素晴らしき哉、京都(京都市→久世郡久御山町→八幡市) | 日本一周(分割)自転車紀行

日本一周(分割)自転車紀行

2010年、MR4F(折りたたみ自転車)で突然西へ。
東海道、山陽道、山陰道を駆ける。

そして2年後、再び自転車に跨る…

ただし、自転車走行ではなく自転車旅行。
観光も食事も目的だし、宿泊はホテル。
普段は自転車に乗らない。

これでも日本一周できる…のか?


思えば京都は中学校の修学旅行以来。
およそ20年ぶりになる。


本来、僕は寺社仏閣にはそれほど興味が無い。

実際にこれまでも全くと言っていいほど
立ち寄ってこなかった。

しかし京都となれば話は別。
自転車の利を生かして各所を回ってみることにする。


問題は現在8時という時刻だ。

ネットカフェのパック時間の都合もあり、
早く着きすぎてしまった。


見学時間には少々早い時刻。

閉まっていては単なる徒労になり、
自転車であることが徒になってしまう。

そこで、事前に見学開始時間と
おおよその場所を調べていた。


三条大橋を基点に見ると、
北東にあるのが銀閣寺で見学開始は最も遅い10時。

南東の清水寺が6時と逆に一番早い。

南西の天龍寺は8時30分だが、
嵐山なので少々外れている。

北西には龍安寺と金閣寺があり、
それぞれ見学開始は8時と9時。

今回訪れてみたいのはこのあたりだ。


現時点で見学可能なのが、清水寺と龍安寺。

しかし、龍安寺の近くで一緒に訪れたい金閣寺が
9時見学開始なのでやや微妙である。


ここは迷うところだが、
旅はここで終わりではない。

そもそも京都にはいずれまた来る可能性が高い。

「今一番自分が満足できるのはどこなのか」
自分に問いかけ、ルートを決定する。


そして決定した最終的なルートは、
清水寺→龍安寺→金閣寺→銀閣寺。

後から考えてみれば、
龍安寺以外は中学の修学旅行で訪れたところ。

無意識の内に「懐かしさ」がキーワードになっていたのだろう。


見学開始時刻的には問題ない。

南東→北西→北東というのがどうも非効率だが、
銀閣寺の見学開始が遅いから仕方ないだろう。


まずは清水寺へ。
清水寺は五条通の東先にある。

京都の街が碁盤状になっているのは有名だが、
東西に走っているのが主に「~条通」。

北から順に一条から十条まで名付けられている。

なんでも平安京の大内裏の北端が一条通で、
南端の羅城門があったのが九条通なのだそうだ。


現在では、東海道は三条通で、
少し南を走っている国道1号が五条通。

そして、京都駅の少し北が七条通で少し南が九条通だ。


三条大橋から鴨川沿いに少し南に下り、
清水五条駅が見えると五条通に入り東へ。

清水寺へ向かう。


「清水寺は上り坂の上にある」
これが僕の20年前の僅かな記憶。

果たして、五条通に入ると急坂が続いている。

参道が上り坂となっており、
かなりの傾斜を誇っている。

記憶は正しかったが、
その記憶どおり苦労させられる。


だが、苦労して上った先の清水寺は
とても素晴らしかった。

清水寺は、京都では数少ない
平安京遷都以前に創建された寺院。

南都六宗の一つである法相宗系の寺院で、
現在は独立して北法相宗を立宗したのだそう。


清水寺と言えば、清水の舞台。

本堂の前方部分は崖にせり出すように建てられ、
多くの長大な柱で支えられている。

もともと山の中腹に建てられているのと合わさり、
せり出し部分はまさに展望台のよう。

清水の舞台はひたすら高く、ひたすら荘厳。
眺める風景はひたすら美しい。


朝ではあるものの、
既に外国人を含め他の観光客もいる。

皆その壮大な景色を感慨深げに眺めていた。

昔はそれほど感じなかったが、今訪れると本当に素晴らしい。
日本が世界に誇れる建造物だと思う。


清水寺には思った以上に満足した。
そして、思ったより長居した。

時刻は9時前。

少し予定を変更して、
龍安寺の前に金閣寺に向かうことにする。


まずは五条通をひたすら西に走る。

途中、鴨川に架かるのが五条大橋。

「京の五条の大橋で~♪」の歌でも有名な、
源義経と弁慶が戦った橋だ。


橋の袂には義経・弁慶像がある。

ただ、リアルな銅像ではなく、デフォルメされた石像。
まさにあの歌の世界観、御伽の話である。

記念碑が控えめなのも京都流だ。
東海道終着点もそうだった。


さらに西へ。

「西大路五条」の交差点を右折して、
西大路通を北上する。


京都の交差点名は実にわかりやすい。

「西大路通」と「五条通」の交差点だから「西大路五条」。

通り名がそのまま交差点名になっており、
道を間違える心配がない。


金閣寺は思ったよりも遠い。
しかも北に向けて徐々に上り坂になっていく。

車で移動していてはなかなか分からない地形も、
