【激奨】「中国の戦争宣伝の内幕~日中戦争の真実~(F.V.ウイリアムズ著)」を読んで 前編 | My Aim Is True

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「中国の戦争宣伝の内幕~日中戦争の真実~(フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著)」を読みました。


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これは素晴らしい!!

過去最大級のお薦め度でもって激奨したいと思います!


1938年11月にアメリカで出版された本著をよくぞ発掘してくれたものです!

同じような本で1938年3月にイギリスで出版された「シナ大陸の真相 1931~1938(K・カール・カワカミ著)」があります(必読!!)。


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他にはラルフ・タウンゼント著で1933年にアメリカで出版された「暗黒大陸 中国の真実」やタウンゼントの1938~1940年までの著書やラジオ講演などをまとめた「アメリカはアジアに介入するな!」といった必読書があります。


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「アメリカはアジアに介入するな!」をだいぶ前に読んだ時は、見つからなかったパズルの1ピース、いやその存在にも気づいていなかったパズルの1ピースが埋まったような気がしたもので、いずれ再読しようと思っているんですけど未だに再読できていません(笑)。その内、読んで記事にしようと思っているんですけどね。


さて、本書の話をしましょう。

本書の著者であるF.V.ウイリアムズは、日中双方を行き来した新聞記者であり、上記のK・カール・カワカミやラルフ・タウンゼント同様、日中両国の造詣に深いだけでなく、極東情勢における共産主義の脅威も強く認識していた人です。


著者自身が1938年当時に記した序文には、

「この本は極東の状況に光を当てるという目的のもとに書かれている。と同時にある国(日本)に対してなされている間違いを正すという目的もある。日本との戦争以前から、そして戦争が始まってから中国で起きている出来事は、プロパガンダのためにぼんやりと雲がかかったように見えている。(略)

近年、極東の危機についてアメリカで書かれたすべてのものはほぼ一方の側(中国)に偏していた。一方の側だけから物語られている。あらゆる問題に二つの側があるはずである。(略)

この本を読む多くの人は、最初は日本側に味方をしていると思うだろう。しかしどれだけ多くの本や新聞記事が中国贔屓で反日であるだろうか。しかもそういうものを『これは中国の味方をしている』とは言わないのだ。我々は日本に関するものよりも、中国に関して見聞きするものを疑いなく事実として認識する傾向がある。実際問題として、この国(アメリカ)には中国のプロパガンダが氾濫している。そして日本を弁護するものをほとんど見ないのである」

と書かれているように、そのスタンスは上述のカワカミ氏とタウンゼント氏と同じもので、実際、まさにそれこそが真実なのです。


そして、本書は上述の他の本に比べて、平易にコンパクト(130ページほど)にまとまっているため大変読みやすく、初心者にも文句なしにお薦めです。

特に前半部は日中戦争が起こるまでの背景やその後の推移を断定的に軽快に書かれていて、中学生向けの教材にしたいくらいです。

訳者が良いのか、非常にテンポ良く、軽快な文章で、僕が好きな保守コラムニスト、高山正之氏のような文章ですねぇ。

半日でサクッと読めちゃいます。


カワカミ氏の「シナ大陸の真相」はさすがに同時代に書かれていただけあって、大山中尉殺害事件、盧溝橋事件、第2次上海事変などが細かく描かれていてとても参考になりますし、中国大陸での共産主義者の暗躍にも触れられていますが、それら事件と共産主義者との繋がりについてはほとんど触れられていなかったような気がします。

ところが、本書では、それらの事件に対する共産主義者(中国共産党&モスクワ)の関与をズバッと言い切っているところに驚かされます。この時代にそのような認識をしていたことが驚きなのです。

もちろん、戦後のGHQ占領下で、元内務省官僚の三田村武夫氏が「大東亜戦争とスターリンの謀略~戦争と共産主義~」を著して発禁処分を受け、その一方で、こうした著書に影響を受けたのか、アメリカ国内でジョゼフ・マッカーシー上院議員のレッド・パージ(赤狩り)がようやく始まるのです。

逆にその後の日本では学会とメディアが左翼に占拠されてしまったせいか、そうした研究があまり進まなかったのでしょう。

10数年前か、日本が恥じる「歴史家」の保坂正康が台湾を訪れ、蒋介石の側近だった陳立夫に「日本と中国の戦争を起こした張本人は誰だと思う?」と訊かれ、「日本の関東軍の軍人たちです」と答えると、陳氏は「違う。あれはソ連が演出したのです。日本が中国を攻めてきて誰が一番喜ぶ? スターリンだろう? こんな簡単なことがどうしてわからないのか!」と盛んに言われたそうです。


本文から中略しながら抜粋します。

※今日はいつにも増して抜粋が多いのでケータイで読まれる人には辛いかもしれません。


「20世紀の80年以上前に、アメリカを含む西洋列強は日本のドアを叩いた。しぶしぶと、いくぶんおずおずとした調子で日本は同意した。しかしそうなったからには、日本は中途半端ではいなかった。やがて日本は西洋列強が新しく見出した保護すべき友人という立場から、対等なライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。

