ではなくて「みんなが言うとおりに」。責任転嫁というか、自己判断や思考を放棄して世間やら社会に判断を預けてしまう状態はよく見受けられますね。
さて補足説明とともに意見を述べさせていただきます。当方自作宣伝拡散または自作解説の為のアカウントですので、まず他人様のツイートに返信したりはしないのですが、自作タイトルを含むものには、逆に必ずや返信せずにはおけません。お騒がせ恐縮ですがご容赦を。
まず「男の性欲はコントロール不能」「だから誰もが痴漢になる可能性がある」という命題に対して、嘘であり刷り込みであり呪いであると表現してらっしゃいますが、俺にはそうは思えません。これはもう「地球は自転する」というような間違いない事実と認識しています。
たまにこれを理解していない男性に遭遇することがあり、俺は愕然とします。女性はまあいいでしょう。自分とは違う性別の性衝動が理解できなくても無理はないかもしれない。しかし男が自分の性衝動に自覚的になれないのは内省不足としか言い様がない。要するに馬鹿過ぎる。
自分は食い逃げなんかしない!まあご立派です。一ヶ月の絶食のあとでも同じことが言えるでしょうか?戦後の混乱期欠乏期にあちこちで無銭飲食や一個の芋をめぐる強盗や殺人さえあった時代にあっても?あるいは災害で孤立して救援物資が届かない危機的飢餓状況にあっても?
私はいついかなる状況下であっても絶対に食い逃げはしません絶対的な意志の力で己の食欲を完璧にコントロールしてみせます!
そんなことが断言できる人は、よほどの聖人か摂食障害者かあるいは単に己の欲望に無自覚な馬鹿でしょう。
「コントロールは可能やし、世の大多数の男性がそれを証明」とのことですが、それはコントロールできる程度にしか欠乏しておらず、コントロールできる程度の飢餓感しか持っていないからです。それなりに恵まれた状況下で性的に充足していると。
もちろん基本設定における(生れついての)性欲の強弱の差もありますが、まあラッキーであると。
我が身の幸運を喜ぶのはいいでしょう。しかし自分がたまたま恵まれたからと言って、恵まれない者を嘲ったり攻撃したり糾弾する権利を得たわけではありません。自分が恵まれない状況にある場面を想像さえできないのは罪悪と言ってもいいでしょう。馬鹿も過ぎれば罪でしょう。
「男の性欲はコントロール不能」「だから誰もが痴漢になる可能性がある」さらに言い換えれば、全ての男は性犯罪者予備軍です。まず男自身がこのことに自覚的にならなければ何もはじまりません。それこそが「レリゴーを引き受ける」ことであるように俺には思えます。
性犯罪者予備軍であることを自覚できない男とは、核兵器の破壊力を知らずにそのスイッチを持たされた人のように危険極まりない存在ではないでしょうか。まずは自分が怪物であることを自覚して、怪物性を社会の枠組みに合わせてコントロールすることを覚えるのはそれからです。
「監督自身も『男は男に攻撃しようとは思わない』みたいなことどこかで言うてるの見た」それが俺のどの発言を見たのかは特定できませんが、つまりそういうことですね。男でありながら自分が性犯罪者予備軍であることも自覚できない馬鹿とは話す気にもなれないと思っています。
また、小手先の戦略の違いを議論してもはじまらないという事情もあります。戦略とはつまりモテ戦略ですね。
俺は職業的に映画を作っていますので、他人の映画作品への評論は控えます。俺ならこう撮るという話しかできないからです。
実作者からの評論を聞かされる側も迷惑ですよね。じゃあアンタはそう撮れよ俺はこう撮るんだよ。無意味です。それぞれが自分の信じる映画作法に則った作品を作ればいい。観客もバリエーションが楽しめるでしょう。
ある種の男は「女の立場で物事を見る(語る)」振りをすることをモテ戦略にしています。彼らは自分が性犯罪者予備軍であることを自覚しながらも、なお女の立場から性犯罪を攻撃するかもしれない。戦略的に己の怪物性を隠す、あるいは気づかない振りをするかもしれない。
やはり彼らとも話すことはありません。実作者同士の相互映画評論と同じ無意味さです。ああ、あなたはそのモテ戦略なんだね。はいあなたはあなたで勝手にどうぞ。わしゃそれ嫌いだから。で終わりです。
『男は男に攻撃しようとは思わない』とは、男同士でモテ戦略を語り合っても無駄、という意味だとご理解ください。もちろん生殖の現場にあってはこの限りではありませんね。ひとりの女を奪い合って戦うとなれば男は当然戦います。論戦舌戦果ては肉弾戦をも辞さないでしょう。
さて「一般男性が変質者を見て見ぬふり」なのは「『性欲はコントロール不能』という呪いをかけられて身動きとられへんレリビーな状態」との見解ですが、これは何というか、もっと単純に自分に関係ない揉め事は見て見ぬ振りという話のように俺には思えますがいかがでしょう?
