今春、第5回WBCが開催されます。
個人的に最も印象に残っているWBCは日本の2連覇がかかった第2回大会の決勝戦の韓国戦ですね。
個人的に、とにかく韓国だけには負けたくないという気持ちがあって(まあ、勝っても負けても不快で後味の悪い談話を残してくる国なので・・・)、日頃、韓国人留学生らに「いつまでも反日ばかりやって、日本に甘えるな。韓国が反日を止めたら、ようやく韓国も日本から独立したといえる」と言っていたのですが、反日歴史観を持つ韓国人と似たように反韓感情を持っているので偉そうなことは言えません(笑)。
それはともかく、韓国との決勝戦。
とにかく、一つ一つのプレーにハラハラドキドキでした。
たしか、当時、WBCを冷ややかに見ていたアメリカのメディアでさえも、「これほど緊張感のある野球の試合を観たことがあるか」というように報じていたように記憶しています。
韓国打者の打球が外野に飛んだだけで、ヒヤッとしましたし、外野手の守備範囲にある打球でも、日本代表のプロ選手に対して、「取ってくれ!」と願ったりしたものです。
というのも、前年に行われた北京五輪の際に、GG佐藤が平凡なフライを落球したことがあったからだと思います。
とにかく、一つ一つのプレーに緊張感を持って観戦していました。
この試合に先発した投手は、この大会で「エース」級にフル回転した岩隈久志(楽天→マリナーズ)でしたが、そもそも、この記事を書こうと思ったきっかけは、当時を振り返る岩隈のネット記事を読んだからでした。
岩隈:「日本代表のユニホームを着るということは、他とは比にならないほど重たかった」
「マウンドに立つ前までは自分じゃない感じでした。ウォーミングアップから吐き気を感じるくらい。やだな、まずいなという思いはありました」
90年代以降、サッカー人気が高まってきて、「野球と違って、サッカーには世界を感じるからだ」と論じる人がいましたが、WBCによって、野球でも世界を感じられるようになった一方で、これまで国内リーグに専念していた日本のプロ野球選手が初めて背負う日の丸の重みを感じるようになったのです。
それと、サッカーの場合はサッカー後進国として、「少しでも上に上がりたい」という挑戦者として国際舞台に立ちますが、野球の場合は「優勝しなくてはいけない」という野球大国の誇りが、より重圧として圧し掛かるのでしょう。
また、「オリンピックは平和の祭典」とか言われますが、裏を返せば、「戦争ではなく、スポーツで勝敗決めようよ」という、国際大会は国をかけての「戦争」なのです。
オリンピックで古代からある競技はレスリングだったり、アーチェリーだったり、砲丸投げであったり、「戦闘競技」といえるようなものが多いですよね。
まあ、サッカーの国際大会で、日本人が熱狂的に日の丸を振って応援するようになると、朝日新聞ら左翼は「危険なナショナリズム」と憂慮していましたが、基本、リベラル左翼はポピュリズムを利用するので、次第に、そうした国民意識とかけ離れた論調は取らないようになりましたし、次第に、皇族に対しても、敬語を使うようになりました。
このWBCを観ていて感じたのは、日本チームは多くの投手を引き連れていきましたが、このような「戦争」で投げられる投手は限られているということです。
「戦争」に勝つために、コンディションをピークに仕上げていた投手かつ、「戦争」に勝つ強い精神力を持った投手だけが起用されるのです。
この大会、日本チームは多くの投手を引き連れていきましたが、リリーフで起用されるのは杉内(ソフトバンク→巨人)と若かりし頃の田中将大(楽天→ヤンキース)だけだったように思いますが、見ているこっちも「他の投手には投げさせるな!」と思っていました。
とにかく、「戦争に勝つんだ」という強いパッションがない選手は国際舞台では通用しないという印象でした(「2022東京五輪」の伊藤大海(日ハム)も同類です)。
この大会、抑え投手として、例えば、「火の玉ストレート」の藤川球児(阪神)らがいましたが、決勝の舞台で抑えを任されたのは、若かりし頃のダルビッシュでした。
岩隈:「一人も走者に出してはいけないというような、常に緊張感がありました」
そんな中、5回裏に内川聖一(横浜→ソフトバンク)が左翼手としてスーパープレーをしました。