彼らの態度は変わった。日本の背中を優しく叩いて、『お前はいい子だ』とはもう言わなくなった。日本をなだめすかして鎖国の孤立から引きずり出したあの西洋列強が、ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から締め出し始めたのだった。

日本が無害である限り、西洋世界にとって後進国である限りにおいて、日本は外国の人々や政府には人気者であった。しかし日本があまりにも早く学び終え、競争ゲームに熟達したとき、彼らの態度は変わり、対抗するようになったのだ」


このような書き出しで、本書は始まります。20世紀初頭から1930年代までを見事に要約していると言えるでしょう。

東洋が基本的に「人治」社会であるのに対し、西洋は「法治」社会です。

そして、「法治」の名の下に、自分たちの都合の良いようにルールや枠組みを作り、変更していきます。これは今でも変わりません。スポーツ然り、経済・貿易然りです。

日本はお人好しで律儀であるため、変更されたルールに戸惑いながらも、努力してそれに適応して、また成功を収めていきますが、そうなるとまたルールが変更されるのです。

上記の書き出しを簡潔に言うならば、「鎖国」していた日本を自由経済・帝国主義の世界に強引に招きながらも、都合が悪くなった西洋列強は勝手に保護経済、ブロック経済圏というルールに変更したため、日本やドイツと言ったブロック経済圏、アウタルキーを持たない国は「座して死ね」と死刑宣告されたようなものでした。

一昨年のリーマン・ショック以降、各国の首脳がしきりに「保護主義には走らない」と合意しあったのは、保護主義が先の大戦を招いた(大きな要因の一つ)という認識があったからでしょう。


さて、日中関係も本文から中略しながら抜粋してみます。

「日本は蒋介石に期待していた。彼が共産主義と戦ったからだ。外国人と国民に血まみれの恐怖を見せ続けている混乱した国に、秩序らしきものを維持してくれるであろうと期待したのだ」

「日本は他の西洋列強と同じく中国に大きな利害関係を持ち(略)、それにもかかわらず日本は、蒋介石がこの中国の何百年か疫病のように継続している混乱に統一と秩序をもたらしてくれるものと、彼の欠点を我慢しながら見守っていたのである」

「列強が連合して日本に対抗して世界の貿易市場で結束したために、日本は北支(中国北部)において列強が反日的に中国政府に影響を与えていると感じた。それだけでなく、新たな危難に直面しているとも感じ始めたのである。

この危難はソビエトロシアからやって来た

極東に起きたドラマにおけるソビエトの役割は(アメリカ及び西洋諸国で)まだほとんど語られていない

だから、私が話そう。

モスクワが日本と中国の間に戦争の火を点じたのだ

「蒋介石は『反日』という方法で中国を統一する考えに絶望的にしがみついた。いくつかの西洋列強からも彼は秘かにそれを奨励された。蒋介石は中国共産党の戦列についに加わった。日本は中国だけでなく、国家を超えた反日計画に直面していることを理解した。

しかし、日本は反日の嵐が遠くまで広がり、侮辱と周期的な自国民の殺害に至っても平和的であろうとした


見事です。

こうした一部の文章を抜粋するだけでも(本当は全文抜粋したいくらいです)、僕がこれまで何冊も近代史の本を読んで構築してきた歴史観と一致するからです。

というのも1938年に出版された本書は歴史本ではなく、同時代を描いたドキュメントであるからです。まさに僕が構築してきた歴史観が間違っていなかった、と証明された感動すら覚えます。


満州国に関する記述も抜粋してみます。


「日本は中国の大衆が一般的に持っている怠惰や欠点をよく知っていた。中国軍閥の信義の無さや貪欲もよく知っていた。しかし日本はその軍閥とその傭兵匪賊集団を満州から放逐してしまった。そして、そこを北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまった。数千万に上る彼らが毎年満州国の国境を超えようとやって来た。そこで彼らは高賃金で稼げた。暮らしよさと治安の安定は較ぶべくもなかったのだ。以前の満州は満州国になった」

「貧相極まる満州から、幸福と繁栄の帝国に満州国は変貌を遂げていた。日本が傀儡政権を打ち立て、満州人を搾取しているというプロパガンダが世界的に広まっていてもである。日本の統治で、疑いなく満州帝国は繁栄を極めるだろう。満州国の清潔で賑やかな町と村、よく秩序だった生活、近代的な鉄道と、中国本土の惨めで貧しい紊乱した状態を比較してみるがいい」


現在の中国の「正しい」歴史認識では、満州国では住民が途端の苦しみを味わったという、話にもならないものですが、満州国の繁栄を認める者では、「そうは言っても、日本人が優遇された」と言います。仮にそうであったとしても、地獄の中国本土、あるいはそれまで満州を支配していた軍閥政治と較べたら、紛れもなく満州国は天国に一番近い国であったことでしょう。