自転車だと強く実感できる。

結局、息絶え絶えになりながら金閣寺に到着する。


金閣寺ではもうひとつ想定外の出来事が襲う。

修学旅行生の集団。
制服を見る限り、3、4校はいるだろうか。

かなり混みあい、
ひどく騒がしくなってくる。

そして混雑の中で見た金閣寺は、
中学生時代と同じ感想だった。


「置物を見てるみたい…」

確かに綺麗は綺麗だ。
金色に光り輝く姿はまさに金閣寺の名にふさわしい。


しかし悪い意味でも綺麗すぎて、
1/1の置物を見せられているようだ。

やはり大きく手を加えられたものに感慨はあまりない。


金閣寺があった地にはもともと西園寺公経が建立した西園寺があったが、
1397年に足利義満が譲り受けると改築して一新した。

義満の死後、遺言により禅寺とされ、
義満の法号から鹿苑寺と名付けられた。

この金色に輝く舎利殿が「金閣」と呼ばれており、
寺院全体を金閣寺と呼ばれるそうだ。


金閣は1950年に放火により焼失し、
1955年に創建当時の姿に復元。

1987年にも大修復が行われている。


いずれにしても修復は必要であり、
このような特殊な建造物は置物感が出てしまうのだろう。

それでも、消失前の姿を見てみたかった、
というのが本音だ。


消化不良のまま龍安寺へ向かう。

龍安寺は金閣寺のやや南西500mほど。
立命館大学の横の坂を下っていく。


龍安寺は、応仁の乱の東軍総帥として知られる
細川勝元が1450年に禅寺として創建。

応仁の乱で消失するが、
勝元の子・政元により1499年に再興された。


龍安寺といえばもちろん日本庭園。

枯山水など様々な技法を駆使した方丈庭園は有名で、
僕を含めた観光客のお目当てである。

しかし正直な感想は、
「思ったよりも小さい…」だった。


外国人観光客と修学旅行生で
縁側が混雑していたのが大きな理由だろう。

落ち着いて見ることができないから、
風情を感じることもない。

ひとりで眺めていたらもっと感慨もあっただろう。
やはり観光にはタイミングも重要だ。


最後の目的地は銀閣寺。

少し南下して今出川通りを一気に東へ。
同志社大学、京都大学の前を通り過ぎる。

しかし京都の有名大学は好立地にある。

京都駅からはやや遠いが、それでも2kmほど。
街中であり、歴史的建造物に囲まれている。


今回は訪れてこそないものの、
既に八坂神社、六波羅蜜寺、北野天満宮の前を通っている。

同志社大学の正面にあるのは京都御所だ。


逆に感覚がおかしくなりそうなほど
歴史に囲まれている。

それぞれに対して調べていたら
キリが無くなってしまう。


銀閣寺は、東山殿として足利義政が将軍職を譲った後に造営したが、
義政死去後に菩提を弔うために寺を改め慈照寺と名付けられた。

有名ないわゆる銀閣は、
足利義政が鹿苑寺金閣を模して造営した観音殿。

金閣寺と同様に、寺院全体は銀閣寺として知られる。


清水寺の印象が良すぎたためだろうか。
銀閣寺にもそれほど感慨はなかった。

ただ、裏山から眺める銀閣寺は美しい。

目の前にある池と周囲に広がる緑が
その美しさを際立たせている。


建物を近くから見るだけでは、
どうしても作り物のような印象を受けてしまう。

しかしそれが自然と合わさることで魅力が膨れ上がる。
清水寺もそうだった。


そして、金閣寺と銀閣寺を物足りなく感じてしまう
もうひとつの理由もわかった。

常に混み合っているためか、
順路が一本道になっているためだ。


決められた道を前の人に続いて
ぞろぞろと歩いていく。

これではとても満喫することなどできない。

京都に来れば誰もが訪れるような名所だけに
仕方ないかもしれない。

しかし、今のままでは
魅力が伝わりきらない気もするのだが…。


銀閣寺を出るとちょうど昼時。

本来は何を食べるか迷うところだが、
少し思い当たる節があった。


銀閣寺近辺の東西の通りは「今出川通」だが、
南北の通りは「白川通」。

この「白川」という地名を聞いてピンと来た。


僕の好きなラーメン屋「天下一品」。

ドロドロした独特のスープが特徴的なラーメンだが、
そこには「京都北白川総本店」と書かれていた。

「北白川はこの白川通の北に違いない」
そう思いコンビニに入り地図を見る。


最近の地図は実に有益だ。

大型施設だけでなく、コンビニやGS、
さらに主要レストランまでマッピングされている。

そして白川通の先に確かに「天下一品」はあった。

喜び勇んで白川通に入り、北に向かって走る。


しばらく走ると、左手に天下一品を発見する。

しかし妙に店先が寂しい。
そして貼り紙がある。


「本日は定休日です」

「!!!!????」
まさかの定休日である。


飲食店は日曜定休のケースが多い。

ラーメン店も例外ではなく、