何も痴漢現場に限定しなくても、老人や障害者が困っていてもみんなしっかりきっちり見て見ぬ振りをしますよね。それと同じことだとは思いませんか?
つい先日も終電近く満員状態の電車で労働者ふうの方が大の字で昏睡していました。大イビキです。泥酔かもしれませんがそれほど酒臭いわけでもない。これはクモ膜下出血とかも想像できる緊急事態ですよね。でも満員の乗客たちは誰も何もしない。
俺はすぐに抱き起こして声をかけ返事がないので肩を貸して立たせて次の駅で降りて大声で駅員を呼びましたよ。あとは駅員任せで次の電車に乗って帰宅しましたから、そもそも彼がどういう状態だったのかもわからずじまいですが、俺以外の誰もこの程度のことができずにいました。
俺が善人かというとそんなことはない。スタンドプレイへの照れとか恥とかを感じずに逆にそれが大好きな劇場型の性格というだけですね。ただのええかっこしいのお調子者です。RTの痴漢被害女性の周囲の男性にはそういうお調子者がいなかったというだけではありませんか?
電車ではありませんが、俺も痴漢事件に遭遇したことがあります。人通りの少ない住宅街で女性の悲鳴。何事かと駆けつけると男女が衣服を乱して揉み合っていました。
まずは引き離して事情を聞くと、知的障害を持つ二十代男性と介護職の四十代女性で、付き添って自宅に送る途中に突然襲われたとのことでした。
介護職にありながらその程度の事態も予想せず、また簡単に悲鳴をあげる職業意識の低さには目をつぶりましょうか。
警察を呼ぶほどの事態ではないと判断した俺は当時者の男性に声をかけました。これには気をつかいました。彼にとっての俺は突然の闖入者です。引き離す際に多少の引っかき傷くらいは負わせたかもしれず彼は俺を自分に罰を与えに来た恐怖の象徴のように捉えているかもしれない。
介護職女性に彼の名前を聞いたら「××ちゃんです」とか下の名前を言う。まあ、現場も知らずに意見は言えませんが、障害があろうがなかろうが、成人男性をそんなふうに幼児扱いするのはいただけない。苗字を問い直して、彼には苗字にさん付けで声をかけました。
××さん、乱暴してすみませんでした。もう落ち着きましたか?大丈夫ですか?一緒にお家へ帰りましょうと話しかけること数分。俺に敵意も害意もないことをわかっていただけたらしく、三者並んで彼の自宅まで送ることができました。
介護職女性はと言えば、俺を間にはさんで彼とは並ぼうとせず、呆れたことに俺の肩口にしがみついてさえいました。
おい馬鹿女。今オマエがしがみついてるのは誰あろうレイプ肯定派のレイプゾンビの監督様であるぞ。なんてことを口に出しては言いませんけどね。
まあこの介護職女性の職業意識の低さはさておいて、ここまでの怯えようは要介護青年を幼児のように扱うのに馴れ、「男の性欲はコントロール不能」「だから誰もが痴漢になる可能性がある」というこの当たり前の事実から目を背けていたからこそではないでしょうか?
