今日の東京新聞4面全面を使って浜岡原発停止8年:証言でたどる「当時」と「その後」という記事が掲載されています。記事は政府異例の停止要請、法廷闘争原告に勢い、「事前了解」巡り思惑の3段からなっています。

 

最初の政府異例の停止要請では、当時総理であった私が2011年5月6日夜浜岡原発を止めるように中電に要請したと紹介し、その段取りを進めたのは当時の海江田経産大臣であったことを具体的に述べています。海江田経産大臣は震災後の4月末の浜岡周辺の地震発生予測に衝撃を受け、浜岡原発を止めた場合の影響を調べ、電力はやりくりできそうだと判断し、2011年5月5日に浜岡原発を視察に向かった。翌日海江田大臣が官邸にきて停止要請の計画を始めて菅総理に伝え、私が「渡りに船。うれしい驚きだった」と振り返ったことを書いています。私自身の記憶もその通りです。

 

法廷闘争原告に勢いには浜岡原発の運転停止を求めてきた河合弁護士の奮闘ぶりが紹介されています。「事前了解」巡り思惑では東海第二原発と同様、浜岡原発も再稼働には地元自治体の事前了解が必要という主張を取り上げています。

 

今年の参院選で原発ゼロを大きな争点にして、原発推進の安倍政権を倒し、原発ゼロを国民の意思で実現しようではありませんか。