日曜に店を訪れて涙を飲んだことも多い。

しかし今日は平日。
本当にまさかまさかの定休日だ。


しばらく店の前で呆然とする。

京都における最大の目的は、
間違いなく寺社の見学。

ただ、僕にとって天下一品の本店に行くことは
寺社と同じくらい価値があることだった。


ただ、貼り紙には続きがある。
「ぜひ銀閣寺店にお立ち寄りください」


正直、本店でないと意味が無い。

でもこうしてわざわざ案内をしているのだから…
泣く泣く来た道を戻る。

そして銀閣寺近くまで戻り今出川通に出ると、
右手に「天下一品 銀閣寺店」が見える。


店内はカウンターとテーブル席がある、
やや広めの設え。

テレビがあるが番組が流れているわけではなく、
店の前を映すモニタになっている。

といっても店員はまったく見ていない。

店員ではないということは、
客が外を見るためなのだろう。

目の前が大きな通りのため、
路駐の取り締まりを確認するといったところだろうか。


メニューはいつも通りの天下一品のもの。

「こってり」や「あっさり」のほかに
セットが複数用意されている。

セットが店ごとのオリジナルなのも、
やはり同じだ。


ここ銀閣寺店は「餃子」や「炒飯」といった定番に加え、
「コロッケ」や「イカフライ」など珍しいものも数種類用意されている。

せっかくなので、今まで見たことがない
「手羽ギョーザ定食」を注文する。


気のせいかもしれないが、
都内で食べたものよりもスープの色が若干濃く、
ニンニクの味が強い気がする。

気のせいかもしれないが。


相変わらず天一のラーメンは美味しい。

僕はこってりでもスープを必ず飲み干す。
それくらい好きだ。

本店に行くことは叶わなかったが、
銀閣寺店は第二本店のようなもの。

満足して店を出る。


京都の旅はこれで終わり。

まだまだ見たいところはたくさんあるし、
食べたいものもたくさんある。

少しもったいない気はするが、
今回は先がある。


今出川通をそのまま西へ進み、
宮川町通を下る。

宮川町通は鴨川沿いの通りで、
川岸に降りることもできる。


鴨川は実に風情がある。

この鴨川沿いが、まさに思い描いていた京都の姿。
いつまでも川岸を走っていたい気分にさせる。

三条大橋付近では、対岸の店から川床が出ている。
漫画やドラマなどでよく見かける構図だ。


次訪れるときは、
ぜひともあそこに座って食事をしたい。

京都を走っていると
本当にいろいろと欲が出てくる。


さらに南下した後、右折して七条通へ。

東本願寺の前を通り、
西本願寺の手前を左折して堀川通を南へ進む。


線路の下をくぐり、
「九条油小路」の交差点から九条通を西へ。

右手に東寺の五重塔を見ながら
「京阪国道口」の交差点を左折する。


それにしてもこの寺の多さはどうだろう。

今軽く前を通ったが、
西本願寺と東寺は世界遺産だ。


「他の都市とは違う」
本当にそう思う。

同時に、日本に対する誇りのようなものも
生まれてくるから不思議だ。

京都は間違いなく日本が世界に誇れる観光地だ。


この東寺あたりがちょうど国道1号500km地点。
大阪に向けて南へ下りていく。

回り込んできた鴨川を渡ったあたりが鳥羽。
鳥羽・伏見の戦いで有名な地だ。


鳥羽・伏見の戦いは、戊辰戦争の緒戦。

1867年、徳川慶喜は大政奉還を上奏するが、
王政復古の大号令で辞官納地を命じられると大阪城に籠る。

会津藩士と桑名藩士を中心に主戦論が高まると、
京阪の要地に軍隊を派遣。

そして、1868年に慶喜は朝廷への訴えと薩摩討伐のため、
京都へ向けて進軍させ、鳥羽街道と伏見市街を進んだ。

鳥羽街道を封鎖していた薩摩藩兵と旧幕府軍が対峙。
薩摩藩兵は通行を許可せず一斉に発砲した。


ここは鳥羽・伏見の戦い勃発の地であり、
まさに戊辰戦争の緒戦中の緒戦の地だ。


続く歴史に眩暈がしそうだが、
間もなく宇治川を越えると突然寂しくなってくる。

同時にアップダウンも増えてくる。


京都と大阪は近いので街が続いていくのかと思ったら、
どうやら勘違いだったようだ。

また、山間の京都から沿岸の大阪に向けて走るのだから
ずっと下っていくとばかり思っていたが、
どうやら考えが甘かったようだ。


さらに木津川を渡って八幡市に入るが、
あっという間に大阪府へ入る。

微妙に難読地名の枚方(ひらかた)市だ。

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2010年9月9日

膳所駅(大津市)~大阪府境(八幡市)
走行距離:約61km(google map)

これやこの行くも帰るも別れては
(大津市)
東海道の終着点
(京都市)
■素晴らしき哉、京都
(京都市→久世郡久御山町→八幡市)