「男の性欲はコントロール不能」「だから誰もが痴漢になる可能性がある」と認識しながらも、しっかりとお調子者で通りすがりの珍事にきっちり関わって仕事の待ち合わせ時間もすっぽかしてしまう俺ですが、社会の秩序は守られるべきであると考えています。
ヒトは個では脆弱であり社会を作ってはじめて強大な力を得て生存競争に圧倒的勝利を得ました。ヒト(個)が社会を否定すれば脆弱な個を野にさらすことになり、それではヒトは生きられない。そして社会を維持しようとするならば秩序を保たなければならない。
個人の幸福、希望、欲望は、時として社会の秩序と相反します。食いたいけど食い逃げは罪。ヤリたいけどレイプは罪。生きたいけど徴兵忌避は罪。まあいいでしょう。法律は必要悪です。社会維持の為には秩序を乱す個人を裁く悪も必要でしょう。
「悪法もまた法なり」はソクラテスですが、法律とはそもそもが個人を圧殺すると言う意味ではすべからく悪でしょう。社会の秩序維持の為に押しつぶされる個人の物語は古今東西数限りなくあります。全ての物語がその対立を内包しているとさえ言えるかもしれません。
いいでしょう。社会の秩序は保たなくてはならない。法律はその為の必要悪。みんなで法律を守りましょう。異論はありません。
ただし警察・司法関係者でも事件の当時者でもない者が安全圏から社会からはみ出してしまった者を声高に糾弾するのは、黙って見てはいられません。
世論が法律を超えて社会を暴走させることはよくあります。太平洋戦争の時もそうだったと聞きます。情報操作を軽く飛び越して国民が戦争に熱狂し戦争反対者を非国民と呼んで糾弾した。法律が裁く前に村八分なり直接暴力なりで断罪した。これは許されていいことではありません。
現代の性犯罪に対する世論の暴走と目に余る厳罰化も同じであるように思えます。性犯罪の現場に遭遇すれば脊髄反射的に泣いている女性側をつい助けてしまうお調子者の俺ですが、性犯罪を糾弾する安全圏からの無責任な言説に対しては断固戦います。
罪を憎んで人を憎まず。犯人を吊し上げる前に彼が罪を犯さねばならなかった社会のありようを見直すべきなのです。
なぜ性犯罪が起こるのでしょうか。なぜヤラせてもらえない飢餓感にあえぐ層が存在するのでしょう。それは女がヤラせないからです。
かつては年頃の者(男女とも)が独りでいるのはよくないと、周囲が寄ってたかって結婚させる時代がありました。そんなに昔のことではない。親の世代ですね。モテも非モテも等しくヤル相手を確保して子供を作ることができた。
今や女権拡張時代。見合い結婚も寿退社も死語に近い。男女雇用機会均等法も定着して個人の裁量で生きていけるならば、どこの女が好きでもない男にヤラせたり好きでもない男と結婚したり好きでもない男の子供を産んだりするでしょう。
愛する人を追いかけるより愛してくれる人と結ばれるのが女の幸福。という価値観は過去の遺物であり、愛する男を追い求めて追い続けて結局誰も捕まえられずに生涯非婚の孤独死も辞さず、というのが現代女性のスタンダード。その結果としての少子化問題はさておきましょうか。
ヤラせてもらえない男の層は拡大し、少子化対策に母子家庭の福祉を充実させたスウェーデンなどでは限られたモテ男性のみが複数の女性と子供を作る合法的一夫多妻現象が起こっているのだとか。何人もの女とヤレる男と誰にもヤラせてもらえない男の二極化です。
そのように女性に優しい社会がヤラせてもらえない男の層を増大させた。飢餓感にあえぐ一部男性が性犯罪に走ったからと言って誰がそれを責められるでしょう。モテる努力をしない男が悪いですか?パンがなければケーキですか?努力で越えられない壁があることはわかりますよね?
