8/2 面談 | 母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

2015年2月末に遺伝子変異なしの肺腺癌ステージ4と診断された母の闘病記。
その他、健康に関する事や日々のことを。

2015年6月、叔父が扁平上皮癌に。
2016年6月2日、叔父他界。

こんばんはお月様
チビがうるさ過ぎるクマゼミ飽きたからミンミンゼミとツクツクボウシを早くと無理難題を言っています

今日は面談日。
今日も
幼稚園→買い物→家→病院→幼稚園→家→区役所→家→病院→家
1日中走り回っています。


面談が11時〜という事だったので汗だくになりながら病室に行くとベッドがお留守。
ガンマナイフ後1ヶ月の頭部MRIに行っていました。

ベッドの上にはファイルホルダーが。
見ると
{C47DF4F4-DE0F-4FB8-B49B-07C77481266B}
・・そういう事か
母が居ない間に私用のアンケートも書きました。


やたら長い時間をとっていたのは、緩和ケア病棟の見学と医師・看護師との話があるからでした。


未だ緩和ケアと言うものに対するイメージが良くなさすぎる感じがします。
癌による痛みや不快な症状をケアすることが緩和ケアだと言っていても

緩和ケア紹介=余命わずか

と言う昔からのイメージは殆ど変わっていない気がします。


実際、まだ使える抗がん剤が残っている場合の治療中に起こっている痛みなどは呼吸器内科や腫瘍内科で対処されていますし緩和ケアの出る幕が無いですもの。

緩和ケア=余命わずか と言う訳じゃ無い
と説明をするのであれば、もっと早い段階から関わって来てもいいのでは?



大学病院にある緩和ケア病棟なので無料・有料個室共に一般病棟と見た目はほぼ変わりません。廊下もシーーン
なんだか、最期を過ごすにはうーーんと言う印象です。


本当に緩和ケアに入院するのであれば、専門でやっているところの方が良さそうな気がします。
大学病院での利点といえば今までの闘病記録が共有できる事ではありますが、治療をしないのであればこだわる必要性を感じませんでした。


来月に車が納車されて母の体調が良くなっていたら別のところを見学してもいいかなと思っています。

暑すぎる今、車が無いのが地味に痛いです。体が焦げちゃいそう



見学等が終わり病室に戻ると入院中の主治医が。
TS-1の話と退院後の外来の予約、そして退院時に必要な薬の話でした。

せっかくなので色々と話をしましたが、やはり母がこのあと使えそうな抗がん剤は無さそうです。
もちろんある事にはあるのだけど、副作用が強く出る物だと言われました。
何の遺伝子変異も見つかっていない母にタルセバは絶対に効かないと言われました。
あとは水のような成分の物。
これは気休め?


できそうな治験があっても母の今の感じだと断られそうです。


とにかく明日退院!
お粥とオカズが全て蒲鉾状の食事とはオサラバです。



なんの根拠があってそう言うのか分かりませんが、入院中の主治医曰く
母にはTS-1が効きそうな気がする
らしいです。


実際飲み始めて2週間ですが、2年半ほど前にやった左側の肺の胸水ドレナージュの傷口に出来た皮下すぐの癌のシコリ。
これが腫瘍マーカーと連動して大きくなったり小さくなったりしているんですが、今日触ると本当にやや小さくなっていました。


レントゲンの結果、残念ながら右肺の方は下の方に影響が出ない程度に水が溜まっているそうです。
これがこれから増えるのかこのままなのかは神のみぞ知るです。
タルクの影響でランダムに癒着が起きている可能性を聞きましたが、胸水が上がってくるのであればそこは癒着されていない隙間があると言う事なので外来で抜くぶんには問題ないと言われました。

胸水が溜まってくると咳が増えて倦怠感も強くなってくるので、体感でおかしいと感じたらすぐに受診するようにと。

爆弾抱えたままの退院ですが、しっかり体力を戻してもらいたいです。
肩が凝りすぎたのでマッサージに行きたいと言っていました。
どうやって行くの⁉︎と聞くと自転車で自転車と答えるので、歩くのもやっとなのに自転車!と笑いましたが、帰って来たら母の気が済むまで私がモミモミしようと思います


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