左翼線に飛んだ打球で、二塁打は仕方なく、普通の外野手なら、それ以上の長打にならないように安全に処理する打球でしたが、元来、内野手であった内川は打球に一直線に走り込んで、ショートバウンド気味にスライディングキャッチすると、すぐさま二塁に送球して打者をアウトにしたのです。
岩隈:「あのスーパープレイに助けられました」
そして、リードして迎えた9回裏、抑えとしてマウンドに上がったダルビッシュは、いかにも緊張した様子で同点に追いつかれました。
この大会は開幕当初からイチローが不調に喘いでいました(そもそも、個人的に、既に当時のイチローは峠を過ぎていた印象でしたが)。
自らの不調にフラストレーションを爆発させるような様子も窺えました。
原辰徳・日本代表監督が「『生きる伝説』と言えるイチローですら苦しんでいる」云々とイチローを擁護していたものですが、徐々に調子を上げていって迎えた、この決勝戦。
そして、伝説となる10回表の決勝タイムリーとなります。
とにかく、この打席のイチローの集中力は研ぎ澄まされていて、カウント的に追い込まれて、投じられた難しい変化球に対しても、紙一重でファウルに逃れるくらいでしたが、遂に変化球を捉えて、センターへと勝ち越しタイムリーを放ったのです。
そんな劇的タイムリーを放ったイチローですが、その直後の塁上では、何事もなかったかのようにクールに振舞っているので、解説で出演していた清原和博は「(クールに振舞う)、これぞイチローですよ」とコメントしていたのですが、後日、「報道ステーション」で、この場面の特集をしていて、イチローは「ベンチの皆を見てしまうと、感情を爆発させてしまいそうなので、ベンチの方を見ることができなかった」とコメントしていました。
「報道ステーション」は偏向報道が酷いのですが(特に当時は)、スポーツコーナーだけは楽しめるといえる、良い特集でしたね。
イチローが見ることができなかった、「この時のベンチの様子はこんな感じでしたよ」って、歓喜に沸くベンチの様子も映していました。
皆が、当時から「生きる伝説」だったイチローの活躍を期待してたのです。
岩隈:「日本代表のユニホームに袖を通して戦えたのは、選手と名誉なこと。ただ、緊張やプレッシャーは凄い。覚悟がないとできるものじゃないです」
戦前、旧日本軍に徴兵された人たちを「地元の誇り!」として、地元の人たちが華々しく送り出していて、戦後の二ホン人は理解しがたいように感じているみたいですが、地元から日本代表選手として国際舞台に立って、世界と戦うような人たちは「名誉なこと」であり「地元の誇り」として送迎されたのではないでしょうかね。
さて、今春のWBC。
選手の起用法も多く論じられていますが、「抑え投手」は佐々木朗希で良いんじゃないでしょうか。
「抑え」には大谷翔平の声も挙がっていますが、最近の大谷はスライダーを多投しているので「抑え」っぽくない(「抑え」を任されたら投球スタイルを変えるかもしれませんが)。
2015年のWBSCプレミア大会でも、準決勝の韓国戦で先発の大谷がほぼパーフェクトで降板して、マウンドに上がったのが、則本→松井裕→増井とピンチを迎える度に投手交代しましたが、「投手が変わる度に球速が落ちていった」と試合後、言われたように大炎上して韓国打線が止まりませんでした。
佐々木朗希なら「抑え」に相応しいスピードボールと落ちる球を持っています。
そういえば、最近、読んだネット記事で、「昭和の怪物」と言われた江川卓の速球(ストレート)こそが最強だって論じていました。
個人的に、江川卓の全盛期はほとんど観ていなくて、僕の知っている江川卓は球速130km台後半のストレートを投げるだけの印象でしたが、最晩年、肩の調子が良かったのか、開幕から4~5連勝した時のピッチング(140km後半の速球)は、江川卓の全盛期を窺えた気がします(ただし、調子に乗り過ぎたのか肉離れを起こして戦線離脱しましたが)。
で、江川卓のストレートの何が凄いかと言いますと、大谷翔平とか「平成の怪物」松坂大輔とか「令和の怪物」佐々木朗希よりも遥かに上回る、歴代屈指のボールの回転数です。
昔のプロ野球中継のスピードガン表示は初速と終速と二つ表示していたものです。
いかに剛速球を投げるプロ選手といえども、空気抵抗があるので、投げた直後(初速)に比べて、打者の手元付近になると多少なりとも速度(終速)が落ちてしまうのですが、江川卓のストレートはそれが少なかったのです。