自殺者の男女比は3:1です。男は女の三倍数自殺しています。日本では年間三万人ですから毎日82人の男が自ら死を選んでいます。20代30代40代男性の死因のトップが自殺なのです。これは異常事態、緊急事態と言ってもいいでしょう。なぜ男は自殺するのでしょうか。
女がヤラせないからです。もちろん誰も遺書にヤラせてもらえないから死ぬとは書きません。生活不安、人間関係、様々でしょう。しかしリストラされての自殺も、ネエちゃんの頬を札びらではたけなくて(勝ち組好き女性に貢げなくて)ヤラせてもらえずに自殺するのです。
食と性の決定的欠乏(とその予感)が人を絶望させるのです。繁華街のゴミをあされば飢えることのない飽食の現代において食の不安は現実的ではなく、やはりヤラせてもらえないからと考えるべきでしょう。
ゴミを食うのはプライドが許さないから自殺するという誇り高き男性もいるかもしれません。ではプライドとは何でしょう。メス受けを狙うオス・アピールのことですよね。ゴミなんか食ったら女にモテなくてヤラせてもらえないから自殺する、という意味に解釈するべきでしょう。
男の自殺原因は女にヤラせてもらえないからです。未婚者離婚者の自殺が妻帯者の六倍という事実もこれを裏付けます。あるヤリマン女性に聞いたのですが、ヤラせた男が口を揃えて言う台詞が「今日あなたにヤラせてもらえなかったらボクは死んでました」だそうです。
男は女にヤラせてもらえない絶望で自殺するのです。毎日82人、年間三万人の善男が女にヤラせてもらずに自殺しています。これはもう女に殺されていると言ってもいいでしょう。
年間千から千五百件のレイプ事件も社会問題には違いないでしょう。暗数を含め約十倍としてざっと一万としましょうか。これは女性の自殺者数とも合致しますね。一万対三万。それでも俺はこう言います。無理やりヤラれた女よりヤラせてもらえない男は三倍傷ついているぞ。と。
傷比べ。傷自慢大会ですね。さあ泥仕合です。泣いたら被害者でしょうか。傷の大きい方が正義でしょうか。俺は男ですから男の側に立って、女どもがおとなしくヤラせとけやボケ、と言います。女は女で、モテる努力をしない男が悪いんだ勝手に死んでろ馬鹿、と言うでしょう。
男女の断絶です。まさにレイプゾンビ第一巻のコピー「殺るか?!犯られるか?!」そのままですね。立場が違い過ぎて理解し合えるわけがない。
ああ、モテ戦略として女性の側に立つ無自覚馬鹿男はこの際無視しますね。馬鹿過ぎて相手にできませんから。
さて時流は圧倒的に女性に有利です。マスメディアの女性への気遣いは半端ではありませんね。性犯罪被害女性の言い分ばかりが喧伝されています。
ある女子大でのアンケートで最も迷惑なセクハラは何かという問いへの答が「好きでもない男に好かれること」だったとか。
男側からの片思いや求愛がストーカーやセクハラとして性犯罪にカウントされるまであと一歩といったところでしょうか。時間の問題かもしれませんね。女権拡張も性犯罪厳罰化も女子力アップも、もう誰にも止められません。
でも誰にも止められないからと言って、時流に乗るだけがメディア発信者の能じゃない。女権拡張大いに結構です。しかしどのような高邁な主義主張思想であっても、それ一色で塗り潰そうとするのは健全な社会のありようではない。だからこその「レイプゾンビ」です。
極小メディアはマスメディアが言わないことを言うのが存在理由。ネット上の個人的呟きよりもう少しだけ大きな声で声高に叫びます。炭鉱のカナリアとして性犯罪の合法化を訴えヤラせない女どもの悪逆非道を糾弾します。戦争反対は戦時下で叫ばれてこそ意義も意味もあるのです。