日露戦争以降から満州国崩壊まで40年に渡って日本と密接な関係を築いていた遼東半島の大連からの中国人の話を聞くのは興味深いです。満州国時代を生きた彼らの祖父母から幸福だった満州国時代を聞かされて親日的な史観を持ちつつも、学校で反日教育を受けたために時に反日的な史観を主張し出すのです(笑)。

これは韓国人にも言えますね。例えば、現在拓殖大学の教授である呉善花氏も、「幼い頃、祖父母から日本時代の良さを聞かされたが、学校に入って反日史観を植えつけられて戸惑いながらも、いつしか反日史観に染まっていった」と語っています。


さあ、いよいよ、蒋介石が中国共産党に監禁され日本との開戦を確約させられた西安事件(1936年12月)以降、日増しに緊迫する日本と中国の関係、および、遂に日本を戦争へと巻き込む記述もいくつか抜粋してみます。


「その中の(国民党の中の)共産主義に赤く染まっていた連中には、蒋介石と日本軍との戦いが始まり、それに加わり行動を起こす命令が中国共産党軍に伝えられる日までは、しっかり腰をすえて命令を待つようにと西安とモスクワから情報がもたらされていた」


これも興味深いですねぇ。数年前に「マオ(ユン・チアン著)」が出版された時にも話題になりましたが、戦争を躊躇う蒋介石に対して、開戦を主張して、上海にいる日本軍にいきなり総攻撃を加えた張治中、あるいは首都南京戦の強行を主張した唐生智らを思い起こさせます(ちなみに二人は戦後の国共内戦後も大陸に残り、中国共産党の幹部になっている)。

で、ちょっと時系列は戻りますが。


「しかし若い共産主義者は血が熱く敵意に燃えていた。すぐさま戦争を要求した。もし蒋介石が言い逃れするなら、自分たちの手で事件を起こし戦争にしてやる。日本を戦争に引き込んで見せると。

実行するのは簡単だった。中国には万を数える日本国民が住んでいた。中国では外国人が殺され続けてきた。目新しいことではなかった。中国共産党はまず日本人を血祭りに挙げることに決めた。もし日本人が2、3000名殺されたとして、誰が対応するのだ。虐殺は日本を激昂させるだろう。自国民が殺されて行動を起こさない国はない。日本人虐殺は日本との戦争になるだろう。蒋介石も戦わざる得なくなる。

防御方法を持たない無辜の日本人たちは家で、店で屠殺され、町や村で街路で暴徒に殺された。数え切れない多数の日本人、朝鮮人たちがこうして死んだ」


そして、1937年7月29日、あの通州事件が起きます。

同じ人間のやることとは思えない中国人の残忍極まる方法での日本人&朝鮮人大虐殺事件の様子が本書でも記された後、


「これは通州でのことである。古い町だが、中国で最も暗黒なる街の名前として何世紀の後も記されることだろう


日本の教科書に、一般的な歴史教材に「通州事件」が記されているでしょうか?

大部分のニホン人は知らないのではないでしょうか?

まして、世界の諸外国で「通州事件」を知っている人は今では皆無となっているのではないでしょうか?

本書が出版されたのは1938年11月、「シナ大陸の真相(カワカミ著)」が出版されたのは1938年3月ですが、中国の悪質なプロパガンダに過ぎない「南京大虐殺」(1937年12月の南京戦で起きたと宣伝される)なんてものには触れてもいません。そんなものは中国得意の悪質なプロパガンダとしか捉えていないからです。

当時、中国は国連(国際連盟)にも「南京大虐殺」の非難決議を訴えますが、どの国も真に受けず、却下されています。

ところが、現在はどうだ?

世界中で事実無根の「南京」は知られていても、「通州」は全く知られていない。

ニホン人ですら知らない。


「こういう事件が起こっているときも、その後も、日本に住む6万人の中国人は平和に暮らしていた。彼らの生命や財産は、日本人たちとの渾然一体となった友好的な社会関係の中で守られていた。

かたや中国では、かの国人が暴徒と化して、日本人の子供を好きなように捕まえていたのである。『日本人の残忍さと非人間性、それに比べて貧しき中国人の平和な人間性とはいかに違うものか』と聞くことがある。

通州で無辜の日本人たちを虐殺したまさしくその中国兵たちが捕虜になったときは日本軍によって給養され、『罪を憎んで人を憎まず』のサムライ精神によって、『もうああいうことはしてはいけない。さあ行け』と説かれていたのである。日本軍の将官は虐殺の罪を無知な兵隊に帰するのではなく、南京の軍閥やモスクワ、無知な耳に叩き込まれた反日宣伝のせいだとしたのである。

世界はこれらの非道行為を知らない。もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさ縮み上がるだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。

しかし日本人は宣伝が下手である。

中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐに動かない。

率直に言って、(日本は)中国とは戦争をしたくなかったのである。中国政府がロシアのボルシェヴィズム(共産主義)の罠に絡め取られていることもわかっていた。しかしそれでも中国の人々とは戦争をしたくなかったのである」


さてさて、抜粋を長々としてしまったので、今日はこの辺にしたいと思います。


つづく。