ということは、時速130km台のストレートで「大して速くない」と思って、バットを振っても、差し込まれたりするのです。
おまけに、普通のプロ投手のストレートは見ていても、あまり感じないのですが、重力に負けて、自然と落ちていくのです。
それに対して、江川卓のストレートは回転数が多いので、その落下が少ないのです。
そのため、「捉えた!」とバットを振ってみたものの、ボールがバットの上を通過して空振りします。
いわゆる、「球が伸びてくる」「球がホップしてくる」というストレートとは、江川卓が投げる初速と終速がほとんど変わらないようなストレート、そして、重力にあまり負けないストレートのことだと思います。
投球の基本はアウトローのストレートなんですけど、江川卓の場合は真ん中高めに投げれば、大半の打者のバットは空を切るのです。
もっとも、バットに当てられてしまうと、自身の高いボールの回転数が仇となってか、いきなりホームランを打たれるなどして、「一発病」とか言われていましたね。
ちなみに江川卓の球種はストレートとカーブだけでした。
同じような凄いピッチャーがいます。
「オールスターで9者連続奪三振」を奪った江夏豊です。
江夏と言えば、「江夏の21球」伝説が生まれた、「抑え投手」だった広島時代の印象が強いかもしれませんが、元々は阪神の先発エースです。
江夏は高卒ルーキーで阪神に入団すると、1年目はストレートしか投げられなかったんですが12勝。
カーブを覚えた2年目は25勝しています。
オールスターでの連続奪三振といえば、江川卓も8連続奪三振した後、9人目の打者(近鉄の大石)も追い込んだのですが、最後はボール気味のカーブをチョコンと当てられて内野ゴロに終わりました。
ただ、最近、事実かどうかわからないのですが、この時の裏話を知りました。
実は江川は9人目の打者をボールになるカーブを投げて空振り三振させるも、あえて振り逃げで1塁に出させて、10連続奪三振を狙っていたものの、ボールが若干甘く入ってしまったのでバットに当てられたそうです。
江川卓の最後として印象的なのは、広島の4番・小早川に打たれた逆転サヨナラホームランです。
この日の投球も全盛期ばりのフルスロットルでした。
そして、最後に迎えた小早川(前打席で「一発病」による1発を浴びて、唯一の失点)ですが、「俺のストレートを打ってみろ!」とばかりにひたすら真ん中高めのストレート。
辛うじてファウルで粘る小早川。
長年バッテリーを組んできた捕手の山倉は途中からサインを出すこともせず、「お前の投げたいボールはこれなんだろ」と黙って、中腰で真ん中高めに構え続けていました。
何球もファウルで粘った小早川は遂にそのストレートを捉えてライトスタンドに運んだのですが、江川はマウンドでずっと跪いていました。
で、たしかグランドを去るときに涙していたような記憶がありますが、その時に引退を決意したんだと思います。
そういえば、江川は同級生(?)の「ミスタータイガース」掛布と仲が良いのですが、掛布が驚いたのは、プロになって間もない頃、江川が「それにしても、プロのバッターって凄いよな。だって、俺が本気で投げた球にバットを当ててくるんだぜ」という発言だったそうです。
あと、WBCの第1回大会、アメリカ代表チームは決してフルメンバーではなかったのですが、「アメリカが優勝しないわけないだろ」と舐めまくっていたそうです(たぶん、バスケットボールのアメリカ代表チームと同じような感覚だったんじゃないか)。
そして、迎えた初戦が日本戦でしたが、そんなアメリカチームに対して、先頭打者のイチローが挨拶代わりに先頭打者ホームランを打つと、アメリカ選手の目の色が変わったそうです。
三冠王を3度獲得した落合博満が全盛期に「ホームランを狙わなくていいなら、打率4割なんていつでも打てる」と豪語していて、実際に可能だったんじゃないかと思いますが、逆にイチローが打率を気にしないでホームランだけを狙っていたら、どのくらいホームランを打てたでしょうか。
ホームラン王はともかく、それなりに打ってたと思うんですよね(シーズン最多ホームランは1995年の25本)。
ちなみにプロ初ホームランは、プロ入り2年目に、近鉄のあの野茂英雄から放っています(ただし、当時無名だったイチローには本気で投げていない可能性あり)。