そんな「レイプゾンビ」シリーズは、今のところは何とかTSUTAYAで一般作の棚に置かれるという快挙を続けております。ぎりぎり許されているといったところでしょうか(GEOでは店舗によってアダルトコーナーに追いやられていることも多いようです)。
劇中では、世界中の全男性(童貞オタク除く)がレイプゾンビと化す姿が描かれます。観客は男が全て性犯罪者予備軍であるという事実の認識を促されるでしょう。ズボンを足首までズリ下げてヨチヨチと女を追って走る滑稽な姿は現実の男性のヤリたがる様の戯画化でもあります。
レイプゾンビに中出しされた女は即死。撃退方法はキンタマを撃ち抜くかチンポを切り落とすか。女たちは生き残りをかけて男たちの陰部を破壊する。そもそもは少子化で滅亡への道をたどりはじめたヒト種DNAの絶滅回避プログラム発動がレイプゾンビ化現象という設定です。
つまりヤラせない女に原因があったわけですが、劇中の女たちはそこから目を背けてレイプゾンビを災禍として戦い続け殺し続ける。果たしてどちらが被害者なのかという問題提議です。先っちょだけで救助されたヒロインが先走り汁で懐妊、両性具有の進化人類の誕生が第一作のラスト場面。
続編2&3はレイプゾンビ化しなかった童貞オタクによるアキバ帝国と女村避難所との攻防戦が描かれます。帝国民はレイプゾンビをリア獣と呼んで使役、女にけしかけて(パシらせて)レイプさせて殺します。進化人類とその母は帝国の現人女神としてアイドルになっています。
並行して描かれるサイドストーリーとして、なぜかレイプゾンビ化しない夫とその妻、そして女を襲わないレイプゾンビが登場して「女が男に愛を再教育することでこの事態を打破できるのではないか」というかりそめの希望が提示されます。まあこれはギャグですね。夫がレイプゾンビ化しなかったのは夫婦がセックスレスだったから(他の女からの誘惑で簡単にレイプゾンビ化する)。女を襲わないレイプゾンビに至っては実はホモだったから、という絶望的ギャグでサイドストーリーは収束します。「愛のアの字も知らない女ごときが何が再教育だよ」とは劇中の台詞。
そしていよいよ完結編4&5では、男と女は断絶を越えて理解し合えるのか、それとも単為生殖可能な両性具有の進化人類(男女の断絶からも同性間のモテ非モテ闘争からも自由)に後を譲って絶滅する運命なのかが問われます。まあ最終第五巻のサブタイトルが「新たなる絶望」であることからしてすでにネタバレですが、男女の断絶の根元を探ろうという思考実験の結論(めいたもの)を提示します。
もちろん娯楽作品ですから何も考えずに展開だけを楽しむこともできます。
当然「レイプゾンビも『攻撃者への同一化』して見たらきっとすごく面白いと思う(エンタメって基本そこやし)」という楽しみ方もあるでしょう。レイプする楽しさ(鬱屈する男性側からの復讐的な)爽快感を頭から否定する作品ではないのは確かです。当然レイプされる屈辱や恐怖も同時に描いておりますが。またあるいは、女性であればレイプ犯に復讐する楽しみも味わえるかもしれない。あるフェミニズム寄りのタレントと対談した際「まさに女が言いたいことが描かれていた」なんていう、それはそれで予想外の感想をいただいたこともあります。
是非ご覧ください。また鑑賞後のご意見などもお待ちしております。
「レイプゾンビ LUST OF THE DEAD」作品解説と関連情報のまとめ


「レイプゾンビ続編2&3(アキバ帝国の逆襲)」作品解説と関連情報のまとめ


レイプゾンビ完結編「クローン巫女大戦」&「新たなる絶望」作品解説と関連情報のまとめ


$友松直之のブログ
AD

[PR]気になるキーワード

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>