土井監督時代のイチローは1軍で大して使ってもらえず、すぐさま2軍に叩き落されましたが、3年目から仰木監督に大抜擢されて、その年からカタカナ表記などが許されるようになったので、「イチロー」と改名して、開幕から打ちまくっていました。特に開幕当初はよくホームランを打っていたので、試合結果が表示される画面で本塁打の箇所に「イチロー」という名を度々見かけたので、「何なんだ、この選手」と思ったものでしたが、見ていたスポーツニュース番組で解説していた元祖「ミスター赤ヘル」の山本浩二が、「このイチローっていう選手のスイングスピードは半端ないですよ(フロックではなく本物です)」と言っていました。
本物は本物を見分けられるっていう証左でしょうね。
そして、この年、イチローは日本史上初の年間200本安打を放ち、打率.385で首位打者に輝き、パリーグMVPに輝きました。
そういえば、昔、中日のルーキーだった与田剛投手のキャンプでの投球を見て、江川卓が「あの与田投手のストレートの球の回転は並の投手じゃないですよ」と伝えていたのですが、1年目で、いきなりセーブ王に輝きました。
もっとも、その1年で燃え尽きた印象で、それ以降はパッとしませんでしたが・・・。
何か、プロ入り1年目で無理をして、いきなり燃え尽きる投手って、割といますよね。
パッと思いつくのは、1年目で22勝を挙げて最多勝&最優秀防御率&最多奪三振を記録した木田勇(日本ハム)も燃え尽きました。
伊藤智仁(ヤクルト)は前半戦の3ヶ月ほどで7勝(完投5回、内完封4回)&防御率0.91を挙げ、巨人戦ではセ・リーグタイ記録の16奪三振を奪いながらもサヨナラホームランを浴びて敗戦投手となりましたが、戦線離脱して、その後は燃え尽きました。毎試合150球以上も投げていたことが故障に繋がったのでしょう。
後に、当時の監督だった野村克也氏が、そのことを謝罪していますが、同時に「稲尾和久か伊藤智仁。こういうのを天才って言うんだよ。プロ野球史上最高の投手」と最大級の賛辞を送っています。
もちろん、稲尾和久は、昨年、「村神様」が流行語となりましたが、「神様、仏様、稲尾様」と言われた元祖「神様」です。
「硝子のエース」だった伊藤智仁と違って、稲尾和久は「鉄腕」。
1シーズン42勝とプロ野球最多タイ記録を持っていますし、日本シリーズで3連敗の後、4連投4連勝して、西鉄ライオンズを逆転日本一へと導いています。
ちなみに西鉄ライオンズとは、福岡を本拠地とし、後の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に引き継がれていくチームですが、前々から不思議に思っていたのが、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)との関係です。
福岡ソフトバンクホークスは、その名の通り、かつて大阪を本拠地とした南海ホークスをダイエーが買収し、それをソフトバンクが買収したチームですが、ダイエー時代、当時、常勝軍団だった西武ライオンズの主力だった石毛宏典、秋山幸二&工藤公康(いずれも後にソフトバンクホークスの監督に就任)をトレードやFAで引き抜いたことです。
そのため、ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)は西鉄ライオンズの後継、いや違うか、それは西武ライオンズか、とかちょっと混乱しました。
とまあ、当初はWBCを語るつもりでしたが、元々、野球少年だったので、ついつい脱線して、色んなことを記してしまいました(笑)。
WBCでは、投手・大谷翔平の使い方も頭を悩まされますが、打者・大谷翔平の使い方も難しいように思いますね。
それと、プロ野球観戦(昔は、主に巨人戦が必ずテレビのゴールデンで中継され、高視聴率を記録していた)から、個人的に、やや遠のいていた時期に「野球はアタマや」(江夏豊著)という本を読んで、配球だとかの妙を知って、再びプロ野球観戦にハマると共に、より深く野球観戦が楽しめるようになりました。
そして、それから時が流れて競馬にハマっていた頃、「競馬の血統学」(吉沢譲治著)という本を読んで、競走馬の血統に関しても、深く考察できるようになったものです。
とまあ、最後にまとめるはずが、更に脱線して競馬の話になりました。
実は、昨年末の有馬記念に関する記事を書きかけて、そのままお蔵入りしたのですが、勝ったイクイノックスに関しては語っておきたいことがあるので、いずれ記事にするかもしれません。